地平線を望む丘で後日談

「凄いね。真っすぐで果てが見えない道路初めて見たよ」

「北海道ならではの景色だな。この先が楽しみだ」

「うん!」


 浜松を発って十日。

 北海道の道東にある、全長約六キロの直線道路。中標津なかしべつミルクロードを隼人とつばめは走っていた。


 今回北海道を訪れた目的の一つが、ライダーの聖地とも呼ばれている、この先にある展望台だ。


 二人がいる場所も、小さい雲が少々浮かんでいるくらい。雨が降る気配は微塵も感じられなかった。

 爽快という点で、この上ない天気。


 日本列島の半分以上が梅雨前線に覆われている中、北海道のほとんどの地域で快晴の天気が続いている。

 梅雨の長雨を避ける為に北海道へ行く。

 その判断は間違っていなかったと隼人は確信する。


 とはいえ、バイクごと北海道に渡るには船に乗らなければならないが、追っ手に捕捉されれば最後。逃げ場がない状態が長時間続く上に、待ち伏せもしやすいフェリーは可能な限り使いたくない。

 使うにしても短時間で済ませたい。


 なので二人は本州最北端の大間までバイクで移動し、そこからフェリーで津軽海峡を越え函館に渡っていた。

 函館で撮影と休日を済ませ、四日かけて中標津にたどり着いていた。


 その間、昴大からの連絡は一回もなかった。

 本州を北上していた四日ほどは、何かにつけて二人とも心配していた。

 しかし、便りがないのは良い頼り。


 撮影を挟んだ事もあって、北海道に渡ってから隼人はあえて昴大の事を話題にはしなかった。

 昴大の陰口を叩いているような感じがして、自分に嫌味を覚えるからだ。

 つばめも同様だった。


 幸い北海道の雄大な景色と、日本の食糧基地と呼ばれるほど豊富な食材を使った料理や菓子の数々は、世知辛さを忘れさせるくらい二人を魅了し続けてくれていた。


「隼人。一つだけわがまま言って良い?」


 展望台の建物がある丘の麓まで来た。

 そのタイミングでつばめが遠慮がちに口を開く。


「……お姫様の仰る事ならなんなりと」


 相手が不快になるほどのわがままをつばめは決して言わない。

 それを知っているからこそ遠慮はするなと隼人は、あえて緊張の欠片もない、茶化した物言いをする。


「馬鹿。……あのね。展望台の屋上に着くまで風景を見たくないの。バイクを降りたら目をつむるから、屋上まで連れて行ってくれないかな?」


 可愛いかよ!

