第七話:最初の関門と師匠の言葉

「俺も…その“修羅の宴”というものに出てみたいです!」

俺、相馬海斗の決意を込めた言葉に対し、師匠である高柳さんは、しばらくの間、黙って俺の目を見つめていた。部屋には、時計の秒針の音だけがやけに大きく響き、緊張感が張り詰める。やがて、高柳さんはゆっくりと口を開いた。

「“修羅の宴”が、どのような場所か、お前はまだ何も分かっておらん。あれは、生半可な実力と覚悟では、骨の髄までしゃぶり尽くされる場所じゃ。そこには、人の欲望も、絶望も、全てが凝縮されて渦巻いておる。なぜ、そこまでして出たいと願う?」

その声は静かだったが、有無を言わせぬ重みがあった。試されている。俺の覚悟のほどを。

俺はゴクリと唾を飲み込み、臆することなく自分の想いを言葉にした。

「俺は、自分の力を試したいんです。師匠に教わったこの『移動平均線一本』の戦い方が、どこまで通用するのかを、この身で知りたい。そして…」

脳裏に、あの高慢な女性トレーダーの顔が浮かんだ。彼女の言葉、彼女が見ていた高度なチャート画面。

「俺を…俺のやり方を馬鹿にしたヤツらがいる。いつか必ず、あいつらに追いついて、見返してやりたいんです。そのためには、強い奴らと戦って、もっともっと強くなる必要がある。そう思っています!」

言葉にするうちに、胸の奥の炎がさらに燃え盛るのを感じた。高柳さんは、俺の言葉の中に、以前の俺にはなかった強い意志と、わずかながらも確かに芽生え始めた自信の光を感じ取ったのかもしれない。ふっと息を吐き、その表情が少しだけ和らいだように見えた。

「…よかろう。そこまでの覚悟があるなら、ワシも止めはせん。お前が選んだ道じゃ」

その言葉に、俺は思わず拳を握りしめた。「ありがとうございます、師匠!」

「だがな、海斗。“修羅の宴”は、誰でも気安く参加できるような甘い場所ではない。まずは、その『宴』への招待状を手に入れる必要がある」

高柳さんが語るには、“修羅の宴”の参加資格は、公にはされていないものの、都市伝説のようにいくつかの条件が囁かれているという。莫大な資産を持つ者、過去に伝説的な実績を残した者、あるいは、その世界で絶大な影響力を持つ特定の人物からの推薦を得た者…。

「ワシからの推薦状があれば、おそらく末席には加えてもらえるじゃろう。じゃが、それは最終手段じゃ。お前が自分の足で立ち、自分の力でその扉をこじ開けることにこそ意味がある」

高柳さんはそう言うと、一枚の古い雑誌の切り抜きを俺に見せた。それは、最近FX界隈で頭角を現してきた「名もなき狼(ノーネイム・ウルブズ)」と呼ばれる数人の若手実力派トレーダーたちが主催する、小規模ながらも非常にレベルの高いオンライン・トレードバトルの告知記事だった。

「まずは、この『狼たちの牙』と呼ばれるバトルで結果を出してみろ。参加者は無名だが、その実力は折り紙つきじゃ。ここで上位に食い込めば、あるいは“修羅の宴”の主催者たちの目に留まるやもしれん。お前の今の実力を、ここで示してみるがいい」

「狼たちの牙…」

俺はその記事を見つめた。新たな目標が、目の前にくっきりと現れた。闘志が腹の底から湧き上がってくる。

「海斗」高柳さんは、俺の目を見て諭すように言った。「MA一本の戦い方は、相手や状況によって千変万化する。守るべきは基本じゃが、それに囚われすぎるな。常に相場の声を聞き、変化を恐れず、そして何よりも、お前自身の判断を信じることじゃ」

その言葉は、実戦に向けた師匠からの力強いエールだった。そして、高柳さんは懐から、あの黒い石を取り出し、俺に手渡した。

「これは、ワシが若い頃、ある恩人から譲り受けた『道しるべの石』じゃ。お前が道に迷った時、判断に窮した時、きっと何かを示してくれるはずじゃ。お守り代わりに持っていくがいい」

ひんやりとした石の感触が、決意を新たにする俺の心を落ち着かせてくれる。師匠の言葉と、この黒い石を胸に、俺は「狼たちの牙」へのエントリーを決意した。

それは、名もなきトレーダーである俺が、初めてその名を刻むための戦い。そして、いつかあの女性トレーダーと肩を並べ、さらにはエンペラーという頂へと続く、長く険しい道のりの、確かな第一歩となるはずだった。

俺の新たな挑戦が、今、始まろうとしていた。


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