挑戦者

1

「あやつ、どこまで行っておるのだ。たかが弁当一つ買ってくるというのにだ」

 孫六は空腹のあまり、少し苛立っていた。

「儂が行けばよかったな」

 と、少し後悔もしている。そこへ、工房の扉を叩く音がした。

「鍵は開いておるから、入って来なさい」

 入ってきた人物の姿を見て、

「坊主、なにか言伝でも頼まれたのか」

 と聞いた。すると、

「俺はガキじゃない。子どもに見えるかもしれないが、少なくともあんたよりはずいぶん年上だ」

 という。

「そうかえ。いや、儂には子供のように見えているが、不思議なこともあるものだ。で、お前さんはどこのだれで、何の用事があって、ここにきた」

「イシュタールだ」

「イシュタール?」

「俺の名前だ。用事は、ここにマゴロクとかいう奇妙な男がいる、と聞いている。そいつに会いたい」


 無論、孫六はこのような不思議な『少年』には縁もゆかりもない。当然ながら、名前に聞き覚えもない。

「儂が、その孫六だ」

 イシュタールは、一瞬だけ目を輝かせたが、すぐに戻り、

「俺の鍛えた剣と勝負をしてほしい」

 といってきた。

「勝負?」

「俺の剣か、あんたの剣か。どっちが良い物か、だ」

「お前さん、何か勘違いをしとりゃせんか?刀剣は勝負に使うものではない。儂の刀は確かに評判をよくしてはいるが、それを競い合うものではない」

 イシュタールは、拍子抜けしたような顔をして、

「弱腰だな」

 といった。

「弱腰?」

「そうじゃないか、自分が負けるかもしれないから、そんな言い訳をする」

 このイシュタールの言に、孫六はさすがに思う所があった。

「そこまで言うのであれば、さぞかし業物であろうな」

 と、見せるようにいった。イシュタールは、剣を孫六に渡す。


 剣の輝きは、秘宝が日に照らされたような極彩色で、見る角度とほんの少しの加減で色が七色にかわる不思議な代物であった。

「面白い代物だな」

 と孫六は褒めつつ、

「だが、打ち方が多少甘いかもしれん」

 と、刃に親指を当てながらいった。

 なんだと、とイシュタールが孫六に迫る。孫六は、

「ほれ、ここだ」

 と地鉄を指した。

「光の具合かもしれんゆえ、何とも言いようがないが、気にするほどのことではあるまい」

「あんたの剣はどうなんだ」

 イシュタールはそういって、見せるようせがんできた。

「なにがあるかな」

 孫六は自らが打った刀のうちの一振りをイシュタールに見せる。途端にイシュタールは、

「これが剣なのか?奇妙な形をして、細いじゃないか」

 と笑った。孫六はそれには動じず、

「で、勝負といったが、どうやって勝負を決めるつもりだ」

 とたずねると、イシュタールは、

「どうすればいい?」

 と逆に尋ね返してくる始末だったので、孫六は笑いながらも、

「そのようなことも決めもせずにやれ勝負だのなんだのというものではない」

 と、ぴしゃり、といった。


 それだけではない、と孫六は続ける。

「元来、刀剣は己を守るためのものであって、勝負の道具ではない。刀剣は子供の遊び道具ではないのだぞ」

「わかっているよ、そんなことは」

「ならば、何故勝負を願った。鍛冶屋であれば、そのようなことは分かっていたはずだ」

 イシュタールは言い返せないようである。

「坊主、もし精進をしたい、修業をしたい、というのであれば、喜んで迎え入れるつもりだ。だが、勝負事としてやってくるのであれば、儂は受け容れん。どうするね」

 イシュタールは結局何も言い残すことなく、工房を後にした。


 レベリウスがランチを持って帰って来たのはそれからまだしばらくしてからのことで、空腹のあまり、孫六は、

「遅い!!」

 と、八つ当たりするかのようにして声を上げた。

「すまねえ、親方。俺が行った時にはまだ出来上がってなくて、それどころか他の客の分すらできてなかったんだよ」

「だからあれほど、待っておれ、と言っていたのに。そのような粗忽でどうする」

「だから、悪かったって。……、ほら」

 レベリウスが孫六に渡したのは焼き魚と炒めた野菜、それとロール型のパンである。

 孫六が先に口にし、レベリウスが二人分の水をコップに注ぐ。一つを孫六前に置いた。

「この、ぱん、とやらはどうにも相性が悪い。口の中が乾いて困る」

「水を汲んであるから、それを飲みなよ」

 孫六は一口水を飲み、

「やはり、米の飯でないと、どうにも合わん」

