第三章:心が壊れた春
高校一年生の春。
新しい制服に袖を通したばかりの頃だった。
季節はうららかで、街路樹の若葉がやわらかく陽を受けていたけれど、自分の心の中は、もうその頃から何かが鈍く冷えていた。
クラスの男子の中に、やけに距離を詰めてくる人がいた。
最初は軽口のようだった。
「可愛いじゃん」とか、「彼氏いないの?」とか。
でも、それがだんだんと変わっていった。
「オナニーってしてるの?」
ある日、スマホに届いたその言葉に、呼吸が止まった。
冗談のつもりだったのかもしれない。
でも、自分にとっては、何か大切なものを土足で踏みにじられたような衝撃だった。
体が冷たくなった。心が、音を立てて遠くに逃げていった。
まるで、自分自身から抜け殻になっていくみたいだった。
あの日から、笑顔を貼り付けることが増えた。
そうしないと壊れてしまいそうだった。
他にもいた。
「夢の中でお前とヤッたよ」って笑いながら言う男子。
「ラブホ行こうよ」って、顔もよく知らない子から突然来たメッセージ。
「キスしていい?」と、教室の帰りに迫ってくる影。
彼らの言葉の中に、自分が「女」として扱われていることが明白にあった。
そのたびに、体の中を何かが這いまわるような、不快で、哀しくて、腹立たしい気持ちになった。
「女として見られること」が、これほどまでに気持ち悪いとは思わなかった。
自分は、ただ「女という記号」に閉じ込められていた。
メイクをして、スカートを履くことが好きな自分が、どこかでその「女らしさ」が、性の対象として勝手に意味づけされてしまうことに、嫌悪を覚えていた。
自分は「女」であることで、証明されてしまう。
何かが、自分の意志ではないところで、決めつけられていく。
それが、苦しかった。
その頃から、生理も止まるようになった。
数えるほどしか来なかった三年間。
不安よりも、「楽だった」と思ってしまったことが、今でも記憶に残っている。
生理が来ないことに、心がほっとしていた。
「女」である証拠が減ることが、どこか救いだった。
けれど、同時に、自分はなにかを失っていった。
心が、静かに、けれど確かに、壊れていった。
「好き」とか、「恋」とか、そんな言葉が、汚されてしまったように感じた。
あの春、桜は綺麗だった。
でも、自分の内側では、ひとひらの花も、咲かなかった。
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