第2話 俺たちの生きる道 その二
流石は温泉旅館である。
温泉と美味い料理。畳の上の布団と相まって、キャンプ二連泊で蓄積した疲労をたった一泊で、きれいさっぱり洗い流してくれた。
「お世話になりました」
二人の前途を暗示しているのかは分からないが、梅雨入り前の空は雲一つ無く晴れ渡っていた。
旅館の玄関前で隼人とつばめは、見送りに来てくれた、着物姿の女将さんたちに頭を下げた。
「頑張んなさいよ。あとこれ」
女将さんは隼人に歩み寄り、何かが入ったレジ袋二つを手渡した。
包装紙に包まれた物が一つずつ入っている。
それなりの重みがあった。
「おにぎりよ。お腹が空いたら食べてね」
「そんな。お金を払っていないのに、そこまでしてもらう訳には」
「良いのよ。もう作っちゃったんだから。投げ銭と思って受け取りなさい」
彼女の笑顔の奥に隼人は圧を感じた。
受け取るか受け取らないか。二つ選択肢があるように見えて実質は一択だ。
「……では、ありがたく頂きます」
いらないと固辞するのもどうか。
作ってくれたからには、彼女の好意を素直に受け取るべきなのだろう。
袋を手渡してから女将さんは、隼人の右に立っているつばめに向き直った。
「つばめちゃん。またここの温泉に入りたくなったら、いつでもいらっしゃい。大歓迎よ」
女将さんはつばめの右手を握手すると、左手の平で包みこんだ。
応えるようにつばめは、女将さんの右手の甲に自身の左手を重ねる。
互いの温もりを伝え合っているかのような握手だった。
「はいっ。絶対にまたきます」
屈託のない笑顔でつばめは、女将さんに再訪を約束する。
「画面越しで見るよりずっと良い子だね。大事にするんだよ」
「もちろんです!」
女将さんの言葉に隼人は、即座に力強く答えた。
たまたま入った温泉旅館の女将さんが偶然にも、二人のチャンネルを登録してくれていた。それには、驚きよりも嬉しさが上回った。
一億人以上の人口がいる中で、十万人の中の一人に遭遇する。
低くはないが、決して高い確率でもないからだ。
つばめが全く望んでいない、前時代的な許婚との結婚を強要されているのも、女将さんは知っていた。
しかもアンチではない、好意的に受け止めてくれている方の登録者であるのは、二人への対応を見れば一目瞭然だった。
見ず知らずの土地に行って、チャンネルのファンと出会える喜び。
動画配信者ならではの愉悦だった。
旅館を発つ時も、チャンネルで繋がっているという事実が、別れの悲しさを相殺以上にしていた。
隼人は速度を落として走った。
道路まで見送りに来てくれた女将さんたちにつばめは振り向いて、姿が見えなくなるまで左腕を振り続けていた。
「良い宿だったな。バイクも特別に、外から見えない場所に置かせてもらったし」
つばめが前を向くまで待って隼人は、インカムを通して語りかけた。
二人の特殊な事情を鑑みた女将さんが、経営者である自分の夫に進言してくれたのである。
そのおかげで、いつも以上に気兼ねせずくつろげた。
「そうだね。それに女将さんが、他の人にチャンネルを勧めてくれたようだから。隼人、絶対にまた帰ってこようね」
「帰ってこようって。自分の家じゃあるまいし」
「良いでしょ別に。実際に我が……私たちの家みたいにくつろげたんだからさ」
「……」
女将さんからの配慮はもちろんの事、風呂つき個室だったのも大きいだろう。
肩肘張らずに二人で過ごせたのだから、家みたいという点に関しては頷けた。
つばめが我が家と言いそうになったのを言い換えた理由について、隼人は分かっていて触れない選択肢を選ぶ。
「そうだな。……それでこれからどこへ行こうか? そろそろ新しい動画も撮らないといけないからな」
先日遭遇した追っ手を撒いた二人は、行方をくらますことを第一に行動した。
この三日間は、大きく迂回などしながら人目につかない道と、何もない山奥にあるキャンプ場で寝泊まりした。
追跡と待ち伏せを警戒しながら。
温泉宿に泊まったのは、溜まった疲れを癒やすのと、動画編集する為という二つの意味があった。
今日こそ太平洋を見たいという、つばめたっての希望により、とりあえず南に向かって進んでいる。
旅先で解説するからには、訪れた地域の歴史や文化などについて、色々と勉強する必要がある。なので行先は、解説役のつばめが決める事が多い。
「……伊豆半島なんてどう? まだ一回も行ってなかったから」
緊張が窺える、固い声でつばめは次の目的地を提案する。
「伊豆……」
新幹線を使わずとも、敵の本拠とつばめの実家がある東京まで日帰り圏内。
