第6話 “杖無し”

 “杖無し”


 カノダリア国としての正式な表現は、“非魔力保持者”という。


 先天的要因か後天的要因かに関わらず、魔力が一切無い人間。

 かつて魔法を使用するのに杖が必要だった時代に生まれた言葉だ。

 魔力が無いため杖を持つ必要がない──故に“杖無し”と呼ばれるようになったと言われている。


 「非魔力保持者」は人口の約0.1%がいるとされており、彼らにはつい20数年前まで人権などなく、最低限の教育も受けられず、就職や結婚といった普通の生活を送るなんてことは許されていなかった。


 魔力が無い者は嫌悪と嘲笑の対象で、“杖無し”が生まれることは一家の恥だった。

 “杖無し”とわかれば、産まれてすぐに捨てられたり消されたりしたことも、当時では特別珍しい話ではなかったし罪にもならなかったらしい。 


 時代は進み、非魔力保持者への差別禁止が法で明文化され、それが正しいことだと世間の価値観は変わっていった。


 でもそれは、あくまで建前上の話だ。


 実際のところ、法整備されたからといって、人々に深く根付いた非魔力保持者への差別意識がすぐに消えるわけではない。


 今も、非魔力保持者は国の補助がなければ最低限の生活も維持できないような者が大半だという。

 非魔力保持者の犯罪率はそうでない者に比べて高いという統計も出ている。

 非魔力保持者に対する世間の目は、決して優しいものではない。


 “杖無し”は世界を憎み、どこまでも卑屈で、「不幸な我々」には救いの手が差し伸べられるべきだと信じて受動的に支援を待つだけ、そして、自分達の利益のためならば、他人を害することを厭わない人間だ。


 私はそう、思っている。


………………


「──今日はもう終業時間近いしね。明日、他の係に挨拶しに行こうかなと思ってるよ」


 そう言ってカギモトは、数冊のファイルやクリップ留めした紙資料をソナの机に置いた。


「これはね」とその資料を指さそうとしたカギモトの体が不意に近づき、

「……っ」


 ソナはびくりと身を震わせた。

 驚いたカギモトと意図せず目が合う。

 カギモトは一瞬複雑そうな表情でソナを見つめたが、唇を引き結ぶとすぐににこりと微笑んだ。

 

「……これは総務係の業務のマニュアルとか、俺が作った資料だよ。とりあえず終業まで、これとか読んでいてくれたらいいかな」

「……はい」


 近くにいるだけで心臓は圧迫されているように苦しい。

 ソナはカギモトと視線を合わせることを避け、とりあえず机に重なる資料に手を伸ばす。


 資料の間に、他のファイル等とは趣の異なる紫色のノートが挟まれていた。 


 「あっ」と小さく声を上げたカギモトが、そのノートを素早く引き抜くと、自分の引出しにしまいこむ。


「あ……ごめんね、これ俺の個人的なやつだった」


 なんで混ざっちゃったんだろ、と呟きながら引出しに鍵まで掛け、取り繕われたような笑みを浮かべる。

 個人的なノートに興味などないが、ソナにはカギモトという人間に対する不審さが募っていく。 


「えっと……、あ、ちょっと窓口行ってくるね」


 窓口に客が来たことを察したカギモトが受付カウンターへと駆けていった。

 ソナは詰めていたようやく息を吐いた。


「あの、ソナさん」


 小声で呼ばれ、はっとする。ソナの向かいの席のナナキだった。


「改めて、よろしくお願いしますね。教育係はカギモトさんですけど、困ったことがあったら私達にも何でも聞いてくださいね。──ね? ティーバさん」


 水を向けられたティーバは、キーボードを打つ手をぴたりと止める。

 太い黒縁眼鏡の位置を指先でほんの少しだけ直し、ほとんど空気のような声で「うん」と答えた。


「……ありがとうございます」

「あ、あのっ」


 緊張感を帯びた別の声が後ろから聞こえた。

 振り返ると、短い水色の髪が目立つ男性職員が、やや赤い顔で立っていた。


「あの、俺、トレック・バウハーっていいます。この係は2年目で君と歳も近いだろうし、えっと、その……俺にも何でも聞いてくれていいから!」


 トレックと名乗った若い職員は、確かに歳のほどはソナと同じくらいに見える。


「ありがとうございます」というソナの儀礼的な挨拶にも、大きな口でにかっと笑った。


「セヴィンさんは自分から挨拶とか行かない人だし、代わりに俺が紹介しとくね」

「セヴィンさん……?」

「さっきのうるせえ探索士を一喝した人だよ。ほらあそこ。俺の隣の席なんだけど」


 トレックはソナ達とは違う島の自分の席を指差した。

 確かにその方には、高い技術の魔力制御を披露してみせた、少し年上の職員がいた。

 こちらの会話は聞こえる距離だろうが興味はないらしく、眉間に皺を刻みながら黙々と仕事をしている。


「セヴィン・イダエウスさん。元探索士のすげえ人だよ。ちなみにあとは、明後日まで休みの人と長期研修でしばらくいない人がいる。それとゴシュ係長」


 トレックは指を折りながらぺらぺらと喋る。


「あとは……あー、ヘルベティアは一応総務係付きか?でも所長秘書だしノーカウントで、ソナさんいれて総勢9名!」

「……ありがとう、ございます」


 トレックが一方的に説明した内容で、セヴィンが元探索士という言葉だけがソナの耳に残った。


 確かにあの魔力を見れば納得がいく。


 しかしセヴィンと、まだ会っていない人物を除けば、その他の総務係の職員は、係長のゴシュを含めて魔力量は平凡の域を出ないようだとソナは感じ取っていた。

 グリフィス魔法専門学校を出た身としては、やはり残念なものがあった。


 この西部遺跡管理事務所総務係は、他の部署から「掃き溜め」と呼ばれている。

 

 具体的な理由をソナは知らない。

 ただ、採用前からまことしやかに囁かれる噂を耳にはしていた。


 “とんでもなく仕事ができない職員がいる。過去に大変な問題を起こした職員がいる。他人と意思疎通ができない人間がいる。”


 そんな人間が、ここにいる面々の誰かに当てはまっているのかもしれない。その真偽のほどはわからない

 とにかくこの職場に魔法の適性が低い者が多い、ということは確かだろう。


 だがまさか、“杖無し”がいるとは、聞いていなかった。というか、ありえないことだ。


「なにか、心配事でもありますか?」


 ナナキが気遣わしげに声をかける。

 何でも聞いてくれて良いと、ナナキもトレックも言ってくれた。


「……」


 尋ねたいことはあった。


 窓口対応をしているカギモトの背中が視界に入る。

 

 なぜ“杖無し”なんかが普通に働いているんですか。


 そのことについて、誰からも何の説明もないのはどうしてですか。


 しかし、それを口にするのは社会的に許されないということくらいわかっていた。

 説明がない、ということは、つまりは受け入れろということなのだろう。

 

 だからソナは、「いいえ」と目を伏せただけだった。


 終業のチャイムがどこか呑気な音で鳴り始めたが、ソナの鬱屈とした気分が紛れることはなかった。

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