未練の残る現世

夕緋

未練の残る現世

 君が久しぶりに連絡をくれた時、正直に言うと胸が弾んだ。自分の置かれている現実を忘れかけてしまうくらいに浮かれた。君が連絡をくれたタイミングが完璧だったからだ。ちょうどもう一度会いたいと思っていた。これは神様が最後にくれた温情なのだと思ってすぐに返信した。

 今日までの日々は長かった。君に会える日が明日になればいいのに、なんて子供みたいなことを考えていた。それなのにいざその日が近づいてくると緊張してしまって、着る服は本当にこれで合っているだろうかと鏡とにらめっこしたり、もう剃ってある髭を撫でまわしたりしていた。僕にはそういう無駄とも思えるようなことをする時間がたっぷりあった。

 数年ぶりにあった君は見違えるほど美しくなっていた。長かった髪はバッサリ切って肩にも届かないくらいのショートになっている。僕はファッションに詳しくないので説明ができないが、黒を基調とした恰好は一見して「かっこいい」と思ってしまうものだった。あの頃はどちらかというとラフな恰好で自然な可愛さのある子だったから、声をかけられた時は本当に戸惑ってしまった。

 でもどんなに変わっていても表情だけは変わっていなかった。僕が見慣れない君の姿に驚いて固まっていると、あの頃と違って化粧をした顔が見覚えのある笑みを作った。そこで僕は安心して、同時に懐かしさが溢れ出してきて、言葉に詰まった。

 駅から近いカフェはどこも人でいっぱいだったけれど、君は穴場を知っていると言って僕を案内してくれた。そのお店は1人ではそこが店だということさえ分からないくらいひっそりと佇んでいた。思わず彼女に「本当にここ?」と確認してしまったくらいだ。君はいたずらっぽく笑ってドアを開けた。そこは意外にも明るく、木材を使った温かい雰囲気に満ちた空間だった。

 彼女はいつの間にファッションや化粧やお洒落なカフェを知っている女性になったのだろう。

 そんな話もしたかったけれど、君は「メイクしてない頃の話はやめてよ」とか「トレーナーばっか着てたのは思い出したくない!」とか、”あの頃”の話を禁じて来たので聞き出せなかった。(僕の聞き方も悪かったのかもしれない。)

 君と出来たのは近況報告や未来の話だった。特に将来について君は大いに語った。近々、デザイナーとしての腕を磨くために海外へ行くらしい。僕は君がデザイナーになっていたことさえ知らなかった。スケールの大きさにただ呆然とするばかりだった。

「君はこれからしたいこととかないの?」

 彼女に聞かれた時に自分のことを話すかどうか迷った。迷って、何も言わないことにした。話しながら気づいていたからだ。たぶん、この先彼女とこうして話すことは、僕の現実が変わったところで無いのだと。

「まあ、それなりに楽しみながら生きていけたらそれでいいかな」

 言いながら自分の胸の奥に傷を作っているのが分かった。

「謙虚だね。今くらい遠慮することないのに」

 君はそう言ってカフェラテを一口飲み、また将来のことを語り始めた。


 帰り際はあっさりしたものだった。

「今日は楽しかったよ、ありがと」

「こちらこそ。ありがとう」

「じゃあ、さよなら」

 君は笑顔で手を振った。僕も手を振り返したけど、「さよなら」と口にすることは出来なかった。

 君はカフェで言っていた。「今、あらゆる未練を絶とうとしてるの」と。海外に行くため、日本に後ろ髪を引かれることのないようにしたいと。

 僕に会った理由については言わなかった。でもきっと僕は君にとって何かしらの未練だったのだろう。そして、今日、それは解消されてしまった。

 むしろ未練が残ったのは僕の方だ。

 連絡をくれた時、もう二度と会えないであろう君に、僕は期待してしまった。もしかしたら独りで死なずにすむかもしれないなんて、看取ってくれるかもしれないなんて、本当に夢だった。

 この世に大きな未練が1つできてしまったけど、どうか僕が彼女の前に化けて出たりしませんように。

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