いちごじゃむ

岬 アイラ

いちごじゃむ

「いちごジャムパン、一つください」

 無愛想な店員からの返事はない。

 パンを取って、購買から出る。あたしはパンを齧った。どろっとしたジャムの甘みに脳をぶん殴られた。

 大袈裟に言ったが、そんな衝撃も慣れればそこまで感じない。もそもそとジャムパンを食べすすめていると、小気味よいリズムの靴音が聞こえた。


「あ、またそれ食べてる!」


 半年くらい前からだろうか。食事の不健康さに庇護欲でもそそられたのか、あたしのランチタイムにはいつも一人の女子生徒がついて回るようになった。そして、先の言葉のあとには、決まってこう続けるのだ。


「お弁当!作ってきたからこっち食べてよ!」

と。

 お礼を言って弁当箱を開けると、いつも綺麗に並べられたおかずとご飯が詰まっている。ご丁寧に、メニューもめちゃくちゃ変わる。


「なんでさ、そんなに仲良しでもないあたしにそんなに構うの?」


 不思議に思ったら質問する。当たり前の事のはず。授業では絶対できないけど。


「うーん。…へへっ、一目惚れかな?」

「はぁ?」

「一目惚れだよ。だからね、私のことも好きになって欲しくてお弁当作ってるの!」


「いや…それならその前に名前とか学年教えてってば」

 毎日のように会っているこの女。でもあたしは、彼女がどこから来ているのかも、何科の生徒なのかも、そもそも学年や名前すら知らない。学校集会でも図書室でもランチルームでも見たことがない。

 普通なら学年がわかるリボンも、つけなきゃ怒られる名札も、ついていないのだ。先生たちも、見えていないかのようにスルーする。ここまで来ると、正直キモい。


 でも、キモさに勝るのは。


「……」


 正体を探ろうとしたときだけ見せてくる、死んだような真顔の怖さ。


 底なし沼のような瞳で瞬きもせず見つめられて、表情筋は全く一切動かない。七秒見つめ合って、ひたすらな沈黙に耐えられず口を開いた。


「ごめん、今のナシ。お弁当美味しいよ」

「…えへへっ、嬉しい!今日はねー、オムレツとか頑張ったんだよ」

 前言撤回をすることで平和が訪れる。

 逆を言えば、言葉を打ち消すまで、彼女はあたしを見つめ続ける。

 しかも、毎回、一瞬だけ、なんだか憐れむような顔をする。

 食欲は失せたけど残すのも忍びなくて、あたしは残りのご飯を口に入れて飲み込んだ。


「ごちそーさまでした。おいしかった」

「ふふっ、そっかあ、良かった!」

 空の弁当を手にして、また微笑む女の子。洗って返すと申し出ても「私が洗いたいの」の一点張りなので、お礼を言ってそのまま返していた。


「じゃあね、また明日!」

「うん。ばいばい」

 お昼休みが終わる頃、こいつはどこかへ帰っていく。

 あたしはそれを見送って、教室へ帰るのだ。


ーーーーーーーーーーーーー


「そんな人見たことも聞いたこともないけど…それ、ストーカーか何かじゃね?」

 面白がるような心配しているような微妙な笑顔で横を向かれてイラつくが、今回は許しておく。この櫻井という女子生徒はとことん噂に詳しいので、隣に座って話を聞いてみることにした。収穫はなかったけど。

