第8話 法則の衝突

 始原律。


 それは多くの魔法士が知っていて、けれど実物を見たことない者がほとんどである魔法の深奥。


 最も原始的で、けれど本質に近い魔法。


 ――そもそも。


 魔法という技術は、本来己のうちにあるルールを世界に押し付けるものだ。魔力というエネルギーに己の意思を乗せ、世界を思うがままに作り替える。


 通常の魔法なんてものは、それを一般化したに過ぎない。火にまつわるルールを一般化すれば、火球や火矢の魔法になるし、水や風にまつわるルールの一般化もまたしかり。


 そして、魔法は一般化により多くの者が扱えるようになるけれど、同時にその特異性が薄れ、魔法としての格も下がってしまう。


 つまり。一般化される前の法則そのものである始原律――その実世界への投影こそが、魔法のオリジナルであり、その効果・規模ともにもっとも強力なのだ。


 だから、女王が展開した始原律に抗うためには――こちらも同様の手を取るしかない。


 ……僕は魔力――というより、身体の奥底で燻る概念を、魔力に乗せて体外へ放出する。


 それは女王の始原律が既存法則を上書いた世界――雷雲立ち込める雨夜の荒野へ、一筋の光として差し込み、そしてこじ開ける。


 ――僕は、世界を作り変える呪文を口にした。


「いつか見た、白銀の野で。呪いに囚われた妖精が言葉無く泣いていた」


 僕が掲げた人差し指から、白く光る世界が生まれていく。


「綺麗なのに残酷で。それでも彼女は、終わりを否定し続けた。だから僕は。彼女を支えたいと……」


 ――そう、強く願ったんだ。


 目を閉じると脳裏に浮かぶ、白銀のエルフが……。


 僕に向かって、悲しげに微笑んだ。


「――『金剛不動律』」


 直後。


 まばゆい白銀が瞬いて。世界を覆う女王の怒りと悲しみを、ちょうど半分飲み込んだ。


「ニンゲンごときが……我に抗い得ると……!?」


「これは陛下と同じ!?」


 驚きの声を上げた女王と、身体を引きずりその後ろに回っていた近衛兵たち。彼女らは一様に目を見開き、僕を、そして僕を囲う世界を見る。


 僕を中心として広がり、女王の世界と拮抗するのは――銀色に輝く一面の花畑。六枚の花弁を持つ銀花が僕と女王の中間まで広がり、そしてその先から荒天の野が続く。


 僕の法と、女王の法がせめぎ合う。


 僕は女王に言った。


「――女王サマ。……人間の僕が、あなたを打ち負かしたら。その時はすぐ、ディを診てもらいますからね」


 数瞬、無言で僕を睨む女王が。ゆっくりとその口を開く。


「……たしかに。ニンゲンにはあり得ぬほど深く、魔の神髄を掴んでいるようだが……。それでも、貴様はしょせんニンゲン。ハイエルフたる我には勝てぬと、理解させてやろう……!」


 鋭い眼光で、空に蠢く雷雲を指揮する女王。彼女は僕に指先を向け、空間に満ちる魔力を軋ませる。


 ――……ごめん、ディ。ほんとは僕一人でここを離れて、追撃も振り切って。すぐにディを助けてもらうべきなのかもだけど。


 でも……きっとこれはいい機会だ。女王に対し、正面切ってディのことを切り込める人なんて、この森にはいない。でも、僕なら……。


 僕は小屋のなかで微かに揺らぐディの魔力を感じながら、女王の攻撃に備える。


 そうして。


 女王は僕に向けた指を、滑らかに何度か振るって。――稲妻を呼んだ。


 目に見える速さを越えて、致死の雷が数本僕に落ちる。


 しかし。


「止まれ」と。女王の攻撃とほぼ同時、僕がそう唱えると。


「小癪な……」


 忌々し気に呟く女王。その視線の先では――自然ではあり得ないことに、落ちた雷がそのままの姿でピタリと固まり……。


 そして、数秒後にはほどけて消える。


 わずかに残った稲妻の残滓が、ばちりと瞬いた。


 僕は挑発するつもりで口を開く。


「女王サマの怒り……この程度ですか?」


「貴様……」


 女王は据わった目で僕を見据え、もはや何もしゃべることなく続けて雷を落とした。直後、一瞬見えたのは、大木の幹ほどもある雷条。それが僕に向かって落ち、凄まじい轟音が鳴る。すこし遅れて、空気が焼けたツンとした臭いが漂う。


 気軽に放ってきたけれど、あまりに規模が大きすぎる力。それは普通のエルフであったとしても、儀式魔法などでしか成しえないほどのものだ。


 けれど女王は、そんな魔法を小さな仕草でたやすく行使して見せた。これが自らの法則を世界に強制する力……。


「うっ、目が……! ……しかし、さすが陛下だ。これなら、あの生意気なニンゲンもひとたまりもない」


「我ら近衛兵の力不足は猛省しなければだが……これで今回の件も、無事に……。はッ、そうだ! 殿下をお助けせねば――」


 そう、近衛兵たちがざわつき出した直後だった。女王が、未だ荒野を展開したままの女王が、おもむろに口を開く。


「――待て」


 その一言で、近衛兵たちの動きは止まる。どうやら雷光で目を焼かれているらしい彼らは気づいていなかったが、しかし。


 容易く常人を越える魔法を行使した女王に対し。


 ――僕だって。……彼女と同じ、深奥を覗き見た魔法士なんだよ。


「やはり……。ただの防御魔法ではないな、それは」


 そう呟いた女王に対し、僕は言った。


「もちろん。僕の中にも、あるからね。確固たる法が」


 目を焼く残光が消え去った後。僕は無傷の身体で直立し、女王と向かい合う。


 見るからに狼狽える近衛兵たちと違って、冷静に、冷たく尖った殺意が女王から届く。女王は何てことないように言った。


「では、比べるとしようか。我が天の怒りと、貴様のその力――どちらがより、上位にくるべき法かを」


 そうして、女王は。


 無際限に、神の怒りを乱発し出した。指を絶え間なく動かし、その度に天から、ときには虚空から雷を生み出し、僕にぶつけてくる。


 空間を埋め尽くす縦横無尽に飛び交う電光が、大気自体を細かく振動させる。肌に感じるその揺れと、目を焼く光、そして轟音。すべてが女王の強大な力を証明していた。


 けれど。その、雷のすべてが。


 ひとつたりとて僕に届くことはなく、眼前で静かに消えていく。熱も衝撃も、音も、そして過剰な光すらも。僕に害のあるすべてを、意図的に遮断する。


 そして、やがて繰り返す雷撃を打ち止めた女王が、僕の様子を見て静かに呟く。


「――貴様の法が司る力は……あらゆる事物の停止、か」



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