その翡翠き彷徨い【第28話 彷徨う魂】

七海ポルカ

第1話



 子供の泣いている声がする。



 木陰からそっとそちらの方を見ると、池のほとりに座って王女ミルグレンが泣いていた。

 その側にリュティスの漆黒の姿があった。泣いているミルグレンの側に、彼女を慰める様子も無く背を向けて立っているのだ。


「わたしがちゃんと見てあげてなかったから……」


 彼女は両手の中に、何かを大切そうに掻き抱いているようだった。



 ――小鳥だった。



「リュティス叔父様、わたし、これからちゃんと色々勉強します。優しくなって、お母様の言うことも聞きます。だから魔法でこの子を助けて」


 リュティスは漆黒のローブを深く被ったまま、じっと少女を見下ろしていた。

 それは他の人間だったらば、決してリュティスには言わないだろう言葉だった。

 だがミルグレンは少女ならではの素直さで、リュティスに対して協力を求めている。

 第二王子リュティスはサンゴール最高の魔術師。

 彼に出来ないことは無いと言われるほどの魔術の知識と、その特異な双眸に宿る強大な魔力。

 彼女の父と母が常に頼りにし、彼女にとっては実の兄にも等しいメリクが、サンゴールで最も優れた魔術師だと、リュティスのことを口にすることをミルグレンはよく知っていた。


「怪我をしているのに何もしてあげられなくて……わたしに魔力があって、魔法が使えたら助けてあげられるのに……」


 回復魔法は高度な魔法だ。誰もが簡単に使える魔法ではない。

 手に余る魔法に手を出せば、それだけ術師自身にも負荷が返ることがある。

 だから魔術師が怪我や病と無縁かというと、そうではないのだから。

生命せいめいことわり】というものがちゃんと魔術の世界にも存在している。

 しかしそれを語って理解出来るほど、ミルグレンはまだ大人ではなかった。

 彼女はただリュティスには、手の中で息絶えようとしているこの小鳥の命を救う力があるということを知っているだけだった。

 

 リュティスの魔力を闇とも光とも選別せず、純粋な力として、何の抵抗も無く感じ取れる。ミルグレンは確かに魔術大国であるサンゴールからしてみれば、王族として劣等的ではあったが、魔術の世界に生きない者だからこその感覚を持っている少女だった。


 ……そういう、相手の本質を厳しく問わず全てを寛容に自分の中に受け入れる。父親譲りの才能に、リュティスが心癒されていることも知っていた。



「……魔術は万能ではない」



 リュティスは泣きじゃくる王女を見下ろして、ただ短くそう言った。


「魔術師もだ」


 拒絶を感じ取り、増々泣き出しそうな顔をしたミルグレンの手から、リュティスが横たわる小鳥をゆっくりと取り上げた。


「死を軽んじるな。死を軽んじれば生もまた軽いものになる。」


 リュティスはそう言ってから、大きな鳶色の瞳で彼を見上げて来るミルグレンの前で小鳥に手をかざした。呪文を唱えもしていないのに、リュティスの手の平が淡い光に包まれた。

 しばらくミルグレンも息を飲んでその不思議な光を見つめていたが、やがて倒れていた小鳥が羽根を震わせるのを止め、ゆっくりと身体を元に戻した。リュティスの手の平の上でしばらく自分の身に起きた変化を、鳥自身も戸惑っていたようだが、やがて羽根を動かして小さく飛び跳ねた。そのままミルグレンの肩に下りて、可愛らしい声でピチチチ……と泣いている。


 リュティスはすでに手を着ている術衣の奥へと隠し、また背を向けたままじっと池の水面を見つめたまま、もう何も言わなくなった。

 ミルグレンが嬉しそうに表情を輝かせて、鳥と一緒に池の周りを駆け回っている。



 ――リュティスが『優しさ』という理由で魔術を使うのを、メリクはその日初めて見たのだった。



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