「でも、あんたも満更でもないんじゃない?」

「いやいや、んなことないし」

「?」

「だってさ。確かに怖いけどさ、毎日弁当くれて隣にいてくれるんでしょ?嬉しくない?」

「それはなくね?怖いわー」

「…」

 答えが見つからず黙っていたら、言葉に撃たれた。

「それさー。漬け込まれるよ」


 漬け込まれる、か。まあ簡単に話しただけではそういうことになってしまうのかもしれないけれど。


「でもあたし、男のほうが好きだよ?」

「そういうんじゃなくて!だいたい、あんたなんか優しくされたら落ちるよー」

「いやいや」

 いやまじで、あたしに限ってそんなことない。大体あんな子、怖すぎて好きになれないし。

 でも期待はしてるかも。止められる前提でジャムパン食べてるし。


「たまには買わずに待ってみるか」

「ん?何か言ってた?」

「ジャムパンの話だよお」

「…うわ、あの健康キャンセルパンまだ買ってたの?」


 彼女のいうことには、あたしの食べているパンは添加物ゴリゴリで砂糖の感覚が二郎系ラーメンの油分と同等な、糖尿病まっしぐらのパンだった。

 ま、健康なんか気にしなくて良いんだけど。


ーーーーーーーーーーーーー


「あれ?今日はあのパン食べてないんだ」

「うん。…あんたが、持ってきてくれるの待ってた」

「んへへ。嬉しい!」

 今までもずっと笑った顔を見てたけど、過去一いい笑顔だった。文学的にあらわすなら、花開くようなってやつ。

「私ねー、あなたみたいな、優しい子、大好き!」

「優しい?」

「うん、私はあなたのこと大好きだよ!」

「ちょっと…」

「ふふっ、可愛い!」

 今日は調子が狂う。いつもと違うフィルターがかかってる。

 あつい。


「今日はね、サンドイッチ!」

「美味しそう」

「でしょ?食べて食べて!」

「…ん、いただきます」

 多分めっちゃ美味しいと思うんだけど、ツナサンドとか大好物だったはずなんだけど、味しない。

 あたしだって、鈍感天然バカじゃない。マジで落ちたから、こうなってるんだ。真っ赤でクソ熱い感情の煮詰まった瓶に落っこちたから。


「…」

 食べながら、彼女を見る。

 睫毛長っ、体細っ、髪質良っ、肌白っ、韓国アイドルかよ。

「ん、なあに?」

「い、いや…その…なんか、今日ビジュよくない?」

「一目惚れした子の前だもん。ビジュくらいはね」

 ああヤバい。なんか昨日まで怖すぎて無理無理とか思ってたけど全てを置いて全てに刺さる。

 そうだ、それだよ。怖いの見たら、落ち着くじゃん。あの表情見たら萎えるじゃん。近付いたらダメって分かるし。


「あのさ、やっぱ、名前くらい知りたいな」

「……」

 うわあ、やっぱり怖い。目が虚ろすぎて目を合わせたくない。

 でもなんか、フィルターかかってる。

 身体の内側にゾクゾク来る。これは、青ざめるんじゃなくて火照るやつだ。

 長い睫毛に縁取られた黒の大きな瞳の、その潤みにさえ溺れそうになる。


 唐突に、彼女は表情を綻ばせた。

「いいよ」


「えっ?」

 衝撃。絶対拒否されるどころかいつも通り喋らないと思ってたのに。

「あなたには…私の秘密、ぜんぶ知ってほしいから」

「…そりゃどーも」

「あ、話すなら、人がいないときがいいかなあ」


 こうして、休日に学校の門で待ち合わせすることになって、昼休みは終わった。


ーーーーーーーーーーーーー


「絶っっ対やめたほうがいいって…」

「うう…」

「んなことないって、うちらは櫻井みたいに疑り深くないのー」

「マジでさ?忠告された後にこんなにすぐ落ちるとは思ってなかったよ…」

「あれ、櫻井さんたち、まだいたんだ」

「お、白河センセー、恋バナしよー」

 白河春羽。現代文の先生で、恋バナ好き。以前は、この学校の生徒だったという。

 もっとも、今からこの子たちが話すのは、恋バナという名の噂なんだけど。


「そんでー、なんかヤバい人好きになったらしいんだって。そいつ」

「ヤバい人?ストーカーとか?」

「いや…なんか、毎日学校で弁当くれてたらしい」

「へ〜、いい子じゃん。何がヤバいの?」

「なんか、うまく会話できないときがあるみたいな?しかも個人情報全くわかんないの」

「ええ?でも学年くらい分からない?」

「学年リボンも名札もないんだって」

「うーん…わかった!七不思議にそんなのいた気がするんだけど、惚れさせて学校に閉じ込める…みたいな噂、聞いたことあるよ」

「へー、怖」


「たしかー…制服着崩して、特定の道を歩き回ると会えるらしいよ」