 隼人は心の中で叫ぶ。

 自分の甲斐性を証明する好機でもある。

 隼人は即座に答えた。


「いいぜ。なんならお姫様抱っこして連れて行ってやろうか?」

「……」

「お、俺が悪かったから。無言で殴るのは勘弁して」


 走行中に両手を離すのは当然危険だ。

 ジェットヘルメットの中で頬を膨らませたつばめが、手加減されているとはいえ、右手で隼人の背中を何度も殴る映像がバイザーに投影されていた。


「馬鹿。……ソフトクリームを奢ってくれたら許してあげる」


 つばめの心の根底には、揺るぎない隼人への愛がある。

 なんだかんだ言っても、つばめは隼人に甘いのだ。当然逆も同じ。

 双方が相手に対し、微塵も痩せ我慢をしていないからこそ、冗談を言い合いつつ良好な関係を築けている。


 隼人とつばめの稼ぎは渡り鳥チャンネルから出ている。同じ財布を握っているも同然なので、実質的に隼人に損はない。

 つばめの支払いが隼人の実になれば、それでプラマイゼロだ。

 罰に見えて、罰でも何でもない。


「ああ。良いぜ。好きなのを食ってくれ。なんならドーナツも名物らしいから、それをつけても構わないぞ」

「ありがと。ドーナツは分けっこね」


 やがてバイクは展望台近くの駐車場に到着した。

 目を閉じた状態で階段を歩くのは通行の妨げとなるし、もちろん危険だ。

 なのでつばめは、展望台の建物の屋上に至る直前まで、地面や床を見続けた状態で進んだ。


「ほら」

「うん。ありがとう」


 展望台の階段を残り数段昇れば、地平線の大パノラマが見られる。

 他人の通行に配慮しながら隼人は、つばめを振り返り右腕を伸ばした。

 隼人の手をつばめは左手で掴んだ。

 その後で、安心しきった顔でつばめは両目をつむる。


 藤倉家という籠から解き放たれた事で、生命力に満ち溢れていると言えばいいのだろうか。


 清楚可憐な女もそれはそれで唆るが、やはり隼人の一番の好みは、自分で未来を切り拓く能力と活力を備えた女である。

 隼人から見てつばめは、好みを地でいく女だ。

 手放したくないと心底思える。


「あと一歩だ」

「風が凄く強いね」

「さえぎる物がないからな。……もう少し歩くぞ」

「うん。いいよ」


 かくいう隼人も、展望台からの風景を楽しみにしていた。

 高層ビルや電波塔などが一切ない、正真正銘の地平線が眼前に広がっている。

 晴天という最高の天気と、初めて目にする地平線の光景は、想像以上に隼人の心に響いた。


 強めだが許容内の風。太陽の光など。

 写真や映像では感じられない要素が心を震わせるからこそ、現地に直接足を運ぶに勝る体験はない。旅先での食事も同様。

 それを隼人は実感する。


 自分らの仕事はチャンネルの視聴者に、現地に行きたいと思わせるきっかけを作る事にあるのだと、改めて再認識した。

 手を繋いだまま隼人は、地平線が最もよく見える場所へ愛する妻を連れていく。


「……見た感じ、ここが一番良さそうだ。目を開けてもいいぞ」

「やるって言っておいてなんだけど、なんだか凄くドキドキする。……じゃあいくよ三、二、一。……わぁ」


 目を開けた瞬間、つばめは感銘の声を上げる。

 日本では北海道でしか目にする事が出来ない地平線だ。謳い文句にあるように、地球が丸い事を実感する。


 それにここでのお楽しみは地平線だけに留まらない。

 本日は隣のキャンプ場で一泊する。

 今夜は満点の星空が。明日は地平線から昇る朝日が見られるかもしれない。


 少し先の未来に思いを馳せつつ、しばらくの間、稀有の風景を眺めた。

 つばめと手を離す事なく。


「……私たちの未来も。昴大さんたちの未来も。これくらいはっきり見通せれば良いのにね……」


 望むべくもないが、決して諦めてはならない願望をつばめは、隣にいる隼人だけに聞こえる声量で言った。


「……未来が見通せないからこそ頑張るんだろ」

「うん。もちろんだよ。……隼人とずっと一緒にいたいから。一緒に色んなものを見たり、食べたりしたいから私は頑張れる」


 つばめが決意を新たにした瞬間、バランスを崩すくらい強い風が吹いた。

 同時に隼人のスマホが着信を告げる。


「スマホに着信だ。……もしかして!」

「もしかして!」


 父親の直也に、高校時代の友人。レースチームの元同僚に、動画配信サービスの会社など。

 隼人のスマホに連絡してくる人間は限られている。

 それほど頻繁に連絡を取る訳でもない。


 そんな中で、マナーモードに設定してある隼人のスマホが振動を繰り返した。

 昴大の話をした事で、隼人の脳裏に昴大の顔が思い浮かぶ。同時に若干の懐かしさを隼人は覚えた。


「これが風の便りというやつか」

「違うと思う」

「そこは同意する流れだろ」

「そんな事より、早く見てよ」

「……分かったよ」


 渾身の冗談を否定された隼人は渋面でスマホを取り出し、画面を見た。

 一通のメールが届いている。

 差出人は予想通り昴大だった。


「先輩からのメールだ」

「何々、なんて書いてあるの?」


 食い気味につばめが問う。

 地平線を背景に隼人は、つばめに画面を見せながら操作する。


 隼人がメールを開いた瞬間、肩を寄せ合う二人の間を風が吹き抜けていった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

駆け落ち系配信者の俺と嫁 世乃中ヒロ @bamboo0216

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