救世の聖女？知らないが？私？私はモフモフに囲まれて暮らしたいだけなので、邪魔するつもりなら天魔滅殺ですけど

🐾 1 死んじゃった

　私は死んだ。

　ついさっきまでは生きていたというのに、なんともあっけない終わりだ。

　骨や内臓が飛び出た自分の死体を見下ろしても、そんな感想しか浮かばなかった。

　今の私はさしずめ幽霊というやつだろう。

　仕事の帰り道、少年とその飼い犬であろう柴犬に向かって突っ込んできたトラックを目撃。

　いつの間にか動いていた体は彼らを突き飛ばし、身代わりとして見事な死体と相成り、幽霊という訳である。

　後悔はそれほどない。人生なんてものは氷河期世代というのも相まって諦め続きだったし。

　こんなくたびれたおっさん一人の命で、少年と柴犬を救えたなら、まあ良しとするべきだろう。命の使い方としては上等だ。

　しかし、心残りがない訳ではない。私の唯一の癒しであったモフモフ達との触れ合いだけは、もっと堪能してみたかった。

　犬カフェとかで飽きるまで一日中過ごしたり、いや、そもそも飽きないだろうが。

　……というか、飼えば良かった。出張の多い仕事だからと言い訳せずに転職を頑張れば。

　……いかん、そう思い始めると後悔が込み上げてきたぞ。このままでは地縛霊コースではなかろうか。まったく成仏できる気がしない。

　おおおおっ、モフモフアニマルだけが人生の煌（きら）めきだった！　癒しを、我に癒しを！　せめて最後にモフモフをっ！　冥土の土産にモフらせてくれっ。

　……と、燃え上がるような衝動が沸き起こる最中、さきほど助けた少年と柴犬がこちらを見ていることに私は気づいた。

　……ああ、もう、モフるしかない。

　私は滑るように少年と柴犬の前へと移動した。

　うーん、素晴らしい毛並み。普段なら必ず断りを入れて触るが、今はもういいだろう。我慢ができない、さあモフらせてくれよ。

　幽霊だから触れないかもだが——

『——やあ、かとうけんいち』

　んお？

『おーい』

　……えっ？　このわんちゃん、喋ってないか。

『きこえてるよね？』

　……いや、喋ってるな。それに何で私の名前を。犬って霊感強いとか聞いたことがあるし、それでだろうか？　いや、うーん、わからん。考えても仕方がないか。今はそれよりも、この首のフサッとしたところを触りたい衝動が強くて。

　……ふほぉ。この手触りたまらんっ。

『かとうけんいち。おまえは死んだ』

「知ってるよ。さっき死んだばかりだ。にしてもお前、ツヤツヤでふくふくじゃないか。ちょっと肩も触らせてくれよ」

『けれどそれは、ぼくに出会ったせいだ。ああ、そこ気持ちいい。もうちょい上もお願い』

　そうかそうか、ここのモフモフに隠されたムチっとしたとこだな。こういう手触りも大好きだから、いいぞぉ、いくらでも撫でて……。

「……ちょっと待て。どういうこと？　出会ったせいって」

『うん。おちついて聞いてね』

　柴犬が私の顔を見つめてきた。かわいい。

『僕は君たちのいうところの死神だよ』

　そうか、ずいぶん毛並みのいい死神だな。かわいいが過ぎるぞ。

「死神という事は、私を冥土に連れて行ってくれるのか？」

『ちがう。ぼくが連れていくのは、この子だよ』

　私は柴犬、もとい死神が顔を向けた先を見た。

　少年だ。……よく見ると目の焦点が合っておらず、心ここにあらずといった感じで元気がない………まるで死んでいるかのようだ。

　　幽霊である私の方がよほど元気に見える。

『この子を連れていく途中におまえにあったんだよ、かとうけんいち。あそこで出会わなければ、いや、飛び込んでこなければおまえは死ななかった』

　柴犬の説明で、私の中にあることが思い浮かんだ。

「もしかしてなんだが……無駄死に？」

『そうだね』

　そうだねって、軽いな。

　……しかし、無駄死にかぁ。なんと言えばいいやら。だが目の前の子供やモフモフの危機を助けないという選択肢は私にはなく、仕方がないことだったのは間違いがない……か。うん、せめてモフモフで癒されよう。あー、柔らけぇ。ずっと触っていられるわ。

