グッバイ、ヒーロー

間川 レイ

第1話

1.

バラバラ、と。


重くお腹に響く音を立てて、真っ暗な夜空を切り裂くように、頭上を何機ものヘリが次から次へと飛んでいく。青と白で塗装された警察のものと思しきヘリもあれば、報道関係者のものと思しきヘリも見える。大忙しそうだ。まあ、大忙しにしたのは私たちなんだけど。なんて胸の中で独りごちる。


私の立つ、ビルの屋上から下を見てみれば。下は大暴動の真っ最中。暗闇の中でもよく映える紺色のヘルメットを被った機動隊員たちが阻止線を張っている。それに相対するのは無数の人の群れ、群れ、群れ。男も女も、老人も若者も、少年も少女も。いろんな人たちがいる。それこそ、アジア系の人から、ヨーロッパ系の人たちまで。変電所を別動隊が爆破したから、普段はネオンや街頭の光、ビルの光でうるさいぐらいの渋谷と言えど、今は真っ暗で。その代わりと言っては何だけど、ひっくり返された車が轟々と燃えていて、いくつかのビルの窓からも炎が噴き出している。


立ち並んだショーウィンドウはことごとくがかち割られ。中に収められている商品がまき散らされている。路上ではタイヤが燃やされており、もうもうと立ち上る黒煙が、空を舞うヘリたちの接近を妨げている。機動隊員のほうからは、前に出てきた放水車から圧倒的な勢いで水が放たれて。お返しとばかりにいくつかの火炎瓶が宙を飛ぶ。誰が持ち込んだのかはわからないけれど、梱包爆薬なんてものまで宙を飛び。びりびりという衝撃波と爆発音に、バサバサとスカートが揺れる。ひゅうと口笛を一つ。私の右手には大きめのアルミ製の水筒のような形をした、格納容器。手錠で私の右手とつながっている。この格納容器の中にはあるウイルスが仕込まれている。ウイルスというよりもナノマシンのほうが近いそうだけれど。といっても無差別に人を殺すような代物ではない。このナノマシンの効果はいたってシンプル。子を産んだり、子を作ったことのある人間だけを選んで殺す。それだけの効果。いわば、親になった人間だけを殺すウイルスだ。


2.

ふーんふんふんふんふふふんふん。私は鼻歌を吹きながら屋上のへりに腰掛ける。奏でるのは私の大好きなベートーヴェンの第9。そろそろ、頃合いかな。私はビルの下を見ながら独りごちる。見れば、ビルの下の混乱も頂点に達しようとしていた。


次から次へと火炎瓶やがれきが飛び交い、お返しとばかりにデモ隊にガス弾の水平射撃が見舞われる。爆風にでも煽られたのか、機動隊の盾がくるくる空を舞うのを面白おかしく眺める。耳をつんざく怒声や罵声。絶叫をBGMにしながら、格納容器の解除コードを打ち込んでいく。


そして後は解除レバーを引くのみとなった時。背後から控えめながら、複数人の足音。そして腕を這いずり回るように動く、複数の緑色の点。レーザーポインターの光が、私を指しているのに気づいた。あらら、もうこの場所がばれるなんてね。瞬間、ビルの谷間から一機の黒塗りのヘリコプターが浮上し、機種に装着されたサーチライトの光を私に向けてくる。うわ、眩し。思わず空いているほうの腕で顔を覆う。その間にもヘリは屋上の上へと移動し、複数のロープを垂らすと、黒装束の兵隊たちを吐き出し始める。


気付けば、私は黒装束の兵隊たちに包囲されていた。目出し帽で頭まですっぽり覆った兵士たち。私の頭に銃口を向けたまま、じりじりと近づいてくる。狙いは私の右手に握られた格納容器。それがわかっているからこそ私は叫ぶ。


「近づかないで!近づいたらウイルスを解放する!」


ほんの僅か、私を取り囲む兵士たちの銃口が揺れる。撃ちますか。そんな声が飛び交うのを耳にする。だからこそ私は言う。


「撃ちたきゃうてば!撃ったらあんたらも共倒れだけどね!」


そうひらひらと格納容器を振って見せながら。握りこんだレバーを見せつけるように。


「解除コードは入力した!あとはレバーを離すだけ!それが嫌なら離れなさい!」


じわりと汗がにじみだす。あとはレバーを離すだけというのは、実のところはったりだ。本当は後一文字入力する必要がある。それを入力できなければウイルスを解放できない。私は、死ぬのなんて怖くない。だって、生きながらにして死んでいたような19年間だったから。でもここまで来て、道半ばで死ぬなんてことはまっぴらだった。だからこそ私は叫ぶ。銃を下ろして下がりなさいと。滲む冷や汗を、努めて無視しながら。私を取り囲む兵士の眼光が突き刺さる。銃口がじわりと動き、急所に狙いを定めるのを肌で感じる。それでも私は微笑んで見せる。余裕があるかのように。嘲るように。