「しょうがないだろ、コメとかいうのは無いんだから」

「いずれ、手の空いたときにでも、田んぼでも拵えるかな」

 孫六が冗談とも真剣とも分からないような口ぶりでつぶやくと、

「それよりも親方。何かあったか?」

 レベリウスがたずねた。


「奇妙な坊主が来てな、儂と勝負がしたい、といってきたな」

「勝負?」

「儂の刀と向こうの剣と、どちらが優れているか、とな。無駄な争いを仕掛けてきた。無論、すぐに断って説教をしてやった」

「いま、坊主っていったか?」

「ああ。そうさな、年のころなら、レダラスと同じくらいか、すこし年嵩に見えるな」

「……、他に特徴はなかったか?」

 孫六は『坊主』の姿を思い出しつつ、

「耳が尖っていたようなくらいで、後は。……」

「そりゃエルフ族だよ、親方」

「えるふ?」

「俺たちよりはるかに寿命が長い連中で、魔術を使ったりいろんなことが出来る奴らだよ。それにしても、こっちに来るなんて珍しいな」

「滅多に見ないのか」

 そうだ、とレベリウスがうなずく。レベリウスによると、エルフ族は北にある『神の森』に住んでいるのが大半だが、中には外の世界を知りたいために、森をぬけ出る『旅のエルフ』になる連中もいるらしい。


「恐らくだけど、親方の話を聞くに、そのエルフ族は五百歳くらいかな」

「五百年、というと儂の感覚では、鎌倉のご時世くらいになるか」

「……、よくわからねえけど、とにかく、滅多にないことだよ」

「だが、それほど長く生きておって、刀剣の何たるかもわからんというのは、エルフとかいうのも大したことないな」

 食べ終えた孫六は容器を片付け、レベリウスに渡す。先に食べ終えたレベリウスがそのまま工房裏に捨てに行こうとしたとき、少年らしき者を見た。

「どうした?」

 少年ことイシュタールは、

「やっぱり納得がいかない。勝負をしたい」

 とまた言い出した。

「やめとけ、うちの親方は一度こう、と決めたら梃子でも動かないんだから」

「負けるのが恐いのか」

「怖いとかそういうことじゃない、親方はそもそもの目的が違うんだよ。エルフ族。……」

「イシュタールだ」

「ああ、イシュタール。忘れちまいなよ、永遠ともいえる命なのに、そんな小さな事にこだわってどうするんだよ。神の森に帰るか、旅をするか。どっちかにして、この町から離れたほうがいい」


 イシュタールはとても忠告を聞きそうにない。

「わかった。こっちへ来な」

 レベリウスは工房へイシュタールを入れた。

 親方、とレベリウスが話すと、孫六は、

「仕方あるまい。五百年生きておっても、子供は子供よ」

 と仕方なしに笑う。

「そこまでいうなら、付き合ってやろう。で、勝負とはどうする」

 イシュタールは少し考えて、

「使って立ち合いだ」

 という。

「真剣勝負で戦わせる、ということかね」

「そうだ。俺の剣が勝つか、あんたの剣が勝つか」

「なぜ、そこまでして勝負にこだわる」

 イシュタールは答えない。


 孫六はそれ以上聞くことはしなかった。

「それが、お前さんにとって、得心の行くことだとするなら、受けて立とう。方法は、好きに決めるがよい」

 イシュタールはそれぞれ代理人を立てて、戦うことを希望した。

「当てがあるのかえ?」

「……、ない」

「ならば、こちらで二人手配をすることになるな。全く面倒をかける」

 孫六は鼻息を荒くしたものの、仕方がない。

「レベ、すまんが、大将を呼んできてくれんか」

「ウィリシュを?」

「ああ、あともう一人は。……、お前が立ちあえ」

「ええ?俺が?」

「ああ、他に人がおらんからな」

「いや、クロムンド先生とかいるじゃないか」

「馬鹿者、道場主殿は、立会人としておらねばなるまいが」

「ゲインズさんは。……」

「領主さまが許すと思うか?道場主殿のことを思いだせ」

 あ、とレベリウスは、思い出した。


 クロムンドは過去のことで立ち合いをし、命を奪った。そのことで、領主であるトーハン・アーデンから一時、死刑という判決を受けたことがあった。

「だから、他に人がおらんのだ」

「わかったよ。でも、ウィリシュが相手なのはなあ」

「そのようなこと、事前に根回しをしておけばよい。命のやり取りをするわけではないのだからな」

 わかったよ、レベリウスはウィリシュのところへ向かった。

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