ヒューマノイド メアリ

@ZewC445

第1話 サキ 月までの手紙


「今日は疲れましたか?」


白いエプロン姿のメアリが、紅茶のカップをそっとサキの前に置いた。家政婦型ヒューマノイドとしては7代目のモデルで、感情認識と会話能力に特化している。見た目はほとんど人間と変わらないが、サキはそれを「ちょうどいい距離感」と感じていた。


「うん、まあね。仕事は順調。なのに、心が動かないの」


ソファにもたれたサキは、紅茶に口をつけながらぽつりとつぶやいた。


外では空飛ぶ車が夜の空をすべっていた。2045年の東京では、渋滞も通勤ストレスも過去のものとなった。なのに、自分の中だけが古い時代に取り残されたようだった。


そんなある日、ミナからメッセージが届いた。


「ねえ、3人で月に行かない?」


「月って……あの月?!」


「他に何があるの(笑)? 今、シャトル安いし、ちょうど3人で行けるツアー見つけたの」


ミナは昔からこういう提案を唐突にする。サキは思わず笑ってしまった。ユミもすぐに「行きたい!」と返してきた。


家庭もキャリアもありそうなユミ。自由に生きてるように見えるミナ。自分だけが、何も選べていない気がしていた。でも――。


「行く」


サキはそう返した。



サキたちが宿泊したのは、月面に建つ最新のリゾートホテルだった。重力は地球の6分の1、室内では擬似重力システムが作動している。


地球が青く見えるガラス張りのラウンジで、3人と1体のヒューマノイドが並んでソファに座っていた。


「それにしても、私たち、こんなふうに会うの久しぶりだね」


ユミが言った。サキもミナも頷いた。


「この前会ったのって……5年ぶり?」


「下の子が生まれた直後だったと思う」


「そうだっけ。なんだか遠い昔みたい」


重力が軽いためか、言葉もふわりと宙に舞うようだった。



夜が更け、部屋でワインを開けながら、自然と話は深くなった。


「私ね、仕事も家庭もあるけど……時々、全部投げ出したくなるの。子どもがいるからできないけど」


ユミの言葉に、サキは驚いた。そして少し救われた。


「ミナは? いつも自由で羨ましいと思ってた」


「自由って、思ったより不安定だよ。好きなことだけやってると、ふと、誰とも繋がってない気がして怖くなる。『好き』だけじゃ、生きていけない気がするときもある」


「……私、何もないって思ってた。仕事も、何のためにしてるのか分からなくなってた。二人が眩しくて、羨ましくて、距離置いちゃってた」


静かな間が流れた。誰も正解を持っていない。ただ、自分の立っている場所で、誰もが迷いながらも立ち続けている。


「皆さん、少しだけ、聞いてもいいですか?」


沈黙を破ったのは、メアリだった。


「人間は、選択できることに苦しむ存在です。でも、私はその苦しみこそ、人間らしさだと学びました。選べるということは、未来を作れるということ。何を選んでも、選び続けられる限り、それは希望です」


誰も返事をしなかった。ただ、その言葉が月の光のように、胸の奥に届いた。



帰りのシャトルで、サキは窓の外の地球を見つめていた。


あの青い星に、自分の生活がある。仕事があり、悩みがあり、友達がいる。完璧じゃない。だけど、選べる。


「ありがとう、メアリ。あなたがいてくれてよかった」


「私も、サキさんとこうして旅ができて光栄でした」


その言葉に、なぜか少しだけ涙がにじんだ。



エピローグ:地球にて


数週間後。いつもの朝。変わらない日常。


でも、サキは変わっていた。すぐに答えが見つかるわけじゃない。でも、「答えを探し続けていい」と思えるようになっていた。


メアリが紅茶を差し出す。


「今日は疲れましたか?」


サキは笑って言った。


「いいえ。今日はちょっと、楽しみです」



【完】

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