第6話 旅は道連れ その二
下田の名物は水揚げ日本一の金目鯛。
日本で消費される金目鯛の、およそ八割が下田産という一大産地だ。
旅動画を配信するという事は、訪れた場所の自然や文化を紹介すると言い換えられる。
各地の自然と食文化が融合し、形を成した名物料理。これを避けて通る事は、二人が配信する上で不可能な事である。
という訳で、二人の昼食はもちろん金目鯛一択であった。
直也への返信を兼ねた一回の休憩を挟みつつ、二時間弱で二人は下田に到着した。
到着した時は午前十時過ぎ。
金目鯛が食べられる店はまだ開店しておらず、昼食を摂るには早かった。
開店まで何をするか。
二人の場合は当然、動画の撮影だ。
撮影の計画はとっくに定まっており、後はそれを実行に移すだけ。
金目鯛の他に、下田と切っても切り離せないのが黒船来航の歴史だ。
まずは海沿いにある、黒船関係の施設で撮影をした後に昼食。
それを済ませてから、ロープウェイでしか行けない、山頂の見張所跡などで再び撮影する。
下山後に、黒船を模した観光遊覧船に乗って、三度目の撮影を行う。そんな予定をつばめは道中で立案していた。
「お待たせ致しました。金目鯛の刺身定食と煮つけ定食になります」
和風の装いの店内。
着物姿の若い女性店員と中年女性の店員が両手持ちのお盆で、二人が頼んだ品を持って来た。
座敷に座る隼人の前に刺身定食が。
つばめの前に煮つけ定食の品々が配膳されていく。
「わぁ。美味しそうな色。……あ、あの。これ録画しても良いですか?」
撮影する前に許可を取る。
不特定多数相手に商売をしている以上、ここは公共の場でもあるが、基本は完全な私有地である。
昨今、やっていい事と駄目な事の区別もつかない配信者は残念な事に、珍しい存在でなくなってしまった。
動画配信者以前の、良識ある人間としてのマナーを忘れない姿勢に隼人は、流石は俺の嫁だと自慢したい気持ちになった。
ビデオカメラが入ったバッグは、隼人の左横に用意されている。メモリーカードの有無やバッテリーの残量などは、料理を待っている間に確認済みだ。
「はい。構いません。他のお客様のご迷惑にならない範囲ならどうぞ」
つばめの配膳をしていた若い店員が、穏やかな笑みで答えた。
料理をスマホのカメラで撮影する。
彼女たちからしてみれば、スマホの普及が日常茶飯事にした光景なのだろう。食事店だけに。
慣れた所作で店員は対応する。
「ありがとうございます」
「ご注文はお揃いでしょうか?」
「はい。揃っています」
「では、ごゆっくりどうぞ」
つばめとのやりとりの後、軽く一礼してがら若い店員は去った。
「隼人。お願い」
「あいよ」
慣れた手つきで隼人は、それぞれの定食を二秒くらい撮影し、カメラを置いた。
料理は美味しい内に食べないといけないは、二人の不文律の一つだ。
温かい物は温かい内に。
冷たい物は冷たい内に。
料理が美味しい時間を無駄にするのは、素材の金目鯛と作ってくれた人への冒涜でしかない。
映像は編集で引き延ばせば良いし、声は別撮りで対応出来る。
美味しい内に料理を味わう。食事する時はそれを第一に考えるべき。
名物であろうとなかろうと、料理を頂く際の二人の意見は一致している。
つばめもまた、自身のスマホで写真を撮影していた。
文章投稿型のSNSで、チャンネル宣伝に使う為の写真を撮っているのだろう。
「撮れた?」
「……ああ。問題無い。そっちも撮れたのか?」
隼人は手早くボタンを操作し、映像が保存されているのを確認した。
「こっちもばっちりだよ。どっちも撮れたのなら早く食べよう。……頂きます!」
「……」
つばめは声に出して。隼人は心の中で唱えながら合掌した後で箸を伸ばす。
最初はもちろん刺身からだ。
赤い皮が残る刺身の上にわさびをほんの少し盛り、それを醤油につけて食べる。
わさびが刺身の旨さを引き立てる上に、醤油に溶かさない事で、わさびそのものの風味も損なわずに感じられる食べ方だ。
駆け落ち放浪生活の中で訪れた、とある和食店で教わった方法である。
「うん。美味い」
とろけるような脂の乗りと甘さが口一杯に広がる。地産地消だけあって、とことん新鮮な身は歯ごたえも抜群である。
「刺身美味しい? 半分食べてから取り替えっこね」
「もちろんだ。煮つけも美味そうだな」
「凄く美味しいよ」
つばめが一口食べた金目鯛に目を落とした。
