第22章:未知なる隣人

アルゴスがプロクシマ・ノヴァと名付けられたハビタブルゾーンの惑星へと、満身創痍の船体を引きずるように近づくにつれて、クルーたちの期待と緊張は日増しに高まっていった。イリスの復旧とタイタンたちの再起動により、船体の応急修理は着実に進んでいたが、依然として予断を許さない状況であることに変わりはなかった。生命維持システムの限界とされる6ヶ月というタイムリミットが、彼らの背中に重くのしかかっていた。

「イリス、プロクシマ・ノヴァの最新スキャンデータを更新して」アリアは、ブリッジのメインスクリーンに惑星の拡大映像を映し出しながら指示した。かろうじて機能を取り戻した長距離光学望遠レンズが、惑星の姿を詳細に捉え始めている。

プロクシマ・ノヴァは、青と緑、そして茶色が複雑に混ざり合った、美しい球体だった。極冠には氷床らしき白い部分が見え、広大な海と思しき濃い青色の領域が地表の大部分を覆っている。そして、大陸部には、リアム博士が指摘した植物に似た広大な緑色の領域が、まるで惑星の血管のように広がっていた。

「大気の詳細分析結果です、アリア」イリスの声は、以前の明瞭さを完全に取り戻していた。「主成分は窒素と、未知の不活性ガス。酸素濃度は地球の約70%と推定されますが、同時に、我々にとっては有毒となる可能性のある微量ガスも複数検出されています。呼吸には、高性能フィルターを備えた環境スーツが必須でしょう」

「水分のスペクトル分析は?」

「惑星表面の液体の主成分は、H2O、すなわち水であると確認できました。純度は非常に高いようです。これは朗報です、アリア。飲料水の確保と、将来的には船内での水耕栽培システムの再構築に繋がる可能性があります」

「素晴らしいわ、イリス!」アリアの顔に、久しぶりに明るい表情が浮かんだ。「リアム博士、あの緑色の領域は?」

リアムは、科学ステーションのセンサーデータを食い入るように見つめていた。「クロロフィルとは異なる光合成色素を持つ、全く新しいタイプの植物群である可能性が高いです。その規模と密度から見て、この惑星の生態系の基盤を形成していると思われます。そして…艦長、さらに興味深いデータがあります」

彼は、スクリーンの一部を拡大した。そこには、緑色の領域の中に、幾何学的なパターンを描く、不自然な構造物のようなものが、ぼんやりとだが確かに映し出されていた。

「これは…自然の地形ではありえない…」ハナが息を飲んだ。「まるで…都市の遺跡のようにも見えるけれど…」

「知的生命体の痕跡…ということか?」サムの声が、緊張に震えた。

ブリッジは、再び興奮と緊張に包まれた。もしプロクシマ・ノヴァに知的生命体が存在する、あるいはかつて存在したのであれば、彼らの運命は大きく変わる可能性がある。友好的な文明であれば、助けを得られるかもしれない。しかし、敵対的であったり、あるいは高度な技術を持つ文明が既に滅亡していたりすれば、新たな脅威や危険に直面することになるかもしれない。

「イリス、あの構造物について、より詳細な情報を得られる? 解像度を上げて」アリアが指示した。

「試みていますが、現状の光学センサーの限界です。これ以上の詳細を得るには、惑星の低軌道まで接近し、高解像度スキャンを行う必要があります。しかし、それは同時に、我々の存在を『彼ら』に知らせることになるかもしれません」

「もし『彼ら』がまだ存在するのなら、ね」アリアは静かに言った。「いずれにしても、私たちはこの惑星に降りる必要がある。水と、可能なら食料、そして船体修理のための資源を確保するために。そして、もしそこに知的生命体の痕跡があるのなら、それを調査しないわけにはいかない」

数日後、アルゴスはプロクシマ・ノヴァの衛星軌道に到達した。船体の損傷のため、大気圏突入と着陸は極めて危険な賭けとなる。サムとハナ、そして再起動したタイタンたちは、着陸に耐えられるよう、船底の装甲とランディングギアの補強作業に昼夜を問わず取り組んだ。

その間、イリスは惑星表面の詳細なスキャンを続けた。その結果、驚くべき事実が次々と明らかになった。例の幾何学的な構造物は、惑星の赤道付近に集中しており、その規模は地球の古代都市を遥かに凌駕するものだった。しかし、それらの構造物からは、いかなる生命活動の兆候も、人工的なエネルギー放出も検出されなかった。まるで、何らかの理由で放棄された、壮大な廃墟都市のようだった。

さらに、イリスは惑星の広範囲に、微弱ながらも規則的な電磁波信号を検出した。それは自然現象では説明がつかないパターンであり、何者かによって意図的に発信されている可能性が高かった。

「この信号は…非常に古いもののようです」イリスは分析結果を報告した。「数百万年、あるいはそれ以上前に発信されたものが、今も宇宙空間を漂っているのかもしれません。しかし、その信号パターンは極めて複雑で、現在の我々の知識では解読不可能です。ただ…その波形には、ある種の…『警告』のようなニュアンスが含まれているように感じられます」

「警告…?」アリアは眉をひそめた。「何に対する警告だというの?」

「それは不明です。しかし、この惑星には、我々がまだ知らない、何か重大な秘密が隠されているのかもしれません」

クルーたちの間には、期待と同時に、言いようのない不安感が広がっていた。プロクシマ・ノヴァは、彼らにとって希望の地となるのか、それとも新たな罠となるのか。

着陸準備が整った。アリアは、最初の降下チームの編成を発表した。アリア自身が指揮を執り、サム、リアム博士、そしてエヴァ医師が同行する。ハナはイリスと共にアルゴスに残り、船の制御と上空からのサポートを担当する。再起動したタイタン3体のうち、最も状態の良い2体が、降下チームの護衛兼作業支援として同行することになった。

「皆、準備はいいわね?」アリアは、降下艇のハッチ前で、完全装備のクルーたちを見渡した。「何が待ち受けているか分からない。常に警戒を怠らず、互いを信頼し、そして必ず生きてアルゴスへ戻ってくること。いいわね?」

クルーたちは、力強く頷いた。彼らの目には、恐怖を乗り越えた決意の色が浮かんでいた。

降下艇「カロン」は、アルゴスの船体からゆっくりと分離し、プロクシマ・ノヴァの未知なる大気圏へと突入を開始した。船体が激しい熱と振動に包まれる。窓の外には、オレンジ色に輝く空と、眼下に広がる緑と青の大地が見えた。

そして、カロンは、イリスが事前に選定した、比較的地盤の安定した平原へと、慎重に着陸態勢に入った。その平原の先には、あの謎の廃墟都市が、まるで巨大な墓標のようにそびえ立っているのが見えた。

彼らは、ついに、未知なる隣人の領域へと足を踏み入れたのだ。

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