「あ〜、まあ、制服は若干着崩してたもんね、だからかな?共通点探してるみたいな?」

「そうだね、多分」


「…って!どっちにしろバケモノじゃん!!絶対ヤバいって!!この話終わり!怖いもん!」

「まあ、気をつけるに越したことはないと思うよ」


 なんか苛つく。

 櫻井は元々気を遣わず何でも言っちゃう人だし、白河先生も特に激しい言葉を使ったわけじゃない。わかってる。

 でもなんというか、あたしごと、あの子まで馬鹿にされてる気がしてならない。

 スカートの折り目が、握った手の中で潰れた。

 たまらず教室を出た。



「うわー、白河ちゃんギリ躱せたね」

「やばかったね、バレるとこだったね」

「でもそれマジなの?見たの?」

「見たらしい…」

「はぁー?キモすぎ。死んで呪ってやるーってやつ?」

「いいじゃん。もういないんだし」

「ねえ、それより七不思議の話しようよ!さっきのさー」


ーーーーーーーーーーーーー


「おはよ」

「おはようっ!」

 朝十時。日曜日の、人気のない校門前に私は立っていた。

「こっちから入れるよ」

 彼女に教えられるまま、木がいっぱい生えた隙間を通って敷地に入る。

「ねえ、それで…」

「私の名前でしょ?」

「う、うん」


「じゃあね、その前に一つ、約束ね。何があっても、私たちは一生仲良し!」

「わかった。一生仲良しの約束ね」

 願ってもないことだ。指切りげんまんして、彼女を微笑ませる。


「じゃあ、教えてくれる?」

「うん!」



 一瞬心がざわついた。本当に大丈夫?と。




「私の名前はね、縺?■縺繧?a翫!」






「えっ…?」

 なんていってるのか、わかんない。



「ほら、縺?■縺繧?a翫って、呼んで?」

 わかんないんだから、呼べない。


「ちょっと、まってよ」

「なんで?繧s縺セ?%縺ちゃん」


 ざわつきは、サイレンだったんだ。


「ね、ねえ、やだ、こないで」

「な輔*、蜻シ繧薙〒く繧後↑縺いの?」



 耳に入ってるのに、聞き取れない。脳が理解を拒否している?それとも本能が止めてる?

 相手が女の子なのかも、人間なのかも、私が何であるかさえも、わからなくなっていく。


 出会って、気持ち悪いと思って、怖いと思って、恋に堕ちて、次は、どうなんの。


「ねえ、ねえってば……」

「縺?繧後b縺薙↑縺」

「ぅあっ…」

 今は何故か、恐くて仕方ない。芋虫みたいに這いずって逃げようとしたけど、体が固まって動かない。花開いた彼女の顔を、何故か受け付けない。

 咄嗟に出た言葉は、


「大好きだったのに」


 言った後、呪い解ける感じで解決するんじゃね?って淡い期待がよぎった。


「?繧s縺セ?&縺」


 むだだった。


 少女の輪郭が崩れて、手と手が重なったのをさいごに見て、視界に帷が落ちた。


ーーーーーーーーーーーーー









 なに、してたんだっけ。あたし。

 そうだ、縺?■縺繧?a翫=紅果といて…そのあと…どうなったんだろ?

 そうだよ、逃げないと。


「ねえ、起きた?」

「あ……べにか…」

 手遅れだった。

 一緒になっちゃったんだ。

 諦めと共に、理解した名前を呟いた。


「ふふっ、やっと名前呼んでくれた」

「うん…」

「これからはさ、名前呼び合って、学校でしか動けないけど、ずうっと、一緒にいようね!」

 差し出された手が温かかったのは、あたしがもっと冷たいから。






「繧後↑縺??繧後↑縺??縺?繧b縺薙↑縺?」


 微笑みが眩しくてたまらないのは、


「縺?繧後b縺薙↑縺菴輔〒蜻シ繧薙〒!」


 細い腕に抱きしめられて、心が疼くのは、




「………」


 あたしも、同じ存在になれたのだと、歓んでいるから。




 呪いを解く優しい幽霊の女の子の噂を、前に聞いた。多分、この子がそうなんだろう。

 死ぬ前からずっと助けようとしてくれてて、そして、噂と呪いに穢れた私をまだ救おうとして、一緒に穢れちゃったんだ。


「繧s縺セ?&縺縺。繧?s??」

「縺ェ繧薙〒繧ゅ↑縺!!」


 もうだめか。もういいか。

 どこまでも、溶けて、堕ちて。

 瓶の底はないんだ。

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いちごじゃむ 岬 アイラ @airizuao

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