episode 3./銀光錯綜/
あの建物を去ったあと、二人はとりあえず北へと進んでみることにした。
手帳を取り出して見るに、今の場所から北へ進めば何かがあるとかないとか。
これ、手帳に書いた私が悪いのでは無いのです。
「なにかがあるって、やっぱアバウトすぎない?」
この情報を書き記したやつは配慮というものがないのか、はたまた人に見せる必要がないからここまで適当なのかは図りかねる。どちらにせよ簡潔過ぎるのでは?
ここまで簡素で雑把な地図、というか道のりは見たことが無い。なんて愚痴をこぼしながらも遮二無二進む。
「知らない。とにかく進めばいいんでしょ。なら、行こ」
数歩先行して歩くリアはまるで興味の無いようにつんけんとしていた。
基本物静かな少女なのだが、今日は特に冷めきった反応をしてくれる。
歩いてゆくうちに、小綺麗な空間を抜けいつも通りの錆びれた風景に戻っていた。
時間が止まったような建物街。
その周辺には、軍事用機械であっただろう残骸が積みあがって、黒い液体を垂れ流している。
きっと鮮やかであっただろう色は抜け落ち、視界は灰と黒で染まっている。
天高く伸びる長方形型の建物は既に外装は全て剥がれている。きっと壁の大半は硝子だったのだろう。
それらが向かう空を見ると、黒い空に煌々と輝く月が見えた。
歪なままに回るこの星とはまるで正反対のように。
低い建物には植物が巻きつき、多種多様な胞子が飛び交っている。
水辺の傍には羽虫の群れ。
植物周辺には変異した蟲。
うぞうぞと蠢く赤色の幼虫群。
見慣れた風景でこそあるものの、どこか実家に戻ってきたような安心感がある。
「ね、出番。あの高い建物の中に湧いた」
「了解。まかして。一撃で殺る」
夜には、胎児ではない、もっとおぞましい、別の何かが湧き出てくる。
背中のベルトから引き抜く得物。
月明かりに照らされて、明らかになった全貌からは異質な様子が見て取れる。
異様に長く、少し赤みがかった黒の銃身。
彼女の身の丈にはとても合わないその得物を、自分の一部の様に軽く手取り、引き金へと指をかける。
片膝を地面につけ、もう片膝で銃身持つ身体を支える。
斜めから添うようにスコープを覗き、右手はトリガーへ。
左手は銃身の下を支えるよう、強く添えた。
呼吸を細く、最小限の鼓動に抑えて機を待つ。
クロスに重なる奥、無数の目を持つ白い物体を見据え、
放つ─────
放たれた弾丸は空を裂き、200m先の標的を撃ち抜いた。
スコープ越しに真っ赤に染まった部屋が見える。
「ヒット。やるじゃん」
真横でポケットに手を入れ楽に立つリア。
「今日は何体出てくるかな…」
「いやもういいんだけど」
何故か知らないが、彼女はアレに興味を引かれているらしい。なので、基本夜に行動しよう、なんて提案してきた。
昼に行動するのは確かに体力的にも、リスクヘッジ的にも避けた方がいいのは確かだ。
だが夜は夜でまた違った危険が背筋を撫で続ける。
月明かりのある日は、特に危ない。
奴らは夜になると必ずと言っていいほど湧くのだが、その夜が月明かりの強い日だとその量が倍以上へと変化する。
更に満月だと、階級が1つ繰り上げられる。
下階梯は中階梯へ。中階梯は上階梯へ。
今日は比較的弱いが、この調子だと4日後にはきっと満月になり、月光は地上を強く照らすだろう。
奴らはこちらの気配を察知することができるらしいので夜は基本下手に外を覗かない方が良い。
目が合ってしまえば、軽い精神汚染を患う危険性があるし、そもそも気色悪い。
あんなもの好き好んで見るのは多分死人か何かだろう。
「あ」
いつものように先行していたリアが何かを見つけたらしく、颯爽と駆け出してゆく。
見つけたのは、錆びたチェーン。
それには、“メレ・ミテラ”と書かれたネックストラップが掛かっていた。
聞き覚えのあるようで、記憶のどこにも見当たらないその名前は、後頭部の奥底をちくんとつつくように、頭痛を引き起こす。
その痛みは、だんだんと強度を増してゆき、針のように細かった痛みはナイフで抉りとられるような痛みへと変貌を遂げていた。
「…ねぇ、大丈夫?顔色悪いよ」
彼女の言葉は耳に届かず、断片的で乱れた映像が何度も何度もフラッシュバックを繰り返す。
どこかも分からない、だだっ広く冷たい部屋。
誰だかわからない、ひと。何故か優しくしてくれる。
