第7話 始原律

 僕の発した言葉の返事を聞く前に。数多の魔法が殺到する。


 切り裂く風の刃に、行動を阻害する草木、貫く水の槍。


 人間に対する殺意が魔法という器を得て、もはや避けようのない形で僕の眼前に迫る。


 ――だけど。


 僕は、こんなことで死ぬつもりはない。目を覚ましたディが、きっと悲しんでしまうから。


 だから。


「――『金剛不動律』……!」


 そう、呟くと同時。


 掲げた僕の手の先から、一瞬だけが侵食される。そして、直後。


 ――僕に向かっていた多数の魔法は、まるで先ほどまでの光景が嘘だったように、一瞬で溶けて消える。


 その普通ではあり得ない光景を見て、近衛兵たちが驚きの声を上げた。


「なッ……なぜ消えた!?」


「何が起こった!?」


 そして。慌てる近衛兵たちとは違い、何か察したらしい女王は静かに目を見開く。


「今のはまさか……。ニンゲン風情が……?」


 驚きの声を上げる女王は、それでも信じられないと目を細める。まるで今の現象が、何か別の理由によってなされたのではと、そう疑うように。


 視界全部が魔法に埋め尽くされてるような状況だったから、女王もよく見えてなかっただろう。


 そうやって確信を持てずに様子見してくれるなら、僕としても都合がいい。


 警戒して次の手を迂闊に打てないでいる近衛兵たちに、僕は声をかける。


「どうかな。少なくとも、僕があっさりやられちゃうようなことはないって分かってくれたよね? ……なら、先にディの治療をするっていうの、もう一度考えてくれないかな」


 そんな問いかけに対して。近衛兵たちは後ろの女王へ指示を仰ぐように視線を向ける。


 そこで女王を見ずに、すぐディのことを考えてくれる人がいたらって。……ディの友だちとして、そう思ったんだけど。


 僕の期待は虚しく裏切られ、そして女王の命が下される。


「――穢らわしいニンゲンを、直ちに打倒せよ」


 直後、視線を僕にもどし、再度魔力を練り始める近衛兵たち。中には身体強化で移動して、僕に直接向かったり、弓を構えたりするものもいる。


 それらすべてを魔力的な知覚に収めながら、僕はため息を吐いて言った。


「……だったら。今度は僕からも、攻撃するから。もちろん、加減はするけど」


「加減、だと!? ニンゲン風情がふざけたことを!」


「その滑稽な言葉、後悔させてやる……!」


 激昂しながら、剣を持った近衛兵がまず突っ込んできた。彼はエルフの豊富な魔力を、その細身の体へと潤沢に注ぎ込み、獣人種がごとき素早さで僕の首を狙う。


 けれど。


「くッ」


 僕が魔力を込めて剣をひと睨みすると。強化された膂力によって高速で僕に向かっていた刃は、まるで空中に固定されたように動きを止める。


 その急激な慣性の変化で、近衛兵がつんのめって体勢を崩したところへ。


 僕は指を向け、無色の衝撃波を放った。


「ガハッ」


 腹に衝撃を受け、口から唾液をこぼしながら後ろへ吹き飛ぶ近衛兵。


 そして、その後ろからすぐにいくつもの魔法が僕に突き刺さった。


 けれど。


「くっ、やはり全て防がれている!?」


「直前まで接近戦で別の魔法を使っていたのにか!? このニンゲン、我々より魔法の発動が早いというのか……!」


 僕が手を掲げた先に展開された魔法によって、近衛兵たちの攻撃をすべて防ぐ。しかしそれは初めのときのように発動自体を塗りつぶしたのではなく、見えない壁で遮断したのだけれど……。


