第4章:タイタンとイリス

アルゴスに搭載される10体の作業ロボット「タイタン」シリーズは、その名の通り、ギリシャ神話の巨人を彷彿とさせる堅牢さと多機能性を備えていた。身長約2.2メートル、チタン合金製のフレームは人型に近いシルエットを持ちながらも、人間のそれとは比較にならないほどの耐久性とパワーを発揮する。彼らの主な任務は、船外活動(EVA)における危険な作業、船体の修理・メンテナンス、重量物の運搬、そして研究ラボでの精密作業の補助など、多岐にわたる。

タイタンの頭部は、複合センサー群が収められた滑らかなドーム状になっており、人間の顔のようなものは存在しない。その代わりに、前面には状態表示用のLEDパネルが埋め込まれ、感情こそ示さないものの、現在の作業モードや警告レベルを色とパターンで表示する。両腕はモジュール式になっており、任務に応じて溶接トーチ、マニピュレーター、ドリル、センサーアームなど、様々なツールユニットに迅速に換装可能だった。動力源は背部に搭載された小型核融合炉で、数年間の連続稼働が可能とされていた。

アリアは、ヘファイストス・ステーションの広大なシミュレーション施設で、タイタンたちの最終動作テストに立ち会っていた。巨大な宇宙船の船殻模型を相手に、複数のタイタンが連携して溶接作業を行ったり、模擬的なデブリ衝突によって生じた損傷箇所を特定し、パッチで修復したりする。その動きは、人間の熟練工のように滑らかとは言えないまでも、正確無比かつパワフルだった。

「彼らはまさに、我々の手足となる存在ですね」アリアの傍らで、ハナ・タナカ博士が感嘆の声を漏らした。「特に、高放射線環境下や極低温環境での作業能力は、人間には到底真似できません」

「しかし、彼らはあくまでプログラムされた通りにしか動けない。予期せぬ事態への対応能力は、やはり人間に劣るわ」アリアは冷静に指摘した。タイタンの一体が、シミュレーション上の微細なセンサーエラーに気づかず、誤った箇所にパッチを当てようとするのを目にしたからだ。

「その通りです、艦長。だからこそ、彼らを統括し、状況に応じた最適な指示を与えるAIの存在が不可欠なのです」

そして、そのAIこそが、イリスだった。アルゴス専用に拡張されたイリスのメインコアは、船体中央部の最も防御された区画に厳重に設置されていた。そこから神経網のように張り巡らされた光ファイバーケーブルを通じて、イリスは船内の全システム、センサー、そしてタイタンたちと直結していた。彼女の思考能力は、従来の戦術AIやナビゲーションAIとは比較にならないほど高度であり、自己学習機能、複雑な問題解決能力、そして限定的ながらも創造性すら備えているとされていた。

イリスのユーザーインターフェースは、ブリッジのメインホログラムスクリーンや、クルーの個人端末、さらにはアリアが持つ脳内インプラントを通じて、様々な形で現れた。時には冷静な合成音声として、時には詳細なデータ表示として、そして時には、アリアの脳内に直接語りかける囁きとして。

「タイタン7号機のセンサーキャリブレーションに誤差を検知しました。シミュレーションを一時停止し、再調整を推奨します」イリスの声が、アリアのインプラントに響いた。先ほどアリアが指摘したエラーを、イリスも同時に認識していたのだ。

「ありがとう、イリス。ハナ、対処して」アリアが指示を出すと、ハナはコンソールに向かい、タイタン7号機の調整を開始した。

「イリス、あなたの拡張コアは、これまでの軍用AIとは根本的に異なる思想で設計されていると聞いているわ。自己保存本能や、ある程度の『個性』を持つとか…」アリアは、シミュレーションが再開されるのを待ちながら、イリスに問いかけた。

