遊び人だけど戦士科

四月。

春の空気に包まれた、公立第一職能高等学校──通称「第一職高」の正門前。

俺は、革のリュックを背負いながら、その門を見上げた。

ふと、小学生の頃を思い出す。道徳の授業で見せられたドキュメンタリー映像。

画面の中で、大剣を片手で振るう戦士──“剣聖”と呼ばれた男が、仲間を背に、魔獣の群れをたった一人で食い止めていた。

あれを見てから、俺の中ではずっと「戦士」がヒーローだった。

けど、中学に入ってからは、そんな気持ちも忘れてた。

「手を抜くこと」を覚えて、それが当たり前になっていた。

だから──、今度こそ本気でやる。

“剣を握る者”になるって、俺は決めたんだ。



“将来、ダンジョンに潜ることを前提とした教育機関。”


それが、この学校の掲げる教育方針だった。


戦士科。魔法科。斥候科。衛生科。生産科、支援科。


合計六つの学科が設置されており、すべての生徒は職業訓練と実戦経験を重ね、三年間で一人前の探索者になるための基礎を学ぶ。


俺が入学するのは、戦士科。

─遊び人なのに、だ。


---


「……やっべ、本当に来ちゃったよ」


溜息まじりに笑う俺を、周囲の目が冷たく射抜いた。


「ねぇ、あれ……」


「マジ? 遊び人のくせに戦士科?」


「物好きってレベルじゃねぇな」


耳に届く声。全部、予想通り。


だが、ここで退いたら、本当に“遊び人”で終わる。


---


体育館に並ぶ入学生たち。

学科ごとに席が区切られていた。


最も多いのは戦士科と魔法科。

斥候科と衛生科は実戦支援職。生産科は裏方として専門性が高い。


それぞれに制服のデザインも微妙に異なり、

たとえば戦士科の制服は生地が分厚く重くて、

斥候科の制服は防音加工と軽装仕様になっているという。


それだけで、この世界では職業が生き方そのものであることを実感させられた。


「お、重い」俺の制服は、戦士科仕様だった。

補正なしの“遊び人”には、着るだけでひと苦労だ。

戦士職の補正のおかげか周りはこんなに重い生地の制服なのに軽々着こなしている。

でも、ちゃんと前を向けた。

---


入学式が始まり、校長の挨拶が壇上から響いた。


「本校の卒業生の多くは、国のダンジョン開拓事業や、討伐部隊、または都市防衛隊へと進んでいます。皆さんが今から歩む三年間は、平和の裏にある戦場への、確かな第一歩です」


ざわつく空気に、緊張が広がる。

「自分のジョブを、己の道具を、そして仲間を信じなさい。

そのすべてが、あなたの命を守る手段となるのです」


─遊び人に、“仲間”はできるのか?

心のどこかで、ふと不安がよぎった。


けれど俺は、それを振り払うように心で呟いた。

「俺はもう、手を抜かない。本気で“戦士”になる」


遊び人が戦士になるなんて、誰も信じてない。

──なら、俺が証明してやる。



-

「――走れ、雑魚ども!」


朝のグラウンドに怒号が響く。


第一職高、戦士科一年。初日の訓練内容は、シンプルにして苛烈だった。


メニュー:

・グラウンド10周(約4km)

・素振り×500

・盾持ちスクワット×50(補助付き)


「これで“軽めの導入”とか冗談だろ……?」


つい口をついて出た愚痴は、吐いたそばから後悔した。

隣を走る男子生徒がちらりと俺を見て、鼻で笑う。


「おいおい、“遊び人”が音上げてんのかよ? 一周目だぞ?」


「…放っといてくれ」

俺のジョブは“遊び人”。

だが俺は今、“戦士”として生きることを選んだ。


走るたびに肺が焼けるようだ。

素振り用の訓練木剣も、妙に重たい。


(くそ……この剣、たかが木だろ……?)


俺は今、遊び人。でも、戦士になると決めた。


木剣が腕に食い込み、呼吸が焼けるようだった。


重いのは、木剣のせいじゃない。


──“戦士職の補正”がない俺には、ただの木の棒すら重いのだ。


(くそ……補正って、こんなに差があるのかよ……)


「いーち!にー!さん!」


素振りの声が、リズムよく響く。

周りの連中はみんな動きにキレがある。力強い。


肩幅、太腿の太さ、腕の太さ、足の速さ─

どれを取っても“運動部出身”みたいな連中ばかりだ。


特に先頭を走るやつなんか、筋肉の塊だった。

(……あれが、たぶんトップか)


(──やっぱり、無理だったのかも)

背中に、また“遊び人”の影がまとわりつく。誰かと肩を並べる資格なんて、あるのか?

そんな気持ちが、頭をかすめた。

けど、そのとき隣から声がかかって──

「お前、なんで戦士科に来たの?」


「…強くなりたいから」


「ふーん。まぁ頑張ってこうぜ。でも、遊び人で?」


─言葉は冷たいが、真っ直ぐだった。

「まぁ細かいことはいいか、俺は“斧使い”志望の天野。よろしくな」


「遊部。よろしく」

初めて、戦士科で名前を名乗れた。


その日の訓練は、ただの地獄だった。

足は棒、手は痛みで感覚がなくなり、頭はずっと酸素不足。


だけど、俺は逃げなかった。

(やっぱり、きつい。でも――)

これが、本気で生きるってことだろ?


