青い空のリグレット

山崎 葉

青い空のリグレット

 ガシャガシャと音を立てた引き戸の向こうから染みついた線香の香りがした。

 祖母の家に来た、という実感はこの匂いが大半を占めている。

 大型連休の影響か、普段よりも一時間ほど時間をかけ、ここに来るまで車で七時間。そのあいだに五月の空は少しずつ夜の支度を始めていて、玄関はもう薄暗い。

 おかあさーん、母の声が廊下に響いて数秒経って、奥の扉が開く。祖母が顔を出した。

「ああよう来たな」

 エプロンで手を拭う祖母の後ろから何かを揚げる音が聞こえる。夕飯の準備をしてくれていたのだろう。

愛菜まなちゃんも大きなったなぁ、春から中学生や言うてたもんなぁ」

 祖母が菜箸を持ったまま手を振る。愛菜は振り返して言った。

「おばあちゃんこんばんは」

 父と母に続いて靴を脱いだ。玄関には祖母のサンダルと、見覚えのある小さな靴が一足あった。マジックテープの上に「まもる」と書かれたそれは端っこで綺麗に揃えられている。

 祖母の家の隣に住んでいる物静かな小学三年生の男の子。ここに来たのは二年ぶりだから今は五年生ということになる。


「おじゃまします」と愛菜はダイニングのフローリングから仕切りを跨ぎ、隣の和室の畳を踏んだ。

 線香の香りが一層強くなり、そこへ花の匂いが混ざってくるのを感じる。

 自分の背丈よりも高い立派な仏壇が視界に入る。そこには見覚えのある顔が二つ並んでいた。

 優しい二人の微笑みが愛菜の鼻の奥に熱を感じさせる。

 愛菜は二人のことを「まもるくんのパパとママ」、そう呼んだ。


 夏休みや冬休みにここへ来るたび、一緒に遊んだ記憶が蘇る。

 バーベキューや餅つきをするときは決まって祖母は隣に住む守たち家族を誘った。

「みんなでやったほうが盛り上がる」という祖母は、そう誘う前から守たちを入れた人数分の食材を用意していた。祖母はそういう人だった。

 守の両親は愛菜にも優しかった。「愛菜ちゃん焼けたよ」と肉を皿に入れてくれたし、初詣に一緒に行ったとき、お参りの仕方を教えてくれた。


 当時小学五年生の愛菜はクラスメイトに目をつけられ、嫌がらせをされていることが原因で学校を休みがちになっていた。その年の夏休み、母から愛菜の現状を聞いた祖母から「気晴らしにおいで」と電話があり、乗り気ではなかったが、愛菜は父と母と共に祖母の家に向かった。

 バーベキューのあと、みんなで割ったスイカを食べていた愛菜の隣に守の母が座った。

「愛菜ちゃんは勉強、好き?」

「え、嫌い、だけど、どうして?」

「運動は?」

「運動も苦手だから嫌い、かな」

「じゃあ学校は?」

「・・一番嫌い。嫌いな子が、いるから」

 守の母はうんうんと微笑みながら頷いた。

「じゃあ何が好き?」

「え、アニメ観るのが好き、だけど」

 すると守の母は愛菜の頭を撫でて言った。

「嫌いなものに囲まれたときは好きなものを思い浮かべるの。それが愛菜ちゃんの味方になってくれるからね」

 きっとキョトンとした顔をしていたのだろう。その隣にいた守の父もこちらに微笑みながら「そういうことだよ」と付け加えた。

 夏の空がどんどん高く広がって、、空の青と雲の白がはっきりとしだして、手に持ったスイカが軽くなり、口の中に遅れて甘さが来るような、その一言が愛菜の心を覆った膜を剥がした。

 おばあちゃんが心配してたから、と守の母は言った。

『年寄りなんかよりも若い子たちの話のほうが今の子には良いに決まってるからね』

 祖母がそう言ってくれていたということを後になって知った。

 

 色んな話をしてくれた二人とは違って物静かな少年が守であった。当時九歳、人見知りで、「お父さん」「お母さん」と言って常にどちらかの横で、じっとしている子だった。

 麦わら帽子から少し出た前髪は汗で張り付き、蚊に刺された柔らかな二の腕を掻きながら、不器用にスイカの種を取るその仕草が、無性に愛しく思えた愛菜は本当の弟のように声をかけた。

 最初はなかなか会話も続かなかったが、それでも虫刺されの薬を塗ってあげたり、川に蟹を取りに行ったり、手持ち花火の長さを競い合ったり、そうしていくうちに守も徐々に打ち解け「愛菜ちゃん」と呼び、守から声をかけてくることも増えた。

