第2話 忍び寄る怪異
翌日の放課後。
昨日と同じく、旧視聴覚準備室にはいつもの四人が集まっていた。もっとも、陽太と亜樹は昨日以上にぐったりとしていたが。
「……なあ、静」
陽太がおそるおそる切り出した。
「昨日のあの人形のことなんだけど……」
「ああ、あの首無しデッサン人形のことですね」
静は読んでいた専門誌から顔を上げ、事もなげに言った。
「今朝、美術準備室の前を通りかかったので少し覗いてみたのですが……昨日、私が見た時と、明らかにポーズが変わっていました。右腕の角度、左足の向き。私が密かに撮影しておいた記録写真と比較したので間違いありません」
「はぁ!? 誰か動かしたんだろ、美術部のやつとかさぁ!」
陽太はソファから飛び起きそうになったが、無理やり平静を装ってそう言い放った。
心臓が、昨日よりも少しだけ速く脈打っている。
「静、考えすぎだって。ただの人形じゃん。風で倒れたとか、そんなんでしょ」
亜樹もスマホの画面からチラリと静に視線を送ったが、すぐに興味を失ったように指先の操作に戻った。
しかし、その指先がほんの少しだけ震えていることに、陽太は気づかない。
太一は……といえば、既に顔面蒼白で、ブルブルと小刻みに震えながら自分の膝を抱えていた。昨日からずっとこの調子だ。
「いいえ。準備室の窓は施錠されていましたし、昨日の夕方から今朝にかけて美術部の活動もなかったことは確認済みです」
静は淡々と、しかしどこか確信に満ちた口調で続ける。
「そして……さらに奇妙なことに、人形のポーズが、昨日の神楽坂君の動きを一部、模倣しているように見受けられました」
「は……はぁああああ!? 俺の!? な、何の何の何のことだよそれ!?」
陽太は素っ頓狂な声を上げた。昨日、自分が美術準備室でどんな動きをしたかなんて、いちいち覚えていない。だが、気味が悪いことこの上ない。
「偶然だろ、偶然! な、太一! お前もそう思うよな!?」
同意を求めて太一に顔を向けると、太一は「ひっ……ぼ、僕のせいじゃないです……僕は何も見てません……」と涙目で首を横に振り続けるだけだった。全く役に立たない。
その日から、奇妙な報告は続いた。
静が毎日欠かさずチェックする首無しデッサン人形は、日ごとにそのポーズを微妙に変えていく。
ある時は、太一が部室で盛大にすっ転んだ時の情けないポーズを。
またある時は、亜樹が気だるげに頬杖をついている時のポーズを。
そして、陽太が調子に乗って大げさな身振り手振りを交えて話している時のポーズを……。
それらは全て、どこかぎこちなく、そして悪意に満ちたパロディのように見えた。
「……おい、マジで誰かのイタズラじゃねえの? 防犯カメラとかねえのかよ、この学校は!」
陽太は苛立ちを隠せない。もはや偶然で片付けられるレベルを超えている。何より、自分の行動が気味の悪い人形に逐一トレースされているという事実が、背筋をぞわぞわと撫で上げるのだ。
「……ちょっとキモいけど、まだ確証はないでしょ。誰かが私たちをからかってるだけかもしれないし……。静がなんかやってんじゃないの……?」
亜樹もさすがに顔を引きつらせながら言うが、その声にはいつものような覇気がない。
「違います」
「ぼ、僕、もう美術準備室には絶対に近づきませんから……! なんなら学校にも来たくないです……!」
太一はすっかり怯えきっていた。
静だけは、この不可解な現象に対してますます知的好奇心を燃やしていた。
「人形が特定の個人の動きを模倣する、という事例は非常に稀です。これはポルターガイストの一種なのか、それとも人形自体に何らかの意識が宿っているのか……」
彼女は独自に調査を進め、学園の古い記録や卒業文集、果てはインターネットのローカル掲示板まで漁り始めた。亜樹も、最初は「くだらない」と一蹴していたものの、静のあまりの熱心さと、どこか放っておけない雰囲気に、なんだかんだで資料整理などを手伝うようになっていた。怖いもの見たさと、純粋に静が心配だという気持ちが半々といったところだろう。
そんなある日の夕暮れ。
陽太は、その日最後の授業で居眠りしていたせいで、一人だけ教室に残って課題のプリントを片付けていた。
(やっべ、もうこんな時間かよ。さっさと終わらせて帰らねえと……)
焦りながらペンを走らせていると、ふと、窓の外の廊下を何かが横切ったような気がした。
気のせいか?
いや、確かに、人影のようなものが……。
しかし、その動きはどこかぎこちなく、まるで……。
ぞくり、と悪寒が背筋を駆け上る。
陽太は恐る恐る教室のドアを開け、廊下を覗き込んだ。
夕焼けに染まる長い廊下。その先に、一つの異様な影があった。
ギシ……ギシ……。
木材の擦れるような、乾いた音が響く。
首のない、あのデッサン人形だった。
昨日まで美術準備室にいたはずの人形が、今、ここにいる。
そして、それは明らかに何かを探すように、関節を不自然な角度に軋ませながら、ゆっくりと、しかし確実にこちらへ向かってきていた。
その首があったはずの場所は、夕闇の中でぽっかりと口を開けたように黒く、見る者に言いようのない恐怖と喪失感を抱かせる。
「うわあああああああああああっ!!」
陽太は、生まれて初めて聞くような大絶叫を上げると、鞄も何もかも放り出して、脱兎のごとくその場から逃げ出した。
情けないことに、腰が抜けそうになるのを必死でこらえ、もつれる足を叱咤して、ただひたすらにオカルト同好会の部室へと走った。
部室に転がり込むと、そこにはまだ静と亜樹、そして太一がいた。
「はぁ……はぁ……で、出た! 出たんだよ、アイツが! 廊下に……!」
ぜいぜいと肩で息をしながら訴える陽太の姿は、あまりにも必死で、滑稽なほどだった。
「落ち着けって、陽太。何が出たって言うのよ?」
亜樹が呆れたように言う。
「あ、あの……首無しの人形です……! 間違いありません、神楽坂君の恐怖に歪んだ表情は、嘘偽りのないものです!」
静が、なぜか少し興奮した面持ちで断言した。
「ひぃぃぃ……! つ、ついに準備室から……!」
太一は既にソファの隅でガタガタと震え、今にも失神しそうだ。
その時だった。
部室のドアが、ギィ……と重々しい音を立てて、ゆっくりと開き始めた。
四人の視線が、そこに集中する。
ドアの隙間から現れたのは、木の腕。そして、首のない、あのデッサン人形の歪なシルエットだった。
人形は、まるで獲物を見つけた捕食者のように、静かに、しかし確かな足取りで部室の中へと侵入してきた。
その動きは、以前よりも少しだけ滑らかになっているように見える。
そして、その首のない顔が、明らかに太一の方を向いているように感じられた。
太一の顔から、サッと血の気が引く。
「あ……あ……」
声にならない悲鳴を上げ、太一は硬直した。
人形は、その太一に向かって、ゆっくりと、しかし確実に距離を詰めていく。
その木製の指先が、何かを掴もうとするかのように、不気味に蠢いていた。
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