果たして。


「いいだろう。銃を下ろせ」


そう言って、一人の男。指揮官風の男がぼそりと呟いた。ためらうようにしながら、銃口を下げる兵士たち。やった。そんな思いを顔に出さないようにしている間に、その指揮官風の男は一歩、包囲の列から足を踏み出す。


「近づかないで」


私は格納容器を突きつけるように向ける。だが、その男はすたすたと私の元まで歩み寄り、あと数歩というところで足を止める。


「なんの真似。近寄らないでって言ってるでしょう」


だがその男はぽつりと言った。


「悪ふざけが過ぎるようだな、悠里」


そう言いながら目出し帽をゆっくりと脱ぐ、指揮官風の男。注いて目出し帽の下から現れたのは、私がこの世で一番憎んでいる、父親の顔だった。


3.

「このっ……!」


そう、意識が一瞬父親に向いたのがいけなかったのかもしれない。いつも私を殴っているときと同様の滑らかさで、蛇のように動いた右腕が私の首元に巻き付いていた。そのままの動きで足払いをかけられ、顔から地べたに突っ込む。そのはずみでレバーから手を放してしまうが、もちろんウイルスが放出されることもなく。そのままギリギリと腕をねじり上げられる。転がった格納容器に飛びつく兵士たち。科学兵器確保!そんな声が飛び交う。


「こんの、離せっ……!」


そう呻きながら身をよじるけれど、鍛え上げられた肉体はびくともしなくて。いつものようにお返しとばかりに殴られた顔面が酷く痛む。それでも私は父親の顔をにらみ上げるのをやめなかった。


「それで。何でこんな馬鹿な真似をしたんだ」


「テロリストと話すことなんてないんじゃなかったの」


いつも父親がニュースを見ながら話している言葉をそっくり返す。事この期に及んで、馬鹿正直に答える気にならなかったから。瞬間、腕に走る激痛。「いっ……!」思わず苦悶の声が漏れる。


「それは時と場合によるな」


そう淡々という父親。


「喋らんというのならそれなりに痛い目には合ってもらう。事が事なのでな」


そう淡々という父親。その目はまるで虫けらでも見るようで。その目に気おされたというわけでもないけれど、私はぽつりと言った。


「別に。あんたのことが殺したいぐらい憎いってだけだよ」


いつもいつも、ことあるごとに何かと理由をつけては私を殴った父親。それこそ、成績が悪いと馬鹿みたいに怒鳴りながら殴りつけ、ただ機嫌が悪いから、仕事で嫌なことがあったから。そのストレスを発散するように私を殴った。殴るだけじゃなくて、頭をつかんで引きずりまわし、壁や机に何度も叩きつけた。それこそ額がぱっくり割れるぐらい。


殴られるのが嫌で逃げ出したら、息が続かなくなるまで追い回した挙句、土下座して許しを乞うたその頭を踏みにじった。生活態度が悪いと雪の降る夜に肌着一枚で家を追い出した。この屑、出来損ないと何度も私を罵った。何でこんなにお前は出来が悪いんだと絶叫しながら、何度も何度も私を殴り続けた。お前は本当に頭が悪いなと何度言われたことか。挨拶をしただけで舌打ちを返されて、挨拶をしなければ、なぜ挨拶一つできない、このボケと余分に殴られる。そんな毎日だった。


それこそ、物心ついてからの十何年間、殴られなかった日なんて一度もない。いつだって、私に対する罵声を叫びながら私を殴った。いつだってボールのように床を転がった。寝ても覚めても、いきなり意味もなく殴られるんじゃないかって怯えてた。家に帰るのが嫌だった。家に帰ったらまた殴られることはわかりきっていたから。夕方になると、もうすぐ家に帰らなければいけないという事実が迫ってきて辛かった。一度、夜遅くに帰った時など勉強もせずになに遊んでいやがると、数えるのも嫌になるぐらい殴られたから。だから死んでほしかった。私が自由に息を吸うには、父親が死ぬしかなかったから。