 本当のお姉ちゃんみたいだなと守の両親も笑っていた。


 来年も遊ぼうねと約束していた。けれど父の仕事が忙しく、その後の二年間は会うことができなかった。愛菜はまた会えるからと深く考えることはなく、でもまた会いたいなと思っていた。


「愛菜、座って」愛菜が父と母の隣に正座すると母がりんを鳴らして手を合わせる。目をギュッと瞑った。

 愛菜は二人の葬式にもお通夜にも行けなかった。高熱が原因でずっと家にいた。だから今日ここにくるまで二人がもういないことへの実感が湧かなかった。でも目の前に並んだ二人の写真、本当にいなくなってしまったのか。それでも実感など湧くはずがなかった。

 あの日、当たり前の光景であった二人の微笑みに挟まれて笑っている守が、閉じた目の中に浮かぶ。

 愛菜は二人の顔を思い浮かべながら「守くん」と呟き、もう一度手を合わせ目を閉じた。



 ご飯が炊けるまで待っててよ、祖母は言いながら人数分のお茶を和室の机に並べた。

 外はもう真っ暗だった。

「お母さん、明日の式は朝の八時からやんな?」

 母が言った。

「そうや。小雨でも中止。でも明日は晴れるんやって。それが唯一の救いやな」

 祖母は救い、というわりには悲しそうにボソボソ言った。


 護雨式ごうしき

 それが祖母の住む村の、古くからの行事の名前だということ、どうしてそれが始まったのか、何のために始まった式なのかを愛菜は母に聞かされていた。


 昔、梅雨の時期、この町には前例がないほどの大雨が降り、多くの被害と犠牲者が出たという。川が氾濫し、土砂崩れが起こり、村の心臓である農作物を全てを飲み込んだ。

 恵みの雨、と呼ばれる農作物などを育てるための雨への感謝を日頃から怠ったせいだ、残った村人の一人がそう言うと、他の村人も一斉に「そうかもしれない」と同意し、奇跡的に原型を留めていた村唯一のやしろへ向かい、空への謝罪と感謝とお祈りをしたという。

 その翌年の梅雨は前年よりも快晴が続き、翌々年もそれ以上に快晴が続き、農作物を育てるには十分の雨だけが降り、村の復興は順調に進んだと言われている。

 それから数十年、祖母が小学生になる前から今日まで、村人の全員が集う大切な式になったのだという。


「予報が変わらないことを祈るばかりですね」

 父は湯呑を口につけてから本当に祈るように言った。

「そうやなぁ」と祖母は深く息を吐いてから続けた。「そやけど、ここ最近は村を出ていく人も増えたし、新しい人も増えたから、なかなか同じ日にみんなが集まることも出来んようになって、式自体もどんどん簡略化してきてる、それも心配なんよ。だから今年は一人でも多く、そう思ってあんたらを呼んだんや。風化してる、それが駄目なんや、って神様が言うとしたらあんまりやけどな」

 祖母はそう言ってから仏壇に並ぶ二つの写真を見た。


 去年の六月。数十年ぶりの豪雨がこの村を襲った。被害は甚大だった。川は氾濫し、土砂崩れが各地で起こった。あの日のようだったと古くからの村人が言っていたという。

 祖母は川から離れたこの家にいて、ちょうど遊びに来ていた守と二階に上がっていて無事だった。ただ守の両親は川沿いにある工場で仕事をしている最中だった。

 いつもなら帰ってくる時間帯に「ちゃんと帰るから心配しないでね」と工場から電話があり、守の父と母が交互にそう伝えた。

 スピーカーにしたスマートフォンの受話口の向こうでは激しい雨の音が鳴っていて「気をつけるんやで、雨を甘く見るんやない」祖母が二人にそう言って、守は「気付けてな」と不安そうに、でもちゃんとそう伝えたということを、愛菜も母から聞いて知っている。


 そのすぐ後だと言う。工場に大量の水が流れ、逃げ切れなかった守の父と母も飲み込まれた。

 祖母はその日を思い出すように、そして悔やみきれないと目を閉じ、鼻から息を吐いた。


 ピピピ、ピピピと炊飯器の音がする。

「ああ炊けたみたいやな・・ご飯にしよか」

 祖母は軽く手をパンと鳴らし立ち上がった。愛菜もそれにつられて立ち上がる。

「おばあちゃん私も手伝うよ」

「ありがとう、でも大丈夫。ほら香夏子かなこ、あんたが手伝い」

 わかってるよ、と母が立ち上がる。父も立ち上がったが「さとしくんは座っててね。運転で疲れてるでしょ」と止めた。

「おばあちゃん、私、守くん呼んでくるよ・・」

 愛菜がそういうと祖母は少し考えてから「あの子、あれからほとんど部屋を出てないんや。トイレは二階にもあるから降りてこんし、学校にも行けてない。私が寝た後は降りてきてるみたいなんやけどな」

