オカモト弁護士の法的考察

@madi

第1話 湊かなえ「告白」のストーリーは不自然か

オカモト弁護士の法的考察

第1回 湊かなえ「告白」のストーリーは不自然か

                    岡本 馬路

※ネタばれ注意

本エッセイには湊かなえ「告白」アガサ・クリスティ「アクロイド殺人事件」(別名ありのストーリーについてネタばれがあります。未読でネタばれなしに読みたい読者は本エッセイの以下の部分は読み飛ばしください。


 映画の導入部分程度の紹介

『告白』は、湊かなえ先生による日本の小説の単行本。連作短編で、第一章「聖職者」が小説推理新人賞を受賞した、作者・湊かなえのデビュー作である。

短編賞受賞後、連作が1冊の本になるというパターンは宮島未奈「成瀬は天下を取りに行く」2023年も同様である。

2008年度の週刊文春ミステリーベスト10で第1位に、このミステリーがすごい!で第4位にランクイン。2009年には本屋大賞を受賞。2010年8月に発売された双葉文庫版は2010年9月13日付のオリコン“本”ランキング文庫部門で歴代1位となった。2022年10月時点で文庫版の部数が300万部を突破している。

監督中島哲也、主演松たか子により映画化され、2010年6月に公開された。第34回日本アカデミー賞では4冠を達成した。


ストーリー全体のネタばれ紹介

あらすじは以下のとおり

 第一章「聖職者」

初出:『小説推理』 2007年8月号

市立S中学校、1年B組。3学期の終業式の日、担任・森口悠子は生徒たちに、間もなく自分が教師を辞めることを告げる。原因は“あのこと”かと生徒から質問が飛ぶ。数か月前、学校のプールで彼女の一人娘が死んだのだ。森口は、娘は事故死と判断されたが本当はこのクラスの生徒2人に殺されたのだと、犯人である少年「A」と「B」を(匿名ではあるがクラスメイトには分かるように)告発し、警察に言うつもりはないが、彼らには既に恐ろしい復讐を仕掛けたと宣告して去っていく。

第二章「殉教者」

初出:『小説推理』 2007年12月号

1年の時の終業式直後、クラス全員に「B組内での告白を外にもらしたヤツは少年Cとみなす」という謎のメールが送られる。春休み後、2年生に進級したB組の空気はどこか異様だった。「少年A」こと渡辺修哉は相変わらず学校へ来ていたが、「少年B」こと下村直樹は一度も姿を見せていなかった。その後のクラスの様子と、1年B組に何が起きたか一切知らない新任教師の「ウェルテル」こと寺田良輝の愚かな行い、そして「修哉に天罰を! 制裁ポイントを集めろ!」という第二のメールを皮切りに行われたクラスによる修哉への制裁の模様を、クラス委員長の美月が悠子へ綴った手紙の形で語る。

第三章「慈愛者」

初出:『小説推理』 2008年3月号

母親を殺してしまった下村。その下村の姉・聖美が、弟が起こした事件の背景を知ろうと、母親の日記を読み始める。そこには、弟が母親を刺殺するまでの出来事が、息子を溺愛する一方的な母の思いと共に綴られていた。

第四章「求道者」

書き下ろし

母を刺殺した下村は、施設の中で壁に映る幻覚を見ていた。彼が共犯者である渡辺と出会い、故意で愛美を殺し、さらに母親を殺害するまでの苦痛の生活を記憶のフラッシュバックという形で追っていく。あまりにもショックなことが起こり過ぎ、記憶障害になってしまった彼は、そのフラッシュバックを半ば他人の話のように見て、その行いをとても馬鹿にしている。

第五章「信奉者」

書き下ろし

渡辺が自身のサイト『天才博士研究所』に「母親への遺書」として自分の生い立ち、愛美を殺すに至った過去の経緯や犯行後の一時の平穏と彼の心の安定を壊す一連の出来事、次なる犯行予告などをアップロードした。最後に2ページだけ渡辺の現在の視点となり、突然彼の携帯電話が鳴り響くシーンで終わる。