無数の目が生えたリング。触ろうと手を伸ばして、届く瞬間に消えていった。
「─────…うぅ」
─────あまりの痛みにおもむろに顔を手で抑える。
せめて視界さえ塞げば、この不快な映像も止まるはずだと。
だがこの映像、もとい記憶は自らに備わっていたものであり、外部からの干渉は無い。
きっとこれは既に呪いとして出来上がった、忌まわしき彼女の記憶なのだ。
馬鹿馬鹿しい。記憶を抑制する自由もないなんて、人間はどれほど不自由なものか。
きっとこの記憶は、欠片でさえも自らを滅ぼす劇物だろう。
だから、せめて、記憶の中でじっと蹲ってくれてれば良かったのに。
─────気分が悪い。
直接的な外傷はないけれど、精神は少しやられてしまった。
少し休息が欲しいが、そんなことも言っていられない。
「…大丈夫、大丈夫。よし、私は私。だから、大丈夫」
自分が何者かも知らないくせに、私は私、等といった妄言が吐けるのは賞賛に値すべき程の間抜けだろう。
「行こう。止まってられない」
今すべきは先を見据えて進む事。
過去の呪縛に足止めされている場合じゃない。
「エネ、本当に大丈夫…?」
「大丈夫よ。心配かけてごめんね」
「かかってなんかない。私は、エネが元気じゃないと嫌」
裾を摘んで訴えかけるリア。
随分と心配をかけてしまったらしく、摘む力は強かった。
「─────沢山心配してくれるリアが好きだよ。本当に大丈夫だから。さ、行こう?」
「…うん。ダメそうだったら、すぐ休んで」
「心配しなくても私は元気だよ。ありがとう」
力こぶを作るポーズでリアにアピールする。
リアは変わらず心配そうだが、その手を取って無理くり進むしかない。
♢
「ここだ」
「みたいだね」
あれから丸5日、多少休みながらも進みようやく到着した。
そこはなんだか古ぼけたようで、尚且つほかの建物よりもなんだか金属感がすごい。
青と緑の線が所々に走っており、それが放つ光はとても淡く、なんだか時代とズレている。
「…研究…所」
入口に貼り付けてあった黒い板には、光の文字でそう書かれていた。
所々線が抜けていたり、かけていたりしたので読みづらかったが文字そのものは今のものだった。
つまるところ、これはごくごく最近まで機能していた場所らしい。
「どーやって開けんのさ…」
「考え中。リアもなんか考えてよ」
「えぇ…」
がっちりと閉まった扉は、力ずくでは到底開けられるものではなかった。
こういうのは大体何かしらの認証をすべきなのだが、こちらとしては認証できるようなものが1つもない。
さて、どうするか。
「エネ、これなんだと思う?」
彼女が指を指した先には斜めに平たい古ぼけたセンサー端末があった。
「─────もしかして。リア、ちょっとさっきの貸して」
「いいよ」
リアはポケットを漁り、ネックストラップを取り出す。
受け取ると、それをその端末にかざした。
すると、
「お」
その穴から少しの光が漏れだし、錆び付いた音を立てて扉が開き始めた。
黒い板には、“タグ認証 コード001.No.1M.m”
と文字が浮かんでいた。
先程見つけたネックストラップは研究員の証だったらしい。
そして、施設の鍵でもあったのだ。
「開いたね…暗くて奥の方は何も見えないけど…」
「エネ、奥にも扉あるかも。行ってみようよ」
驚いたことに、リアの方が乗り気だった。
好奇心を露わにする彼女は珍しい。
「そうだね、とりあえず行ってみようか」
♢
「寒い」
先ほどの入口から徒歩数分、研究所の奥へと進んでゆくとなんだか肌寒くなってきた。
「暗いねぇ…」
入口周辺は蛍光色で照らしていたくせして、この研究所内は一切の光がない。
自前のライトで照らして進むしかないのだが、如何せん光が小さいのだ。探検家のようなLEDライトがあれば万々歳なのだがそんなものは無い。
無い無い尽くしの現状だが、どうにかこうにか進むしかなかった。
「リアはいいよねぇ…夜目が効くから暗いとこも見えてさ…」
彼女は猫の遺伝子と配合させて造られているので、くらいところでは夜目が効く。
そのため、基本的に暗闇の中でも普段と大差ない活動が可能なのだ。
可能なのだが、
「見えるけどさ、結構濁ってるよ。うん、大分見づらい」
「…それ普段から?」
「んーん、暗いとこでだけ」
要するに、夜目状態の時は視界が霞むらしい。
なるほど。
