第3章 彼女の秘密、僕の迷い

 待ち合わせの喫茶店に入った瞬間、空気が変わった。

 空間のすべてが、ひとりの人物を中心に回っているような錯覚。

 まるで、光源の中心に座っているみたいに。


 


 ──そこに、レイがいた。


 


 「直樹くん。……久しぶり。来てくれて、ありがとう」


 その声だけで、空気が少し甘くなる気がした。

 けど、なんだろう。画面越しや、コミケで見たときよりも──生身の存在感が強すぎる。


 長い髪はゆるく巻かれて、艶のあるリップが形の良い唇をなぞる。

 白いブラウスにタイトなロングスカートという落ち着いたコーデなのに、胸元のボタンの膨らみが目に入ってしまって、思わず視線を逸らした。


 


 やばい。ヤバい。ヤバい。ヤバい。


 


 正直、距離が近すぎる。

 そして……いつもの“あれ”が来そうだった。


 


 ──吐き気。


 


 胸が近い。谷間が視界に入る。女の香りがする。

 普通ならもう限界なはず。俺は一刻も早く逃げるべきだ。

 ……なのに。


 


 「顔、赤くなってない? 大丈夫?」


 すっと差し出された手。細くて、柔らかそうな指先。

 俺は、その手を見つめたまま、動けなかった。


 


 ──なぜだ。


 


 女なのに。こんなにも“女らしい”のに。

 なぜ、吐き気がしない? なぜ、逃げたいと思わない? むしろ──


 


 「……綺麗、すぎて、ちょっとびっくりして」


 自分で言って、死にたくなった。けど、それが本音だった。


 


 レイは、一瞬だけ目を丸くして、それからふっと微笑んだ。

 その表情が、なぜか少し寂しげだったのが気になった。


 「そっか。……ありがとう。でもね、私、綺麗って言われるとちょっと怖いの」


 「……どうして?」


 「だって、“綺麗な女”として見られた後に、“それ”を知った人たちは、手のひらを返すから」


 


 “それ”ってなんだ?


 


 一瞬、胸の奥がざわついた。

 だけどレイは、それ以上は何も言わなかった。


 


 「ねえ、直樹くん。前に言ってたよね、“創作のヒロインしか愛せない”って」


 「ああ……そう、だったね」


 「今でも、そう思ってる?」


 


 その言葉に、返事が詰まった。


 頭では「そうだ」と言いたかった。女は苦手、創作が正義。

 でも、目の前にいる彼女を見ていると、どうしても──


 


 「……わからなく、なってる」


 


 沈黙。店内のBGMだけが流れていた。


 


 「そっか」


 レイは、そう言って笑った。

 その笑顔が、嬉しそうでもあり、どこか覚悟のようでもあった。


 


 「じゃあ、今度……私の“全部”を知っても、嫌わないでくれる?」


 


 その言葉に、俺の心臓は悲鳴をあげた。


 


 なにを言おうとしている?

 なにを、俺は──聞かされようとしてる?


 


 だけど、その一瞬の問いのあと、俺はこう思ってしまった。


 


 ──知りたい。


 


 どんな秘密でも。どんな真実でも。

 レイという存在のすべてを、俺は知りたい。


 


 そう思ってしまった時点で、もう──俺の“推し”は、ただのキャラじゃなかった。


 


(第3章・了)

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