第六章「伝道者」

書き下ろし

第五章から直接続いて森口悠子から渡辺へ携帯電話の電話口で最後の宣告が行われる。森口は渡辺が設置した爆弾を彼の母親の勤務先に移動させ、爆破が完了した後、こう告げた。「これが本当の復讐であり、あなたの更生の第一歩だとは思いませんか?」


木村晋介「キムラ弁護士、小説と闘う」本の雑誌社・2010年の『「告白」の弁護士的読み方』では、①S中学のプールに浮いていた4歳女児の水死体について行政解剖も司法解剖もされていないこと、② HIV患者の血液をまぜた牛乳を複数人に飲ませた女教師が警察の捜査を受けるでもなく安穏と暮らしていることを問題にしている。

 第6章のネタばれをさけて、②の表現にしているが、②で捜査を受けていれば、第6章の展開はなくなるのに…というのがキムラ弁護士の疑念であろう。

①については2007年当時のずさんな捜査ではありうる。

②については同書44頁で「HIV患者の血液を他人に飲ませることは、感染・発症のリスクがいかに低いとはいえ、飲んだ者に対する殺人罪の実行行為に当る。仮に知らぬ間に第三者の手で中身がすり替えられていたとしても、またそれ以外の理由で結局発症しなかったとしても、彼女の行為は殺人未遂に問われることになる。

教師がこのような行為を犯したとしたとき、これを知った社会の反響は大きいだろう」とされ、中学生のなかから話が全くもれなかったことに作中では何の言及もないことをキムラ弁護士は問題とされている。

   

本職としては、ミステリ-読みとして、本書出版段階ではキムラ弁護士が熟していなかったのではないか、と反論する。語り手が次々と変わるのが本書の特色であり、語り手の信頼性についてはあまり資料がない。弁護士は刑事では主として司法警察員面前調書・検察官面前調書・公判調書や訴状や準備書面・公判調書として語り手が信頼できない文書を読む機会はあまりない。信頼できる書き手であることを前提として内容に他の供述や客観的事実との矛盾がないかをさがしながら読むのが弁護士の読み方である。弁護士や検察官が作成関与した書類であり、あるストーリーを導く書類であり、語り手は信用してよい。

ところが、ミステリーの場合は信頼できない語り手書き手は登場してよいことになっている。有名なところではアガサ・クリスティの「アクロイド殺人事件」がある。ホームズものの書き手ワトソンのワトソンは読者をだまそうとしているのではないが、自分でみるものをそのまま書いてあり、解決のヒントはあるようにしてある。しかし、叙述トリックものの場合は語り手がウソをつこうとしてウソをついていることがあってもいいことになっている。逆にいうと安穏と暮らしていることが叙述トリックですよ、と言っているのかもしれない。湊かなえ先生も後の対談で信頼できない語り手くらいは批判するひとは意識してほしいと語っている。ほかの語り手についても真実を語っているとは限らない。自己の妄想を語っているかもしれない。

本書では、そもそも彼女は信頼できない書き手であり、牛乳への血液混入が実際になされたかは疑いがある。これがなされていないのであれば、殺人未遂の実行行為有とはさすがに言えないように思われる。

さらに2007年代の医学知識でも経口で血液がはいっているとわからない程度の牛乳への混入レベルで殺人の具体的危険あるいは現実的危険があるといえるのだろうか。血液がみつかれば殺人予備でいけるが、それもみつかっていないのではなかろうか。

また、未遂犯の理解について世代的な相違が本職とキムラ弁護士ではあるのかもしれない。発症してはじめて未遂犯ではないかというのが本職の感覚である。

キムラ弁護士は昭和40年代の司法試験合格であり、当時の刑法の通説は団藤・大塚ラインあった。本職は昭和63年の司法試験合格であり、刑法の学界上の通説は平野・西田・山口になったころである。