 ここに来る前からずっと気になっていた。たぶん守は部屋にいて、癒えることのない傷とずっと時間を共にしてるのではないかと。

 来てすぐに守に会いたかった。でもどう声をかければいいのかわからず、ずっと胸が騒ついていた。それらしい理由でもあれば部屋に行けるのにと愛菜は機会を伺っていた。

「・・でも私、行ってくるよ」

「そう? ・・じゃあお願いしよかな」

 祖母は愛菜の頭にポンと手を乗せた。


 守のいる部屋は昔に母が使っていた部屋だと聞いていた。2階にある。階段を上がって目の前の扉がそうだ。

 愛菜はその前に立つ。

 ――守くん・・

 この薄い扉が果てしなく分厚く重そうに感じる。祖母が何度もノックした、その音と想いはこの扉に吸い込まれ、部屋の中まで届かなかった。

 ――よし。

 愛菜がノックをしようと扉に手を伸ばした時、扉がこちらに向かって開いてきた。

 つま先にドアがコツンと当たる。扉の向こうでも何かを察知したのか、扉はそこで止まる。

「ま、守くん・・?」

 その隙間から部屋の中を覗いた。

「え、愛菜ちゃん?」

 あの頃あっていたよりも髪の伸びた守が耳に差したイヤホンを取りながら言った。そして、扉の向こうに広がる景色に愛菜は目を開いた。それに守も気づいて慌てて扉を閉めようとする。

「待ってよ!」

 反射的に出した足を隙間に入れることに成功したその代償に挟まれた足首に衝撃が走る。

「いてっ!」

 守はすぐに扉を開けて「ごめん! 大丈夫・・?」と愛菜の足元にしゃがんだ。

「へいきへいき! こっちこそいきなり開けてごめんね。でも守くん、それ」

 そう言って愛菜が指を差した先には数え切れないほどの、てるてる坊主が床に並んでいた。


「てるてる坊主作ってたんだ」

「うん」

 部屋に入れてくれた守は、机もテレビもない母が空っぽにしたままの、カーペットだけが残された部屋の真ん中に座っている。愛菜もその隣に座った。

「明日晴れてほしいもんね」

 愛菜はてるてる坊主の一つを掴んだ。守は愛菜の言葉に返事をせずに、もうすでに、黙々と、またてるてる坊主を作り始めていた。

「ねえ私も手伝っていい?」

「ううん大丈夫、僕一人で作るから」

「気持ちは一緒なんだら誰が作っても一緒だよ。ほら貸して」

 愛菜はティッシュを何枚か引き抜いて丸の形を作り、その下を輪ゴムで縛った。

「愛菜ちゃんは明日の式のために来たん?」

「そうだよ。あと守くんにも会いにきたの」

「ぼくに・・?」

「そう。心配だったから・・。ねえ守くん、私に出来ることがあったら教えてね」

「・・うん、ありがとう」

 守は愛菜に微笑んだ。ぎこちなさはあったが笑ってくれたことに愛菜は安堵して、それからは口よりも手を動かした。

 二十分ほどが経った頃、守から口を開いた。

「愛菜ちゃん、ありがとう。こんだけあれば十分やよ。お礼にジュース、入れてくるから待ってて」

「え、降りても大丈夫?」

 ずっと降りていないのに大丈夫なのだろうか。

「うん。パパとママがな、お礼はちゃんとすること。自分がされたら嬉しいことをしてあげなさいって。だからジュース入れてくるから」

 守はそう言って立ち上がり、「待ってて」と部屋を出た。

 ありがとう、と言った愛菜は守が座っていたところに何かが落ちているのに気付いた。

 ――ワイヤレスイヤホン??