訓練の終わり。

ヘトヘトになって、倒れ込むように整列する俺たち一年生に、教官が立ちはだかった。


教官は鋼のような体格をした壮年の男だった。

両腕に刻まれた古傷が、その経歴を物語っている。


「お前ら、今日から三か月は、基礎訓練しかやらん。走って、振って、担いで、叩いて……それがすべてだ」


どよめく生徒たち。

派手な魔獣との戦闘やダンジョンでの冒険を夢見ていた連中は、露骨に落胆していた。


けれど、教官は容赦ない。


「職業レベル、最初の五。これが基準だ。この学校では、レベル5を超えた者から順に、学校管理下の初級ダンジョンに入る権利を得る」


その瞬間、空気が変わった。

「レベル5未満の奴に、実戦の資格はない。逆に言えば、5に届けば、“初級ダンジョン”への挑戦が許される」


誰も、言葉を返さない。

それほどに、教官の声には“現実”の重さがあった。


「お前らの訓練は、3か月の猶予がある。その間にレベル5に届けば、実戦の入り口に立てる。…届かなければなんて考える必要はない。」


背筋が凍るようだった。

(3か月で、レベル5……)


俺は今、まだレベル1。

遊び人として積み上げた中途半端な経験値があるだけで、戦士としては完全にゼロだった。


けれど、決まったルールなら話は簡単だ。

やれば、いい。


「全力で走れ。手を抜くな。素振り一回に、命を込めろ。

―そうすりゃ、レベル5は見えてくる。いいな、戦士ども」


「「押忍!!」」

声が響く。俺も、その中にいた。


(三か月。そこでようやく、スタートライン……)

ようやく“遊び人”から、“剣を握る者”になれるかもしれない。



入学して、一週間。


俺の手のひらは、もう豆だらけだった。


朝は走り込み、日中は素振り、午後は筋トレと体力測定。

帰る頃には身体が鉛みたいに重い。


(……正直、ここまでとは)

まだ戦士職になっていない俺には、戦士特有の「重量補正」がない。

他のやつらが軽々とこなしている盾持ちスクワットだって、

俺にはただの拷問だった。


けれど、不思議と嫌ではなかった。

─これが、本気でやるってことだから。


その日の夜、実家から荷物が届いた。

中には着替えと、応援の手紙。


『無理はするな。でも、手は抜くな。』

『努力は、誰でもできる。誰にでもできることはしっかりやれ』


それは、父が口癖のように言っていた言葉だった。

かつて“神童”と呼ばれていた頃の俺は、その期待に応え続けることが、つらかった。

それで中学の3年間ずっと手を抜いた。


でも、今は違う。

(俺は、続ける。逃げずに、最後までやる)


翌朝。


いつもより早く学校に着いた俺は、まだ誰もいないグラウンドで素振りを始めた。


「いーち……にー……」

誰に見せるでもない。

けれど、振るたびに、確かに“違い”を感じる。


一週間前は、100本で腕が限界だった。

今日は、200本、振れた。


それだけで、嬉しかった。


「…なに早朝から張り切ってんだ、“遊び人”」

後ろから声がして振り返ると、天野がいた。


「目が覚めたからな、どうせやるなら、多く振りたかっただけ」


お前、ホントに遊び人かよ」天野は、からかうように笑ったが、どこか楽しそうでもあった。


「今はな。でも、いずれ“戦士”になる」


宣言のように言ったそれに、天野は口角を上げた。


「なら、次は俺より早く100本終わらせてみろ。…ま、無理だろうけどな」


「無理じゃない。“努力”は、誰でもできるから」


言いながら、もう一度、木剣を構えた。


明日も、明後日も、きっと同じようにキツい。

だけど、この努力が続けられるなら、俺はきっと変われる。


次の日も、いつも通り朝のグラウンドに立っていた。


まだ誰もいない。

空気は冷たくて、靴の音が土に吸い込まれていく。


素振り50本目。

腕は痛い。でも、それ以上に、気持ちは熱かった。


(昨日より、振れる。少しずつだけど、確かに前に進んでる)


そう思っていたときだった。


「…なーんか、毎朝見かけると思ったら、やっぱりお前かよ」

背後から声がして、振り返ると──

そこには、斧使い志望の天野と、何人かの同級生が立っていた。


「遊び人が、毎朝コソ練してたとはな。どうりで、素振りの音に気合入ってると思ったぜ」


「…いや、俺はただ、自分のペースでやってただけで」


慌てて否定しかけると、隣の女の子─体格の良い長身の剣士志望が笑った。

「いいじゃん、そういうの。自分で決めてやってるの、かっこいいよ」


(……っ)


不意に、胸が熱くなった。


これまで、“遊び人”ってだけで冷たい目を向けられることも多かった。

けれど今、目の前のこの数人は、笑っていた。俺と話していた。


「それでさ──朝練、やってんだろ?一緒にやるか?」

天野が言った言葉に、一瞬、言葉が詰まった。


(朝練……そうか。こうやって、仲間とやるっていう発想、なかった)


俺は、ただ一人で黙々とやって満足してた。

自分で頑張ってるつもりで、どこか“独りよがり”だったのかもしれない。


「……うん。お願い、してもいい?」


「おう、歓迎だ。“努力する奴”には、俺ら甘いからな」


皆が笑って、木剣を構えた。


この日から、俺の朝練は“ひとり”じゃなくなった。






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