 2000年段階実行の着手の認定についてはざっくり分類すると(中山研一『口述 刑法総論 補訂2版』成文堂・2007年 行為者の意思を重視する主観説(牧野説)とそうでない客観説にわかれ、客観説でも形式説(団藤説)と実質説(平野・西田・山口)に分かれる。

形式説は旧通説と言われ、旧通説は実行行為を犯罪論の中核的概念とし、実行行為は構成要件に該当する行為であり、殺人罪の実行行為は人殺し行為となる。独自の言語的内容であるが殺そうと思って毒を飲ませる行為は致死量でなくても人殺し行為ということはできる。結果が発生しないか、結果が発生しても因果関係が認められ中れば未遂犯罪となる。

これに対しては主観的不法を過度に重視している、少量の砂糖で人を殺せると思い飲み物に砂糖をいれて人に勧めた場合も殺人犯になる、という批判がある。現実には殺人犯の枠とか定型があってそれで制限することになるが、それをどうやって認定するのかは必ずしも明らかではない、と批判される。いろいろなニュアンスの反論もある)。日本の刑法の条文には殺し方の手がかりがない。AI関与で動いた機械の事故でひとが死亡した場合の枠とか定型はどうなるのだろうか。

実務的には判例の累積との対比ということになろうか。

結果発生に大きな障害がない段階で未遂、ここでも行為者の行為がおわっていることW重視するかの見解の対立があるが、判例は行為者の行為が終わったあとですぐに認めているわけではない。

2004年から裁判員裁判制度がはじまっているが、殺人事件は通常は裁判員裁判になるのであり、形式説での発症前でも殺人罪を認めるという、ここまで緩い殺人罪の実行行為を一般常識のある裁判員が認めるかは疑問である。

 団藤説を修正して結果惹起の危険性を持つ行為が実行行為とするのが大塚説である。教科書は昭和38年に出ている。

ところが昭和50年代以降違法性論における結果無価値論の台頭もあり、結果を重視する流がでてくる。そして、未遂犯を結果惹起の危険を生じさせる結果犯と理解する見解が強くなり通説化する。未遂犯は、結果発生の現実的危険が生じた段階で認められることになる。少なくとも、なかなか生じないであろうHIV感染が認められない段階では殺人未遂は成立しないと考えられるし、悪化させない病気になった現状ではそこでも殺人の実行行為と言えるか疑問はある。

また、証拠についても不十分であろう。牛乳パックは留置しておくべきであった。

犯罪行為の疑いがなければ逮捕状を裁判所は発布しない。官憲が疑わしいひとを適当な罪名でしょっぴいて拷問してでも自白させ、それを裁判所が認める、という時代ではない。


結論


本職は中学生が外部に教師のHIVウイゥル混入血液をいれた牛乳を飲ませた行為を外部にもらしたとしても、教師が逮捕されず安穏に暮らすことは普通であり、不自然ではないという結論にいたった。湊かなえ「告白」のストーリーは不自然ではない。


参考文献

刑法関連

 2007年にちかいもの

山口厚『問題探究 刑法総論』有斐閣・1998年・203頁以下 13 未遂犯の成立要件

井田良『刑法総論の理論構造』成文堂・2005年・247頁以下 第17章 未遂犯と実行の着手


刑法総論の学部レベルの教科書であればふれている論点である。

刑事訴訟法については最近の刑事訴訟法の教科書ならふれている。

 

関連条文

(未遂減免)(但し書は中止犯)

第43条 犯罪の実行に着手してこれを遂げなかった者は、その刑を減軽することができる。ただし、自己の意思により犯罪を中止したときは、その刑を減軽し、又は免除する。


(殺人)

第199条 人を殺した者は、死刑又は無期若しくは5年以上の懲役に処する。


(未遂罪)

第203条 第199条及び前条の罪の未遂は、罰する。





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