伊豆半島と聞いて一つの懸念が隼人の頭をよぎった。無意識に体が強張る。
恋人の案を肯定するか。否定するか。どっちが正しいか分からず、隼人は押し黙ってしまった。
「……それは、私だって不安だよ。東京から日帰りで行けるんだから。でも、旅のチャンネルを配信しているのに、国内でも有数の温泉地と観光地の伊豆に行かないのはやっぱり変だよ」
「それは一理あるが……」
「それに、いざとなれば隼人が、この前みたいになんとかしてくれるだろうし」
「他力本願か!」
反射的に即答した。
つばめの声に、先ほどまでの重苦しさは感じられない。
「さっきの意地悪のお返しー」
隼人は軽く鼻で笑う。
これはこれで正解だな、と。
屈託なく笑うつばめの声に隼人は、真剣に考えるのがバカバカしくなった。
新幹線でも。東海道本線でも。
東京から熱海まで、乗り換え無しに行けるとはいえ、距離も相当にある。神奈川県の全てを横断するのだから。
それに今や、日本全国に追跡の目は散らばっている。
狭い範囲に長居しないことに気をつければ、いつも通りで大丈夫。必要以上にストレスを抱えても仕方がない。
「下手にごちゃごちゃ考えるのは止めだ。つばめのナビがあれば、普通の道なら幾らでも振り切れる。それよりも、お前と一緒にいる時を楽しみたい」
「そうそう。一度きりの人生だし。私たちの今が特殊なのは間違いないけど、だからといって、楽しまない手はないよね。……愛しているよ。隼人」
「俺もだ。愛している」
キス出来ないのが残念だ。愛を語りつつ隼人は、シールドに映っているつばめの顔を確認する。
同じ事を考えているのだろう。つばめもまた、悶々とした表情で隼人のヘルメットを見つめていた。
その時、つばめの後方から一台の車が接近するのが見えた。
かなりの速度で、黒いSUVがバイクの背後についた。また奴らか? 隼人は警戒の度合いを一段上げた。
「つばめ。後ろの黒いSUVが見えているか?」
「うん。私のカメラにも映っているよ」
二人のヘルメットは、カメラやバッテリーを内蔵し、シールドに後方の映像を投影させる機能を備えている。
値段は張るし重くなるが、バッテリー切れや故障しない限り、いつでも後方を確認する事が出来る優れ物だ。
「一気に距離を詰めて来やがった。……見た感じ連中の手下じゃ無さそうだが、念の為警戒しておいてくれ」
「分かった」
一分ほど隼人は観察を続けるも、音楽を流しているのだろう。
歌を口ずさみながら運転している若い男や、助手席の女はドライブを心から楽しんでいる。ただそのようにしか見えない。
尾行する人間は、徹底的に自らの気配を隠すものだ。
煽りまがいの接近や、音量までは分からないが音楽をかけるなどはしない。
携帯電話で連絡を取ってもいなかった。
この前遭遇した奴らの姿と照らし合わせるも、行動がまるで一致しない。
それらの事から隼人は、十中八九、無関係な車だと思った。
「隼人の言う通り、私たちの追っ手じゃなさそうだね」
「だな。間違いないだろ」
二人の予想通り、黒いSUVは幹線道路同士の交差点を左折していった。後続はいない。
隼人は一息ついた。
熱海などの地名が記された案内標識に従い、隼人は交差点を直進する。
「……私たちも、あれくらい気兼ねなく歌ったり笑える場所が出来たらいいな」
落ち込み、寂しげな声でつばめは、目指すべき未来を口にした。
その顔は、先ほどのSUVが去った方向に向けられている。
「来るさ。何が何でも引き寄せる。お前と俺で」
相棒の様子を気にしながらも隼人は、前を見据えながら決然と言った。
大地震のような出会いだったが、今はつばめと共に生きていく事について、いささかの揺らぎもない。
この先どんな障害が行く手を阻もうと、自分の運転技術とつばめの案内で乗り切ってやる。
改めて固く、隼人は誓いを立てた。
「……そうだね。私たちの未来だもの。二人で引き寄せないと」
言ってつばめはそっと、隼人の背中にヘルメットごと頭と体を預けた。
真に居心地の良い場所は、自分にしか作れない。
この事を痛感している二人は今、日本全国を巡り、資金を蓄えながら、誰にも邪魔されない二人の居場所を探し続けている。
そこから雑談を交わすこと一時間半。
「海だー」
陽光煌めく中、新緑の先に見える海の青を見て、つばめが叫ぶ。
熱海市の山間部から、太平洋を望む場所に二人は到達したのだった。
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