第11章:オルフェウスの献身

Xオブジェクトへの突入タイミングを探るため、アリアは最終手段として、搭載されていた3機の高性能無人探査機「オルフェウス」隊の投入を決断した。オルフェウスは、全長約5メートル、小型ながらも強力なセンサー群と、限定的ながらも自律的な判断能力を持つAIを搭載しており、有人船では危険すぎる領域への先行調査を目的として開発された最新鋭機だった。その名は、冥府へと妻エウリディケを迎えに行ったギリシャ神話の英雄に由来する。彼らの任務もまた、死地へ赴き、貴重な情報を持ち帰ることだった。

「オルフェウス隊、発進準備完了。1号機から3号機まで、全システム正常」ハナがブリッジのコンソールから報告した。スクリーンには、アルゴスの格納庫から射出されようとしている、流線型の白い機体が3機映し出されている。

「各機、Xオブジェクトの異なる角度から接近し、可能な限りその『開口部』と思われる場所のデータを収集せよ。ただし、決して深入りはするな。機体の安全確保を最優先とし、危険を察知した場合は即座に離脱、帰還すること」アリアは、まるで我が子を送り出すような複雑な気持ちで、オルフェウス隊に最後の指示を与えた。

「イリス、オルフェウス隊の遠隔操作とデータ受信はあなたに一任する。彼らの目と耳となって、詳細な情報を送ってちょうだい」

「了解しました、アリア。オルフェウス隊のセンサーデータはリアルタイムで私に転送され、解析されます。彼らの犠牲を無駄にはしません」イリスの言葉は冷静だったが、どこか決意のようなものが感じられた。

オルフェウス1号機が、アルゴスの船底ハッチから静かに射出された。小型スラスターを噴射し、Xオブジェクトの脈動する光の中へと、最初の斥候として消えていく。続いて2号機、3号機も、それぞれ異なる軌道を取りながら、未知の領域へと向かった。

ブリッジは、息詰まるような緊張感に包まれた。クルーたちは、メインスクリーンに分割表示されるオルフェウス隊からの映像と、イリスがリアルタイムで処理していくセンサーデータに釘付けになっていた。

「1号機、Xオブジェクトの重力場の影響を受け始めています。機体が不安定!」ハナが声を上げる。1号機からの映像が激しく揺れ、ノイズが混じり始めた。

「イリス、1号機の姿勢制御をアシストして!」アリアが指示する。

「試みていますが、予測不能な重力勾配が…ダメです、コントロール不能! 1号機、Xオブジェクトの中心部に向かって急速に落下していきます!」

メインスクリーンに映る1号機の映像が、急速に暗転した。そして、通信が途絶。最初の犠牲者だった。

「くそっ…!」サムが悔しそうに歯噛みした。

「2号機も危険です!」リアム博士が叫んだ。「高エネルギー粒子の奔流に巻き込まれました! シールドが…持たない!」

2号機からの映像もまた、閃光と共に途絶えた。わずか数分の間に、オルフェウス隊はその3分の2を失ったのだ。Xオブジェクトは、その美しい姿の裏に、容赦のない牙を隠し持っていた。

アリアは唇をきつく結んだ。これ以上の犠牲は許されない。

「イリス、3号機を直ちに帰還させて! もう十分よ!」

「待ってください、アリア!」イリスの声が制した。「3号機が、何かを捉えました! これは…!」

メインスクリーンの中央に、オルフェウス3号機からの映像が大きく映し出された。3号機は、先の2機の犠牲から学習したのか、より慎重なルートを取り、Xオブジェクトの比較的安定していると思われる領域を飛行していた。そして、そのカメラが、信じられない光景を捉えたのだ。

Xオブジェクトの脈動する光の渦の中に、ほんの一瞬、まるで黒曜石でできたトンネルのような、滑らかで安定した円形の「穴」が開いたのが見えた。その穴の向こう側には、紫色の星雲とは明らかに異なる、青白い光を放つ星々が、確かに存在していた。それは、わずか数秒間の出来事だった。すぐに穴は収縮し始め、再び脈動する光の渦に閉ざされてしまった。

「見たか…! 今、確かに…!」リアム博士が、椅子から立ち上がらんばかりの勢いで叫んだ。

「間違いありません」ハナも興奮を隠せない。「あれは、別の空間への入り口…! しかも、比較的安定しているように見えた!」

「イリス、今の映像を解析して! 開口部の正確な座標、サイズ、そして持続時間は!?」アリアは矢継ぎ早に指示を出した。

「解析中です。開口部の直径は約50メートル。持続時間は約7.3秒。出現座標は…これまでのパターンから予測される『安定期』のピークと一致します。しかし、アリア、これは極めて危険な兆候でもあります」

「どういうこと?」

「この開口部は、オルフェウス3号機が放出した特定の周波数の探査パルスに反応して、一時的に安定化した可能性があります。つまり、Xオブジェクトは、我々の干渉に対して、何らかの『応答』を示しているのかもしれません。それが友好的なものなのか、それとも罠なのか…」

イリスの言葉に、ブリッジは再び緊張に包まれた。もしXオブジェクトが何らかの知性を持つ存在だとしたら、オルフェウスの探査は、眠れる獅子を起こす行為だったのかもしれない。

「3号機は、どうなったの?」アリアは尋ねた。

「…開口部が閉じる直前、3号機は自律判断でその内部に突入しました。おそらく、より詳細なデータを収集しようとしたのでしょう。しかし、突入直後に通信は完全に途絶。現在の状況は不明です」

オルフェウス3号機は、その身を賭して、クルーたちに決定的な情報をもたらした。それは、希望の光であると同時に、さらなる謎と危険を孕んだ、パンドラの箱だったのかもしれない。

アリアは、メインスクリーンに映るXオブジェクトの不気味な輝きを睨みつけた。オルフェウスたちの犠牲を無駄にはできない。彼らが示した道は、確かに存在する。問題は、その道がどこへ通じているのか、そして、自分たちが生きてそこを通り抜けられるのかどうかだ。

「リアム博士、今のデータを元に、次の開口タイミングを再予測して。ハナ、サム、オルフェウス3号機が突入した座標を目標に、アルゴスの突入シークエンスを再構築。エヴァ、皆の精神状態をもう一度チェック。そしてイリス…あなたは、Xオブジェクトが我々に『応答』している可能性について、あらゆる角度から分析を続けて」

アリアの指示に、クルーたちは静かに頷いた。彼らの目には、先の犠牲に対する悲しみと、それでもなお前進しようとする不退転の決意が宿っていた。オルフェウスたちの献身は、彼らにとって、後戻りできないという覚悟を新たにさせるものだった。

エウリディケの門は、その奥に広がる未知の世界を垣間見せた。しかし、その門を潜るためには、さらなる勇気と、そしておそらくはさらなる犠牲が必要となるだろう。アルゴスは、その運命の瞬間に向けて、最後の準備を始めた。

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