だが、その程度の鎖はあって叱るべきではないのだろうか。
基本、猫の視力というのは人間の10分の1にも満たない程のド近眼。
その代わり、暗闇の中でも先を見ることが出来るという権能と思しき瞳を手に入れた。
リアの場合はと言うと、猫の遺伝子を持っていながら、人間と同等、もしくはその倍以上の視力を持ち合わせている。
遺伝子が交わった時、何らかの進化反応が起きたのだろうか。その真偽を確かめる術はこの世界に残っているのだろうか。
知ったところで何も得にはならないのだが。
つまるところ、彼女は何らかの原因で秀でた視力を持っているが、その代償として、夜目が純粋な猫より劣っているということだ。
まさに一長一短って感じ。
先程から歩くこと数分、暗闇の先に薄い青灯が見える。
歩いてきた時間を考えると、そろそろここは最奥かもしれない。
結局、散々照らして見回してみたりしたけれど風景は変わらず錆びた黒の壁が続くだけだった。
「あ」
進んだ先には、入口と同じようなボードと、その下にはタグ認証の端末があった。
先程見えた青い光は、このボードに浮かぶ文字によるものだったようだ。
「認証待ち…、って事はさっきと一緒だ」
リアは再びポケットへと手を忍ばせ、じゃらり、と音を鳴らしてそれを取り出す。
そして、先程と同じように挿入した。
“タグ認ssssssyコード28█████繝████▃▃▃█████”
「…なにこれ…気持ち悪い」
「気味悪いね…」
画面に映し出される文字は、何故か黒塗りがされていたり、読めない文字に変換されていたりした。
そして、
「うわっ…!」
「なにこれ…」
聞いたことも無いようなけたたましい音が鳴り響き、読めない文字列が赤く光り出した。
その後、真っ黒な画面に戻り白い文字で「再認証」と一言。
再度かざすと、何事も無かったかのように扉は開いた。
「…なんだったの、あれ」
「さぁ…ま、扉開いたしいいんじゃない?」
結局あれはなんだったんだろうか。
これを使っていた人がいれば聞けたのだろう。
もしまだ生きていたとしたら、1つ言いたい。
あそこまで怖くする必要ないだろう、と。
認証扉を歩いてさらに5分ほど、最初で最後の部屋に辿り着いた。
「ここは─────」
チカチカと付いて消えてを繰り返す蛍光灯が照らすその部屋は、複数人が入るには狭く、1人で過ごすには大きな部屋だった。
その景観は真新しく、生活スペースという言葉に当てはまるような初めての場所で、柄にもなく心が踊る。
「住居?じゃないよね。なんか機械類転がってるし、机の上は小物ばっかり」
「でも水道はあるよ。水も出る。まだ断線されてなかったみたい。ホントに最近まで誰かがいたのかもしれない」
「こういうのは初めて…。」
そう思うほどに、生活感に溢れた場所だった。
ほかの建物は壁がなかったり、形だけ残って触ると煤と化し消えてしまうようなものばかりだった。
それなのに、この場所ときたら形あるものが形を保ったまま、その機能をも失っていない。
その辺を見ると、本当に極最近まで誰かが管理していたとしか考えられないような場所をしている。
「ほんとね。あ、見てこれ。研究長っぽい椅子ーって、うわぁっ!?」
「何やってんの…?」
くるくると回る椅子を見つけ、年柄にもない衝動に駆られて椅子を回すと、ついつい机にぶつかり、机の上に重ねられていた大量の紙を盛大にぶちまけてしまったのだった。
「失敬…、───?リア、これ」
軽く呆れながらも拾うのを手伝ってくれているリアとともに床に散乱した紙を拾ってゆくと、なにやら見覚えのある機械の設計図らしきものを見つけた。
「なにー、って、これ…」
「「匣…!」」
2人揃ってその設計図に記してあるものの名前を叫んでしまう。
なんと、偶然拾ったその紙は普段からよく使う匣の設計図だったのだ。
と、
「君たち、それ知ってるのかい」
暖簾で隔てられた部屋から赤い髪の女が顔を出して問うてきた。
「え…だれ」
流石に面食らったのか、リアは引きつった顔で問い返していた。
「……………じゃなくてリア!人!ひと!」
初っ端失礼すぎる態度をとる彼女の目を覚まさせるかの如く、揺さぶりながら久々─────彼女にとっては初めてかもしれない、生きた人間との邂逅に驚く。
「…?」
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