第二話『二つの赤い林檎亭』

 子どもたちが群がる、駄菓子屋があった。「二つの赤い林檎亭」。


 色褪せた看板には、丸々とした二つの赤い林檎。にじむような赤が、今もかろうじて残っている。


 洞内は、子どもたちを無遠慮に押しのけ、店内に潜り込んだ。


「……婆さん。サイダー」


 カウンターの奥で、古びたレジを打つ老婆が顔を上げる。


「200円だよ」


 無愛想に金を渡し、洞内はサイダーを受け取った。プシュ、と短い音。瓶の中から炭酸の泡がこぼれる。


 レジ脇の丸椅子に腰を下ろし、洞内はサイダーを一口、無造作に飲み干した。


 外から、子どもたちの笑い声が聞こえる。それは無邪気で、どこまでも軽かった。


 洞内は、顔をしかめることもなく、ただ、無表情でサイダーを傾ける。


「……あんたかい」


 老婆が、ぽつりと呟いた。


「最近、この街の跳ねっ返りや無頼どもに喧嘩売ってるって噂の」


 洞内は、空になった瓶を机に置いた。


「だったら、何だよ、ババァ」


 吐き捨てるような声。だが、老婆はにこりともしない。


「いや、別にね」


 そう言って、棚の隅に並ぶ、赤い林檎飴の埃を払う。


「ただ――」


 老婆の声が、ふと、静かに沈んだ。


「街の空気が、少し変わった気がしてねぇ……でも、気の所為かねぇ」


 洞内は、返事をしなかった。また、サイダーを飲むふりをして、空の瓶を傾ける。


 老婆は続ける。


「あんたみたいな若いもんがいてくれるから、少しは元気になると思ったんだけどねぇ」


 洞内は、視線を落とした。レジ横の小さな棚に、赤い林檎型のキャンディーが並んでいる。


 誰も買わない。子どもたちは、もっと色とりどりの、派手な菓子に群がっていた。


 老婆は、埃を払った手で、林檎キャンディをそっと撫でる。


「……綺麗な色だろう。けど、誰も手に取らなくなった。時代かねぇ」


 洞内は、瓶を置き、立ち上がった。


「……サイダー、もう一本」


 そう言って、また金を渡す。老婆は笑うことなく、黙ってサイダーを差し出した。


「街は、まだまだ捨てたもんじゃないよ」


 そう、老婆は言った。ただの善意。悪意も、下心もない。


 その言葉に、洞内は何も答えなかった。


 老婆が、カウンターの奥で、何かを取り出した。小さな紙袋。中には、焼きたてのピザパンがひとつ。赤いソースが滲んで、温かい湯気を上げていた。


「食べなよ。元気になるからさ」


 老婆は、そう言った。ただ、それだけだった。


 洞内は、サイダーの瓶を握りしめたまま、しばらく黙って、ピザパンを見つめた。


 それから、かすかに笑った。笑ったが、目は少しも笑っていなかった。


「……そいつは、俺にはポップすぎる」


 洞内はそう言った。受け取らなかった。


 サイダーだけを持って、店を出た。


 外の光が、強すぎた。子どもたちの笑い声が、耳を刺した。


 瓶の中で、炭酸が暴れた。


 胸の底で、何かを噛み砕くように、洞内は歩き出した。


 二つの赤い林檎は、色褪せながら、今日も、誰にも見向きもされず、看板の上で、笑っていた。

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