『ときどき、おまえみたいな奴が僕とか死者を見てしまうんだ。そこ、もうちょっと上』

「ここだな。よしよし。ところで私みたいな奴とは？」

『寿命が短い人とか、人生をあきらめている奴だよ。そういう奴は僕を見ることがあるのさ』

「……そう言われるとそうだな」

　独身の不摂生で、きっと寿命は短かっただろうし、人生なんてものは、諦め続けないと犯罪に走ってしまいそうになるぐらいには、希望が見出せなかったからな。

　だがそうなったのは、時代や上の世代が……おっと、いかん。今は愚痴る時じゃない。モフる時だ。

『で、なんだけど。それだと僕がボスに怒られちゃうんだよ。予定外の魂を持ってくるなって』

「そんなに怒られるのか？」

『たいへんだよー、予定外はめちゃくちゃ怒られる』

　おお、そんな可愛さを振り撒きつつゴロンと転がってお腹を見せてくれるのか。次はそこだな。良いぞーいくらでも撫でる、いや撫でさせて。

『それでなんだけど』

　たまらん。手触りたまらん。

『おまえには転生してもらおうかなって』

　……ちょっとまて。いきなり話が飛躍したな。

「転生？　というとラノベやアニメのアレか」

『そうアレ』

「異世界行っちゃう？」

『行っちゃうね』

「なんか強そうな能力とかでハッピーになっちゃう？」

『なっちゃうね。希望はなるべく叶えるよ』

　これは……嬉しいかもしれない。

　責任の割には安い給料でこき使われ、数少ない友人とは年々疎遠になり、両親も他界して兄弟もいない。もちろん恋愛なんてものはまともにしたこともなく。

　そんな、寂しい私の人生。それをチート能力付きでやり直せるとしたら。諦めてきたモフモフパラダイスが……。

　いや、待て。上手い話には裏があることが多い。まだ浮かれては駄目だ。

　気になるところ……そうだな、まずは文明レベルや生活環境を聞いておこう。

「風呂とかトイレはどうなる？　ちゃんとある世界か？」

『んーと、転生できる世界はいくつかあるけど、どこもお風呂はときどき入る感じかな。トイレは川でしたり、穴を掘って埋めたりしてる。大きな街ならちゃんとトイレがあるよ』

「なるほど……ぎりぎり対応はできそうだな」

　潔癖症という訳でもないし、チートを貰えるなら我慢してもいいレベルか。

「有益な情報だ。期待度が高まって——」

『——でも』

「……ちょっと待てくれ。でもってなんだ。いきなり不穏なワードを挟まないでくれるか」

　そのタイミングでのでもはないって。不意をつかれて真顔になったぞ。やめてくれよ全く。とりあえず落ち着きたいから、もっとモフらせてくれ。

『まあ、話しを聞いてよ。少し条件があるんだ。あっ、そこ、背中ゴシゴシ強めでおねがい』

「強めゴシゴシ了解。それで条件とは？」

『そう。転生先をどこにするとかの選択が必要なんだ。とくに希望せずにランダムで選ぶと、チートは強力だし、転生する場所も安全で、イージースタートが切れるよ』

　ん？　特に困る要素がないように思えるが？

「ランダムで結構だが」

『モフモフがいない異世界に、転生するかもしれないとしても？』

「それは困る。というかあり得ない」

　それなら此処で死んだままの方がましだ。いくらチート付きといえど、癒しなき世界に魅力など微塵も感じられない。

『でしょ？　だから選ばせてあげようと思って』

「君はなんて素敵なんだ……この美しいモフモフだけではなく、素晴らしい心遣いまで備えるなんて」

『ありがとう。じゃあモフモフが多い異世界でっと。チート能力はどうする？　生きるための基本能力は元からついているから、それ以外に好きなものを言ってみて』

「……モフモフと通じあいたいな。今みたいにモフモフと話せるなら嬉しい」

『んー、できそう。でもちょっとコストが重い。戦いの能力が付けられそうにないなぁ……そうだ、こうすればいっか。よしよし、仲間の力を借りる感じでいこう』

　おや？　何だか意識が遠のいてきた……まさか。おいおいちょっと待て、もう始まっているのか？！

『じゃあ行ってらっしゃい。あっ、そうそう、お願いのコストが重くて、代わりに環境というか境遇はちょっぴりハード気味。ゼロ歳スタートだといきなり死んじゃうから、そこは考えて九歳からスタートだよ。転生先は可愛い見た目だしまあ、いけるっしょ。時々様子見るね。見守ってるよ——』

　ちょっ、ちょっちょっ、最後に詐欺めいたことをして……おーい！　何が見守るよなんだ！　愛らしく首を傾げたまま遠ざかって行くんじゃない！　ダメだ声を出そうにも意識が途切れ——————。

◆

「——起きなさい、シスター・フィア。そんな演技で日課をサボれるとは思わない事です」

　至近距離で雷が落ちたかのような轟音が脳内に響いて、私は意識を取り戻した。

　視界に入るのは、美人だけど意地が悪そうな顔の修道女？　隣には神父？　ここは……石の床に倒れているのか？

「ごほぉっ」

　胃からせり上がる不快感と口に広がる血の味。

　ちょっと待って、なんだこの状況。理解が追いつかない——

　——その時、混乱する私への答えとでもいうように、私の意識と誰かの意識が混ざり合い記憶が繋ぎ合わされていった。

　小さな女の子の記憶。

　九歳まで生き、そしてついさっき死んで、たったいま生き返った【フィア・アーシェス】の記憶。

　金髪碧眼の痩せ細った少女。これが私の転生先……。

「さあ祈りなさい」

　妙齢の修道女、記憶の通りであればシスター・カタリナが、棘のついた太い金属棒を握りしめながら私に語りかける。

　いやいや、ちょっと待て。そんな物で殴ったら死にますけど。

　というかさっきそれで死んだ記憶があるんですが。

「祈りなさい」

　私は柴犬に転生させてもらい生き返った……のだが……これ、どう考えても失敗しているよな。スローライフとかを希望すべきだったのでは？　

　振り上げられた金棒を見ながら、私はそんな感想を抱き——強烈な痛みによって気絶した。

🐾🐾業務日誌🐾🐾

地球担当　シバ

本日のお仕事

イレギュラーを発見したのでリサイクルしてボスに報告。

オヤツは骨付き肉。おいしかった。