 守がつけていたものだ。何を聞いているんだろう、拾って耳に近づけた。

「え」

そこから聞こえてくる音に、愛菜はただそうこぼした。必死に作り続けたてるてる坊主がいくつも床に転がっている。

「守くん・・」

 イヤホンの向こうには、猛烈に降り続ける雨の音が流れていた。



 護雨式当日、快晴だった。

 慣れない枕であまり眠れなかったのに、窓から差し込む朝陽が青い空に映えすぎていて、気分が晴れやかになる。

 よかった、晴れたんだ。

 愛菜が和室に向かうと守以外はみんな起きていて「おはよう」と挨拶をした。

 みんな晴れたことに安堵している。守の両親の写真も朝陽に柔らかく照らされていて嬉しそうだ。

「よし。みんなで朝ごはんを食べよか。守ちゃんはまだ寝てるんかな」

 祖母が言った。昨日結局、守は夜ご飯には降りてこなかった。どうしてもやらんといけんことがあるから、と断った。それでも「明日の朝ご飯は降りて食べるから」と守がそう言ったから愛菜は無理強いはせず、その言葉に頷いた。

「昨日、私と守で、今日のためにてるてる坊主を作ってたの。窓際に吊るす作業はどうしても一人でしたいっていうから、私は先に寝たんだけどね、結構な数だったから夜遅くまでやってて、寝るのが遅くなっちゃったのかも」

 私呼んでくるよ、そういって愛菜は守の部屋に向かう。

 本当は確かめたいことがあった。あの豪雨の音、あれはなんだったんだろう。結局聞くタイミングを逃してしまったから、今日の護雨式の前にどうしても聞いておきたかった。どうしてあんなものを聞いていたのかと。


 ノックを三回し「守くん」と呼びかけた。

 ――反応がない。

 もう一度ノックをし名前を呼ぶ。やはり反応がない。開けるよと言いながらドアノブを回して引いた。

「まもる・・くん?」


 扉を開けると、こちらに背を向け、正座した守が視界に入った。それと同時に信じられないものが目に飛び込んできた。

 正座する守の正面、窓のカーテンレールに昨日二人で作った大量のてるてる坊主が、逆さに吊るされていた。

 背後に気配を感じたのか、守は振り返り、そこに愛菜がいることに気づいた。その目から涙がこぼれている。

「愛菜ちゃん」

「守くん、どうしたのこれ」

 守は耳からイヤホンを外した。きっとそこにはあの音が流れているに違いないと愛菜は思った。だから部屋に入ってきたことに気付かなかったのか。

「晴れちゃった」

 振り返ったまま守は言った。

「そうだよ。晴れたんだよ。守くんの作ったてるてる坊主が晴れさせてくれたんだよ」

 ではなぜ逆さに吊るしているのか、それの説明がつかないと愛菜は言いながら思う。守は何も言わずに窓の方へ向き直り、ただ青い空を見つめている。

 晴れなければよかったのか?

 それを守の父と母も望んでいたことだったのか、愛菜はわからなくなってたまらず聞いた。

「晴れちゃダメな理由でもあったの?」

 愛菜は守の斜め後ろに座りながら言った。

「せっかく来てくれた愛菜ちゃんには言えん」

 そういって両膝に置いた手に涙をいくつか落とした。

「怒んないから、言ってよ」

 その手に愛菜は自分の手を合わせる。

「・・」

 守は何も言わない。込み上げてきているものが喉の奥で鳴っている。

「守くん、昨日聴いてた雨の音と何か関係があるのかな」

 言ってよかったのか。きっと守は隠したいことのはずだった。でもどうしてこんな大切な日に。そう思うと言葉が口から出ていた。

 次の沈黙を愛菜はずっと待った。

 これ以上は守を責めるだけかもしれないと思うその直前に、守は声を出した。

 

「雨の日は、お父さんとお母さんの声が、聞こえるの」

 独り言のように言った。

「声が、聞こえる?」

「あの日、ちゃんと帰るから心配しないでって、その向こうで、すごい雨が降ってたの。まるで雨の音の中にお父さんとお母さんの声が聞こえるみたいな」

 あの日とは、守の両親が働く工場を襲った昨年の豪雨のことだろう。守はぽつぽつと言葉を続けた。言葉を探すために途切れても愛菜が頷くと守はまた続けた。

「それから雨の日になるとその雨の音の中にお父さんとお母さんの声が聞こえるの。すぐ帰るからねって、あの日と同じ声が聞こえるの。・・僕もわかってる。でも帰ってきてくれそうな気が、する」

 まだ小さい守は護雨式のことをどれだけ理解しているのだろう。

 何度かは参加したことがあるだろうし、きっとあまり意味もわからず両親に倣って手を合わせたこともあるはずだ。

 雨を降らせなくする儀式、その程度の理解であれば今の守にとって護雨式は両親との唯一の繋がりを断つ儀式と思っていてもおかしくはない。守の行動からしておそらく雨の日が中止ということも両親や祖母から聞いたことがあったのだろう。