勿論それだけではない。周りの人だって。いつも父親に殴られて辛いです。馬鹿みたいに毎日殴られています。このままだといつか殺されます。助けてください。そんな相談を真正面から受け止めてくれた人なんていなかった。担任の先生も、スクールカウンセラーも。周囲の大人たちも。父親の警察官という外面の良さに騙されて、まさかあの人がそんなことするわけないよ。あなたが大げさに言ってるだけなんじゃないの。親御さんだってあなたのために言っているんだから、あまりそんな風に悪く言っちゃだめだよ。そんな風に私を嘘つき呼わばりして。私をほら吹きといって。誰も私を助けてくれなかった。だったら、少しでも同じ苦しみを味わってほしかった。


「それが理由か。それだけの理由でこんなことをしたのか」


父親は言う。ぎりぎりと私の腕を締め上げながら。それだけでこんな馬鹿みたいなテロを行ったのかと。いったい何人の人が犠牲になったと思っている、と。こんな殺人ウイルスまで手に入れて。一体どれだけ周りを不幸にしたら気がすむんだと。


「そんなわけないでしょ」


私は鼻で笑う。でも、私のこんな思い、世間を見ているうちにありふれているってすぐに気付いた。SNSを見ても、テレビや新聞を見てもそう。どれだけ多くの子供たちが親のせいで苦しんでいるか。ろくでもない大人たちのせいで、どれだけ多くの子供たちが傷ついているか。20歳までの子供たちの死因のナンバー1に自殺が来るぐらいみんなみんな苦しんでいるのに、誰もその苦しみに目を向けようとしない。誰も子供たちを助けようとしない。


身近に命を絶つかどうか悩んでいる子供たちがいるのに、気にするのは世界の裏側で苦しんでいる見ず知らずの子供たちのことばかり。命は尊いものです、大事にしましょう。親からもらった大切な体です、傷つけるのはやめましょう。そんな上辺ばかりの言葉を吐いて、周りの子供たちのことを気にかけているふりをしている。優しさに見せかけた、でも本当はがらんどうの言葉でこの世界は満ち溢れている。本当はちっとも気にもしてすらいないくせに。いい人のふりして、いい人のふりをしている自分に酔って生きている。自分のことしか考えていない大人たち。そうした大人たちが、人生の先輩ずらして子供たちを導こうとしてる。


でも、そんな人たちに導けるわけなんてないから、誰も彼もが苦しんでいる。誰も彼も自分のことしか考えていないくせに、子供のためにと上辺だけ人格者を気取って中身空っぽの雰囲気で子供を縛り付ける。私たち子どもは空気に縛られているんだ。それはたまらなく息苦しくて、生き苦しい。


「だからこんなことをしたのか」


そういう父親に笑って答える。笑って。嗤って。「そうだよ」と。子供たちは誰もが息苦しがっている。この大人たちの勝手に決めた規範に雁字搦めにされた世界。親の希望に沿った子がいい子で、親の期待から外れた子は悪い子。子供を愛さない親はいないなんて言うのは大嘘。親は子供が期待の範囲内にとどまる限りで愛してくれる。期待から外れればごみのように殴られる。所詮子供は親の操り人形。それでいて、反抗的な態度をとればやれ反抗期だ、私たちはこんなにもお前のためを思ってという。こんなにも私たちはお前を愛しているのにと大噓をつく。子を愛さない親はいないというのは嘘。そして愛されないのに親を愛するなんて、そんな馬鹿な話はない。なのにこの世界では、親が子を愛さなかったとしてもそこまで責められないけれど、子が親を愛さなかったら、まるでとんでもない悪徳を犯したかのように責められる。そんな空気に私たちは縛られている。


そんな空気は、たまらなく息苦しかったから。だから私たちは連携した。世界を憎む子供たちで手を取り合った。マサチューセッツに通うような子供たち。東大に通う子供たち。アジアの島々に住まう子供たち。日本の都市部に住まう子供たち。


みんなで手を取り合った。それがこの目の前の光景だよ。そう、燃え盛る渋谷を指さす。父親は何も答えない。


「それにね」


私は続ける。勘違いしているようだけれど、これは決して殺人ウイルスなんかじゃない。人を自由にするためのウイルスだよ。


「どういうことだ」


そう、腕を一層ねじり上げてくる父親。


私は微笑みながら言う。これは、家族という枠組みから誰も彼も自由にするんだと。


そもそも、家族とは、人間がただの動物、猿の親戚だったころの名残に過ぎない。古来より家族とは、より多くの仲間が生き残り、子孫を残すためには可能な限り多くで集まった方が生存確率が上がるという観点で作られたもの。確かに、その観点は一定の合理性があると思う。今日まで人類が生き残ってきたのは家族制度の貢献も無視できないのだから。