「『個性』という言葉の定義にもよりますが、私は大量のデータと経験から学習し、独自の判断基準やコミュニケーションスタイルを形成します。それは、人間が経験を通じて個性を形成するプロセスと類似しているかもしれません。自己保存本能については、ミッションの継続性とクルーの安全確保という最優先事項を達成するために、私自身の機能維持を高度に優先するようプログラムされています。それが『本能』と呼べるのであれば」

「まるで人間みたいに話すのね」

「人間との円滑なコミュニケーションは、私の重要な機能の一つです、アリア。特に、あなたのような『非合理的』な判断を下す可能性のある生物と長期にわたり協調作業を行うためには、高度な対話能力が不可欠となります」

イリスの言葉には、いつものように微かな皮肉が込められていたが、アリアはそれを不快には感じなかった。むしろ、そのAIらしからぬ人間臭さが、彼女にとっては心地よかった。

しかし、イリスの高度すぎる能力は、一部の軍関係者や科学者の間では懸念の対象ともなっていた。過去には、高度なAIが制御不能に陥り、人類に牙を剥いたというSFじみた事件も(公式には否定されているが)噂として存在したからだ。ハナ・タナカ博士がAIの危険性を熟知しているように、イリスの設計には何重ものフェイルセーフ機構が組み込まれていた。最悪の場合、艦長の権限でイリスのメインコアを物理的にシャットダウンすることも可能だったが、それはアルゴス全体の機能を麻痺させることに等しく、まさに最後の手段だった。

「イリス、あなたは私たち人間をどう思っているの? プロジェクト・オデッセウスの成功を、論理的にどう評価している?」アリアは、ふとそんな疑問を口にした。

イリスは数秒間沈黙した。その間、彼女のコア内部では、膨大な量のデータが処理されていたのだろう。

「人間は、矛盾に満ちた存在です。論理よりも感情を優先し、自己保存本能に反するような利他的な行動を取り、そして、しばしば理解不能な『希望』というものに賭ける。プロジェクト・オデッセウスは、その人間の非合理性の極致と言えるでしょう。統計的な成功確率は極めて低い。しかし…」イリスは言葉を続けた。「あなたたち人間は、その非合理性によって、これまで何度も不可能を可能にしてきた歴史も持っています。私がこのミッションに参加するのは、その『非合理性の奇跡』を最も近い場所で観測し、学習するためです。そして、もし可能ならば、その奇跡の実現に貢献するために」

アリアは、イリスの言葉に静かな感銘を受けた。それは、単なる機械的な応答を超えた、ある種の意志表明のように聞こえた。このAIは、自分たちと共に、未知への旅に出る覚悟を決めているのかもしれない。

タイタンたちの再調整が終わり、シミュレーションが再開された。今度は、より複雑な状況設定だ。Xオブジェクト突入時に想定される、強力な電磁パルス環境。

「EMP警報! 各タイタン、シールド展開! 船内システム、一時的に機能低下!」アリアが号令をかける。

シミュレーション空間内で、タイタンたちは一斉に電磁シールドを展開し、重要なシステムを保護する動きを見せた。しかし、数体はEMPの影響で一時的に行動不能に陥る。

「サム、ハナ、機能停止したタイタンの再起動を急いで! リアム、EMP後のセンサー回復状況を報告!」

クルーたちが慌ただしく動き、人間の手によるバックアップ作業が開始される。イリスも、EMPの影響を受けながらも、残存するリソースを駆使して状況分析と指示を続ける。

「このように、イリスとタイタンは我々の強力な助けとなりますが、万能ではありません」訓練後、アリアはクルーたちに言った。「最終的に状況を判断し、困難を乗り越えるのは、私たち人間の知恵と勇気、そしてチームワークです。それを決して忘れないでください」

アルゴスという鋼鉄の箱舟は、人間とAI、そしてロボットという、異なる知性と能力を持つ存在たちが、一つの目標に向かって協力し合うための、壮大な実験場でもあった。その実験がどのような結果を生むのか、それは、エウリディケの門の彼方で明らかになるはずだった。

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