罪の告白と霊との対話

『あなたの、いちばんの罪はなんですか?』


 聖人の声は、時間が経つにつれてより強く、より切迫したものになっていった。エレベーター内の温度はさらに下がり、二人の息が白く見えるほどになっている。


「寒い……」


 陽菜乃が呟くと、泰河はもはや言葉にならない震え声を上げていた。


「う、う、うう……」


「泰河、大丈夫?」


 陽菜乃が心配そうに声をかけると、泰河は青ざめた顔で首を振った。


「大丈夫じゃない! 全然大丈夫じゃないよ!」


『あなたの、いちばんの罪はなんですか?』


 声は未だに執拗に問いかけを続けている。しかも、徐々に音量が上がっているようだった。


「答える必要なんてないのよ」


 陽菜乃が毅然とした口調で言うと、エレベーター内の空気が重くなった。


『あなたの、いちばんの罪はなんですか?』


「しつこいんだってばよ! 俺たちになんの関係があるんだよ!」


 泰河が思わず叫ぶと、声に微妙な変化が現れた。


『関係が……ないと?』


 今度は、明らかに泰河に向けられた問いかけだった。


「ひっ!」


 泰河が陽菜乃の後ろに隠れようとすると、声はさらに続いた。


『あなたは、見ているでしょう? ボクたちを。助けを求めるボクたちを』


「え……」


 泰河の顔が真っ青になった。


『見て見ぬふりを続けて、逃げ続けて……それが、あなたの罪ではないのですか?』


「やめろ……」


 泰河の声が震えた。


「やめてくれよ……」


「泰河?」


 陽菜乃が振り返ると、泰河の表情が見たこともないほど暗くなっていた。


『あなたの、いちばんの罪はなんですか?』


 声は容赦なく問いかけを続ける。


「言わなくていいのよ、泰河」


 陽菜乃が必死に止めようとしたが、泰河は震える手で顔を覆った。


「でも……でも、本当のことなんだ」


「泰河……」


「俺は、いつも逃げてばかりいる」


 泰河の告白が始まった。


「霊が視えるって言っても、怖くて怖くて、いつも目を逸らしてる」


「それは……」


「助けを求めてる霊がいても、見て見ぬふりをして逃げるんだ」


 泰河の声が涙声になった。


「小学生の時から、ずっとそうだった。学校の七不思議も、公園の幽霊も、商店街の角に立ってる女の人も……みんな、俺に何か伝えようとしてるのに、俺は怖くて逃げるだけだった」


「泰河……」


 陽菜乃は胸を痛めた。泰河がこんなに深い悩みを抱えていたなんて、知らなかった。


『あなたの、いちばんの罪はなんですか?』


 聖人の声が、まるで催促するように響く。


「俺の……俺のいちばんの罪は……」


 泰河が震える声で答えた。


「霊が視えるのに、ずっと見て見ぬふりをしてきたことだ!」


 その瞬間、エレベーター内の空気が大きく変わった。


「助けを求めてる霊がいても、怖くて逃げてばかりいた!」


 泰河の告白が続く。


「陽菜乃に出会うまで、ずっとそうだった! 自分の能力から逃げて、責任から逃げて……」


「泰河、もういいのよ」


 陽菜乃が泰河の肩を抱こうとしたとき、聖人の声が再び響いた。

 聖人の声は、今度は明らかに動揺している。


『逃げて……逃げて……』


 声が震えていた。


『それが……罪……』


 陽菜乃は霊力を集中させて、聖人の過去を探った。すると、より鮮明な光景が頭に浮かんだ。

 三十年前、経済学部の優等生だった聖人。彼には親友がいた。しかし、その友人は深い悩みを抱えており、いつも聖人に相談していた。「もう疲れた」と友人は言った。「生きているのがつらい」と。

 しかし聖人は、友人の深刻さを理解せず、軽く受け流してしまった。「大丈夫だよ」「そのうち良くなる」と、表面的な慰めの言葉しかかけなかった。

 そして、ある日。友人は自ら命を絶った。


 聖人は深い罪悪感に苛まれた。「もっと真剣に話を聞いていれば」「もっと早く気づいていれば」「もっと……」そんな後悔が、彼を蝕んでいった。そして、友人の後を追うように、聖人もまたこの建物で命を絶ったのだった。


「そうだったのね……」


 陽菜乃が呟くと、聖人の声が再び響いた。


『ボクも……逃げた……』


 声は明らかに苦しんでいた。


『友人が助けを求めていたのに……ボクは逃げた……』


「あなたも、同じだったのね」


 陽菜乃が静かに言った。


「誰かを助けられなかった罪悪感を抱えている」


 エレベーター内の温度が、さらに下がった。今度は、聖人の感情の激しさによるものだった。


『そうだ……そうなんだ……』


 声が荒れ、エレベーターが小刻みに揺れ出す。


『だから、同じ罪を持つ者を探していた……同じ苦しみを味わわせるために……』


「違う! あなたが求めているのは、他人の罪じゃない!」


 陽菜乃が強く叫んだ。


『なに……?』


「自分を許すことでしょう?」


 陽菜乃の言葉に、エレベーター内が静まった。


「友人を救えなかった痛みはわかる。でも、それであなたまで苦しむ必要はない」


『でも……でもボクは……』


「あなたは十分苦しんだわ。三十年も。もう、自分を許してもいいんじゃない?」


 陽菜乃の声は優しかった。

 しかし、聖人の霊は納得しなかった。声がより激しくなり、エレベーターがさっきよりも揺れ出した。


『許されない……ボクは許されない……友人を見殺しにしたボクは……』


「見殺しになんてしてない! あんたは、友人のことを心配してただろ?」


 今度は泰河が叫んだ。


『でも……』


「俺だって同じだよ。俺も怖かった。霊を見るのが怖くて、関わるのが怖くて、ずっと逃げてた」


「泰河……」


 泰河が恐怖を乗り越えて、聖人に向き合おうとしている。陽菜乃は驚いた。泰河がこんなに勇気を出すなんて。


「でも、陽菜乃に出会ってわかったんだ。逃げちゃダメだって」


 泰河の声に、確かな意志が込められていた。


「あんたも、もう十分苦しんだだろ?」


『ボクは……』


「俺たちを巻き込んで、同じ苦しみを味わわせたら、あんたの友人は喜ぶのか?」


 泰河の問いかけに、北原の声が止まった。


「友人が喜ぶのは、あんたの苦しみじゃない。あんたの幸せだったんじゃないのか?」


 エレベーター内に、重い沈黙が流れ、聖人の声が、かすかに響いた。


『友人は……いつも言っていた……』


 声が震えている。


『聖人は、もっと自分を大切にして、と……』


「そうよ。あなたの友人は、あなたに幸せになってほしかったの」


 陽菜乃が優しく言った。

 しかし、そのときだった。

 エレベーター内の温度が急激に下がり、壁がきしみ始めた。


『でも……でも……』


 聖人の声が激しくなった。


『許せない……やっぱり許せない……』


 霊の感情が暴走し始めたのだ。


「うわあああ! 陽菜乃、これヤバくない?」


 泰河が再び青ざめた。


「うん……」


 陽菜乃も顔を青くした。このままでは、聖人の霊に巻き込まれて、二人とも危険な状況に陥る可能性があった。

 エレベーターが大きく揺れ、二人は壁にぶつかった。


『許せない……許せない……ボクを許せない……』


 聖人の絶叫が、密室に響き渡った。

 三十年間の罪悪感が、ついに爆発したのだった。

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