かつて寒冷期、まだマンモスなどが生きていたころ。あまりの寒さに血液が凍って死ぬことを防ぐために、不純物を血液中に混ぜた。すなわち血糖値を高く保った糖尿病にも一定の存在意義があったように。ゆくゆくは高すぎる血糖値で血管がボロボロになって人体を腐らせるけれど、それよりも、血液が凍り、子孫を残す前に死ぬよりはマシだと判断されたように。


ただ糖尿病はそのような存在価値があったとはいえ、今となっては昔の話。今では身体を蝕む病気の一つ。家族も一緒。かつては意味を持っていたけれど、今では数多くの子供たちを死に追いやっている。さながら、家族は社会におけるがん細胞のように。


そもそも、もはや試験管ベビーのように人の生殖に母体は必要がない時代。母親がいなくても、人類は存続できる。人は家族という枠組みを持たずとも生きていける。もはや家族という制度は糖尿病と同じく人類社会を蝕む病気に過ぎないのだから。


そう言って、私は笑った。天を焦がす赤い炎を見つめながら。


「極論だな」


吐き捨てるようにそういう父親。かもね。私は小さく呟く。でも私たちは行動せざるを得なかったんだ。そう、ぼそりという。


だって、この世界にはそんな簡単なことも理解できない人間が多過ぎから。そういうことをいう人間は異常者と看做される。そんな事を言うなんて、何処か頭がおかしいのだと社会的に抹殺される。どれだけこの世界はおかしいよ、家族なんていらないよと叫んでも。


だから私たちは行動に移す。殺され切ってもはや悲鳴すら上げられなくなるその前に。私たちがあなたたちを殺すんじゃない。殺される前に殺すんだ。


「そうか」


そういうと無言で私を立ち上がらせる父親。


「ならば俺はお前を逮捕する。お前はこの社会にとって危険だから」


あは。あはは。私は小さく笑う。まるでヒーローだ。正義のヒーロー。さんざん私を殴っておいて、それでもヒーロー様としてふるまおうとするなんて。でも、それでこそ父親らしいのかもしれない。


子供の頃、本当に私が小さかった頃。まだ母さんが生きていて、家族みんなでお出かけをしたりしていた頃。警察署の市民見学会によく連れて行ってくれて、抱っこしながらパトカーを見せてくれていたあの頃。そして、父親が私に手をあげることなんて決してなかったあの頃。あの頃は父親を正義のヒーロー、正義のお巡りさんと思っていた思い出があるから。みんなを助けてくれる、優しいお巡りさんと。


私は浮いてきた涙をそっと拭う。刹那、父親の脇腹に肘鉄を食わす。ウッと呻き私を拘束する手が緩んだすきに、父親の手を振り払う。狙いは今まさに兵士たちに持ち去られようとしている格納容器。私は後ろから兵士たちにタックルする。ふいを突かれ、ごろごろ転がる兵士たち。そして格納容器を手に取ったのは私だった。格納容器を手に立ち上がったころには、すでに再び包囲されていた。複数の銃口が胸を向くのを感じる。父親も拳銃を抜き放ち私に向けている。


それでいい。それでこそ私の憎んだヒーローらしい。だから私は胸を張って叫ぶ。


「もし私たちが間違っていると言うのなら、わたしを殺してでも止めて見せろ!それがあなたたちの選んだ道だ。正義のヒーロー、私たちを救ってみせろ!」


「やめろ、俺に撃たせるな」


そう、拳銃を構えながらにじり寄ってくる父親。その横顔はどことなく張り詰めていて。


だからこそ。だからこそ私は叫ぶ。うるさいよ、これが私達の選んだやり方だ。私たちにはこのやり方しかないんだよ!


そう叫んで。わずかに滲んできた涙をぬぐって。


「私達は私たちにとって居心地の良い世界を作る。それが許せないと言うなら力ずくで止めなさい。」


そういうと、私はにっこり笑って。


「セイ、ピース!」


そう言いながら、最後の解除キーに手を伸ばした刹那、たあんという軽い音。そして胸に感じる灼熱感。はじかれたように世界がくるくる回る。手から格納容器が零れ落ちる。一歩、二歩。私の終わりに向かって後ずさる。そして終点、ビルの端に足をかけたその刹那見たのは。どこか悲し気な顔をしたまま、煙のたなびく銃口をこちらに向けたままの父親の姿だった。


ああ、やっぱり。私は胸の中でつぶやく。父さんはヒーローなんだ。その思考を最後に、身体をゆっくり虚空へと投げ出した。




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グッバイ、ヒーロー 間川 レイ @tsuyomasu0418

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