「違いがわかってるのは女王くらいかな……」


 そう小声で呟くも、近衛兵たちは焦りでそれを聞くどころじゃないらしい。


 接近戦を得手とする者を囮に、後ろで魔法を練って一斉掃射。彼らの魔法の技量なら、たしかにだいたいそれで片がつくんだろうけど……生憎、僕には通用しない。


 ――これでも、エルフの中のエルフだったに憧れて鍛えてますから。


 そんな僕の内心の声が聞こえるはずもなく、近衛兵たちはさっきの焼き直しのように攻撃を再開する。


 けれど、もう彼らの実力で僕に傷をつけられないのははっきりわかった。だったら今度は、近衛兵の策通りに受けるだけではなく……。


「――『風弾』」


 そう呟いて、僕を攻撃しようとしている近衛兵たちに両手を開くようにして十指を向ける。


 そして、その指先から目に見えないほどの速度で飛翔する小さな魔力の塊。


 それは近衛兵たちとの距離を一瞬で潰すと、直撃した瞬間弾けるように小規模な爆発を起こす。


 ――『風弾』。それは、最近人間社会で開発された銃という武器から着想を得た魔法だ。


 要は魔弾を風魔法で加速させているだけなんだけど、人が五感で知覚できる速度を超えているし、魔弾の性質を変えて色んな攻撃ができるから結構重宝している。


 ……さて。


 地に伏し、僕を睨みながら悔しそうにうめき声を上げる近衛兵たち。彼らから視線を外すと、その奥で悠々とこちらを観察していた女王を見る。


「護衛はみんな倒れましたけど……。一番強い女王が、いまさら行動を変えるわけない、か」


「……たしかに、ニンゲン風情と侮るのは間違いだったと認めよう。だが、貴様の言う通り――」


 女王は、威風堂々と魔力を放出し、そして言った。


「――貴様の言う通り、先の言葉を変えるつもりはない。……早々に、貴様に引導を渡してやろうぞ」


 その瞬間。


 女王は文句のつけようがない魔力運用で、先の近衛兵が集団でやるより高密度な魔法を瞬時に放った。


 風の槌が頭上から振り下ろされると同時、横合いからは体を両断できるような巨大な風の鎌。そしてそれらの後から、バチバチと音を出して稲妻が蛇のように向かってくる。


 やっぱり、近衛兵たちと違って込められてる魔力の量が違う。それに、魔法という概念への理解も数段上で、それは魔法の強度に直結している。


 そんな強力な魔法がいくつも僕に向かい、けれど。


 僕は対抗するようにそれぞれ似た魔法や、打ち勝つ関係の魔法を放って全て相殺する。


 女王は構わず第二波、第三波と魔法を繰り出し、その度に僕が対応するという状況を経て。


 少し驚いた顔で、女王が呟く。


「まさか、本当にエルフよりも巧みに魔法を扱えるとは……。ハイエルフであり、この森の頂点に立つ我と、魔法の技量で互角だと?」


 この森で最も魔法に長けていると言われるだけあって、己の技量には自信があったんだろう。


 けれど。女王は僕が知る最も優れたエルフの魔法使いより、魔法の発動速度も、魔力操作の練度も、全てにおいて下回っている。


 僕には目標としているエルフがいて、彼女は女王と比べてもさらに高度な魔法技術をもっているのだから、この程度で満足することはできなかった。


 けれど、ひとまず。女王との魔法戦は、一区切りかな……。


 僕はこちらを忌々しそうに睨む女王に、勝者の証として傷ひとつない両手をぷらぷらと振ってみせる。


 ぴきりとこめかみに青筋を立てた女王が、「こんなもので終わりではない」と、そうつぶやいた。


 そして、その刹那ののち。


 先程までよりさらに魔力を解放した女王が言った。


「どうやら、この程度の魔法戦でずいぶんといい気になっているようだが。真の魔法とは、こんなものではない」


 真の魔法。


 女王が指すものは、おそらく分かっている。


 近衛兵たちはついぞ誰も使わず――いや、使うことができないみたいだったけれど。でも、ひとつの一族をまとめる彼女は、どうやらそうではないらしい。


 これから行おうと言うのだ。魔法戦における奥義――


 ――の展開を。


 そうして。女王は、唱える。


「――身におさまらぬこの怒り。事切れる同胞。我が、半身」


 ドロドロと煮詰まった感情が、魔力と一緒に世界へ広がる。


 ――それは決して比喩ではない。実際、女王を中心として漏れ出た魔力が世界を――空間を侵食し、闇夜の森の景色が一変する。


 そこは、まるで嵐の最中。空にはいつのまにか黒々とした雲がかかり、ゴロゴロと、天の怒が下される予兆が音となって響く。


 ポツポツと降り始めた雨は、まるで誰かの慟哭のようで……。


 そんな世界の中心にて。


 女王は、自らの内にある法則の、その完成を告げる。


「――あめの裁きをここに……! 『雷裁天帝律』!」


 黒い天に一条の稲妻が走った。


「さあ、ニンゲンよ。――その矮小な身に、天の怒りを下してやろう」


 そう、女王が滔々と告げた直後だった。




 雷雲に天を覆われた憤怒と慟哭の世界で。


 僕の魔力が、渦を巻き。真っ黒な空へと昇っていく。


 ぴしりと、空間にヒビが入る。



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