 護雨式は雨を止めるものではない、昨年のような災害級の雨が降らないことを祈る式であることを愛菜は守に伝えようかと考えた。

 いや、そういうことではない気がする。守にとっては雨の日が両親と繋がる唯一のきっかけだ。ただその機会を一回でも奪ってしまうかもしれない式の話などするべきではないと思った。


「だから昨日は雨じゃなかったから、あの音を聞いていたの?」

 動画サイトに雨の音ばかりを流し続ける動画があるのを知っていた。

「うん。でもあれじゃあ聞こえへんの。いつかは聞こえるかなって、ずっと聞いていたけど、本物の雨じゃないとダメ」

 よく見れば守の耳が赤く腫れている。ずっとイヤホンを差し込んでいたからか。もしかしたら、聞こえないと思い、耳の奥へと押し込んだのかもしれない。


「それに晴れた日は、お父さんとお母さんが見えそうで怖いんだ」

「見えそう?」

「うん。晴れてると空が高くにあるでしょ。だからお父さんとお母さんが天国にいるのが見えちゃいそうで怖いんだ」

 

 守は両親の死を受け入れているのか、そうではないのか。愛菜にはわからなかった。ただ守にとって晴れの日は両親の死を受け入れざるをえない日なのではないか、そう感じられた。


「守くん、ごめんね」

「どうして愛菜ちゃんが謝るの」

「私、晴れたほうがいいって勝手に思い込んでた。守くんにとって雨の日は辛い日で、晴れの日が前向きになれるんじゃないかって。でも雨の日は守くんにとって大好きなお父さんとお母さんと話した、さい・・、ううん、とても大切な日だって想像することもできたのに。私馬鹿みたいに守くんの気持ちとは全然違うほうへ背中を押しちゃってた。辛かったよね。気持ちが一緒だ、なんて言って。本当にごめん」

 守は首を横に振った。

「大丈夫。一緒に手伝ってくれて嬉しかった。僕も本当のこと言わんでごめん」

 守はこっちをちゃんと見て頭を下げた。

 それにね、と守は続けた。

「嫌なことに囲まれたら好きなものを思い浮かべるといいって教えてくれたの」

 愛菜は聞き覚えのある言葉に目を開いた。

 守は「お父さんとお母さんが教えてくれたの」、と言って続ける。

「注射が嫌な時は、終わった後にお母さんが作ってくれる大好物の海老フライを思い出す、水泳が嫌な時は、帰ってから食べるスイカを思い出す、授業で間違えて笑われたら、好きな漫画を思い出す、学校で意地悪してくる奴がいたら、いつも面白いお父さんを思い出す、それがみんな僕の味方なんやでって教えてくれたの」


 愛菜は思い出す。学校に行けないとき二人がそう言ってくれたことを、その言葉がきっかけでまた学校に行けるようになったこと、そしてそのお礼を直接言いたかったことを。

 そんなことを思っていると、ぼそっと、でも確かに守はそう言って、小さく肩を震わせた。

「お父さんとお母さんがいなくて嫌な日は、お父さんとお母さんのこと、思い出すの」

 いつだって味方だったんだ。当たり前だろう。愛菜は思う。年に数回しか会わない愛菜にも優しく接してくれたあの二人だ。自分たちの子どもにはこれ以上ない愛情で接していたに決まっている。それを証明するように守も優しい子だった。


「守くん、私ね、きょう護雨式行かないから」

 守の頭を撫でながら言った。

「え、でもそのために来たんやないの」

「お父さんとお母さん、それにおばあちゃんたちには行ってもらうよ。今年も来年も誰も悲しまないようにお祈りしてきてもらう」

 でもね、と愛菜は続けた。

「私はここでお祈りするよ。守くんのそばに一日でも多くお父さんとお母さんがいてくれますようにって」


 見上げれば開いた窓の向こうに青空が見える。そこに浮かぶ雲のように逆さに吊られたいくつものてるてる坊主が風に揺れていた。守の祈りは届かなかった。いや、今日は、届かなかっただけだ。愛菜はそう思う。

 ――明日は雨を降らせてくれるよね?

 愛菜は心の中から問いかけた。

「守の味方ならさ、助けてあげてね」

 窓から入り込む風は守の髪の毛を撫でてから愛菜の頬に触れる。


 気温のわりには、少しだけ涼しい風がてるてる坊主を揺らしていた。

 

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青い空のリグレット 山崎 葉 @yamasaki_yoh

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