生粋の日本人だからか。金目鯛の煮つけを見るだけで脳のどこかが刺激され、ご飯が進みそうになる。
(先に煮つけを頼めば良かったな……)
隣の芝生は青い。
軽い後悔が隼人の頭を過るも、相方も同じ事を考えているのか。
隼人の刺身を物欲しそうに凝視しているつばめがいた。麗しい桜色の唇は、若干尖っているように見えなくもない。
「そんな食い意地張った顔をするなよ。清楚な人だと思っていたのにとか言われて、お嫁にいけなくなるぜ?」
「隼人こそ同じ顔しているから。……いいもん。もしそうなったらお義父さんの後妻になるから」
「それは俺が困る。一つ下の母親なんて気まずいにも程がある。いろんな意味で」
浮気。不倫など。裏切りの代名詞と言える単語が、隼人の脳内で思い浮かんだ。
「また変な事想像してる〜」
「これ以上は無しだ。黙って食え。先に刺身食っていいから」
上下左右に前後と。
ラグビーボールの如く、融通無碍に弾む会話が、食事処ではご法度な方向に変わりつつある。
そう判断した隼人は、名物料理で話を打ち切ろうとした。
言いながら隼人は、刺身が乗った皿をつばめの方へ少し押し出す。
「良いの!? じゃあ私の煮つけも食べて良いよ」
同様につばめも煮つけの皿を押す。
「では遠慮なく」
「私も貰うね」
一言断りを入れてから隼人は、煮つけへと右手の箸を伸ばした。ボクシングのカウンターのようにつばめも、右手を刺身皿に向ける。
日本人としての本能が命じるままに隼人は、煮つけを白米の上に乗せた。
煮つけの身が乗った部分ごと箸で持ち上げ、口へと運ぶ。
熱が加わった分、歯ごたえは失われるものの、かえしと渾然一体となった脂が温められて供される。
刺身と一味違う脂の旨さが舌鼓を打つ。
期待を一ミリも裏切らない味だった。
「思った通りこれは、米と一緒に食べるのが大正解だな」
「刺身も美味しい。ほっぺた落ちる〜」
「これはやばいな。病みつきになる」
「だね!」
味噌汁や漬け物なども忘れずに味わう。
恋人同士、心を通じ合わせながら料理を味わう。二人にとっての、至福の時間が流れていた時だった。
店の自動扉が開き、来客を告げる電子音が店内に鳴り響く。
「いらっしゃいませ。お一人様ですか?」
二人に料理を運んだ内の、若い女性店員が対応する。
「一人です。カウンターで良いので」
その後で、隼人が聞き覚えのある男性の声が聞こえて来た。
反射的に隼人は出入り口に顔を向けた。
「かし……」
「先輩!?」
かしこまりました。そう言おうとしたと思われる店員の声を遮って、隼人が大きめの声を座敷から発した。
客として入って来た男も、隼人の声に驚きを隠せない反応を見せた。
「……もしかして隼人か!?」
短い茶髪。黒いライダースーツの下は、見るからに鍛え上げられている。
隼人の声に呼応するが如く、見るからに体育会系で面倒見が良さそうな印象の、先輩と呼ばれた男が目を丸くしながら声を上げた。
一歩一歩、地面の固さを確かめるように男は、隼人とつばめの座席へと歩み寄って来た。
どう対応すれば良いか分からない。
そんな様子で立っていた女性店員は、別の座敷にいた客に呼ばれ、反射的な動きでそちらに向かった。
「久しぶりだな。隼人。ここで出会うなんて思ってもいなかったぞ」
隼人とつばめの座敷まで来た男は、偶然の再会を喜ぶ笑顔で言った。
「それは俺も同じですよ。金目鯛を食べに来たはずなのに、先輩と出会うなんて」
「?? 隼人の知り合いの人?」
男の来店以降、一瞬で蚊帳の外に弾き出されたつばめが、二人の顔を見やりながら問うた。
「ああ。この人は
「隼人も抜け目がないな。突然レーサーを引退したと思ったら、こんな
嫉妬などの邪気を感じさせない昴大が、右手で隼人の背中を強めに叩いた。
「先輩にも良い人が見つかりますよ」
「なにおう!」
怒り皆無の声で昴大は、隼人に軽めの裸絞を掛ける。
「それは俺みたいな独身アラサーへの当てつけか? 彼女持ちだからって調子に乗りやがって」
「そんな意味で言ってませんて」
やんわりと首を絞められた隼人は、弁明の言葉を口にしながら、つばめの様子を伺う。
「……」
女の勘なのか?
単に、二人きりの時間を邪魔されたというだけでは無い。
何かしらの含みを宿した、どこか冷ややかな目でつばめは、プロレスごっこをしている男二人を見つめていた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます