声を失くした存在との遭遇

 録音機器から流れる異常な音は、次第に鮮明さを増していった。最初は単なる歪んだエコーのようだったものが、今では明らかに意味を持つ言葉として聞こえ始めている。

 メンバーたちが状況を理解しようとしていたとき、予期しない事態が発生した。録音機器から流れる声が、晴音だけでなく、他のメンバーの声も真似し始めたのだ。


『これは面白い現象だね』


 これは遼の声だった。しかし、遼本人は当然なにも話していない。


『ちょっと、俺の声まで真似するのか?』


 今度は翔也の声も録音機器から流れる。


『みんなの声を……集めている?』


 千沙の声まで加わり、陽菜乃が驚く。


「私たちの声を全部記憶してるの?」


 泰河が霊の様子を見て報告する。


「その人、すごく嬉しそうな顔をしています。でも、まだ口はないままです」


 録音機器から流れる声は、今度は複数の声が混じり合い始めた。晴音の声、遼の声、翔也の声が同時に聞こえ、まるで大勢の人が一斉に話しているような混乱した状況になる。


「これはまずいかも」


 千沙が時計を確認する。


「時間も気になるし、このままでは収拾がつかなくなる」


「でも、機材を止めたら、この声の主との接触も切れちゃうんじゃ?」


 陽菜乃が心配すると、晴音は機材を見つめたまま呟いた。


「そうですね。この人はワタシたちと話したがっているみたいですし……」


 録音機器からの声は、次第に感情的になっていく。複数の声が混じり合いながら、『もっと……もっと話したい……一人は嫌……』と繰り返している。


 泰河が視ている霊の姿も、より鮮明になっていた。


「その人、だんだんはっきり見えるようになってきました。でも、とても悲しそうです」


「わかった。その人と、ちゃんと話してみましょう。きっと、なにか理由があるはずです」


 陽菜乃がそう言うと、遼がノートに記録を取りながら返す。


「状況が複雑化してきた。ただの音響現象ではなく、明らかに意識を持った存在との接触だ」


 翔也が周囲を警戒する。


「時間的な制約もある。次の段階に進むなら、慎重に行こう」


 地下閲覧室の静寂の中で、録音機器から流れる複数の声が響き続けている。そして、それを見つめる六人の学生たちの表情には、困惑と同時に、その存在への理解を深めようとする意志が宿っていた。


 夜は、まだ始まったばかりだった。

 録音機器からの声がさらに変化した。今度は泣き声に近い、切実な響きを帯びている。


『忘れられた……名前も……声も……誰も……聞いてくれない……』


 遼が冷静に状況を分析しようとしていた。


「この存在は自分の声を持たないから、他人の声を借りて意思疎通を図ろうとしているのかもしれない」


「なら、コミュニケーションを取れるかも? けど、細心の注意を払って続けよう」


 そう話す翔也に、晴音が戸惑いながら尋ねた。


「でも、どうやって話せばいいんですか? 相手はワタシの声を使っているんですよ?」


「心の中で話しかけてみるのはどう? 声に出さずに、意念で」


 千沙に言われた晴音は深呼吸をして、心の中で問いかけた。


 ――あなたは誰ですか?――


 すると、録音機器から即座に晴音の声で答えが返ってきた。その調子は明らかに晴音のものではない。もっと弱々しく、不安に満ちた響きだった。


『わからない……忘れてしまった……ワタシの名前……ワタシの声……どんな声だったのか……』


 泰河には、その霊の姿がより鮮明に視えていた。二十歳前後の若い女性で、肩まで届く髪の長さ。ただ、顔の下半分、口元から顎にかけてが完全に失われており、彼女は両手を必死に動かしてなにかを伝えようとしている。


「手話? 多分、手話をしています。でも、俺には読み取れません……」


 陽菜乃は銀の鈴を握りしめ、その存在の感情を読み取ろうと集中した。すると、深い孤独感が波のように押し寄せてきた。誰にも気づかれず、誰にも声をかけてもらえない。そんな絶望的な孤独感と、それでも誰かに自分の存在を知ってもらいたいという強い願いが入り混じっている。

 悲しみの強さに、陽菜乃は思わず涙ぐんでしまった。


「この人、とても寂しいんです。ずっと一人で……誰とも話せなくて……」


 晴音が再び心の中で問いかけた。


 ――どうして声がないんですか?――


 録音機器からの答えは、さらに悲しみを帯びていた。


『生きていたとき……うまく話せなかった……小さな声で……誰も聞いてくれなくて……死んでから……自分の声がどんなだったか……わからなくなった……」


 遼がメモを取りながら呟いた。


「生前のコミュニケーション障害が、死後も継続している可能性があるな。声というアイデンティティの喪失だ」


 その時、予期しない事態が発生した。録音機器から流れる声が、また変化したのだ。今度は晴音の声ではなく、陽菜乃の声になっていた。


「え?」


 陽菜乃が驚く。

 続いて泰河の声、遼の声、千沙の声、翔也の声へと次々に変わっていく。その存在は、その場にいる全員の声で話し続ける。


『私の声は……どれ? どれが私の声?』


 録音機器は混乱したように、六人の声を無秩序に発し続けている。時には同時に複数の声が重なり合い、不協和音のような響きを生み出していた。


 泰河が見ている霊の表情も混乱に満ちている。手話の動きがより激しくなり、明らかに焦燥感を表している。


「だめです、この人、パニックを起こしています。自分の声を見つけられなくて……」


 陽菜乃の銀の鈴が激しく鳴り始めた。前回とは違う、不安定で切迫した響きだ。


「このままだと危険かもしれない。一旦撤退を――」


 翔也がそう言いかけたとき、録音機器からの声が一瞬止んだ。そして、今度はまったく違う声で、か細く呟くような音が流れ始めた。


『誰か……教えて……私の声……私は誰……?』


 それは誰の真似でもない、オリジナルの声のように聞こえた。しかし、あまりにも弱々しく、今にも消えてしまいそうだった。


 晴音が直感的に理解した。


「この人は、自分の声を探しているんです。でも、どれが自分の声なのかわからなくなってしまった……」


 それに陽菜乃も頷いた。


「みんなの声を聞いて、その中から自分の声を見つけようとしているんですね」


「なら、手伝ってあげよう。その人の本当の声を、アタシたちで一緒に探してあげるの」


 千沙はそう言うけれど、どうやって――?

 メンバーたちは困惑した。死者の生前の声など、誰も知らない。そもそも、その人が誰なのかさえわからないのだ。

 録音機器からは、相変わらず様々な声が混じり合って流れ続けている。その中に、きっとその人の本当の声のヒントが隠されているはずだった。


 泰河は震えながらも、霊の表情を注意深く観察していた。きっと、なにかのサインがあるはずだ。この混乱を解決する鍵が、必ずどこかに隠されている。


 地下閲覧室の空気は重く、時間だけが過ぎていく。しかし、メンバーたちは諦めなかった。この声なき存在を、必ず助けてみせる。そんな決意を胸に、彼らは解決策を模索し続けるのだった。

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