第5話

『若様武芸帳』第五話 京都編・前編


――「瓢箪の猿と、封ぜられし市街の夜」――


一、渡月橋の異変


 その夜、嵐山の渡月橋は不気味な静けさに包まれていた。  月明かりが川面に淡く差し込むなか、突如として桂川が逆流を始めた。  渦を巻く水面から、ごぼり、ごぼりと音を立てて現れたのは、苔に覆われた古びた祠であった。


 木々の間からそれを見つめる、謎の影一つ――。


 「……封が、破れよったか」


 そう呟いたのは、かつて大坂にて相対した敵、千成猿之助。  今はその身を風に任せる、たこ焼き売りの風来坊である。


二、都入りと“笑わぬ都”


 一行は京の市街に足を踏み入れた。  若様、じぃ、くのいちこ、川キチ、そしてツララ。  福井から南下し、琵琶湖を横目に見ながら山科から京の都へ。


 しかし、都はどこか奇妙だった。  人々が皆、無表情なのだ。  無言で商いをし、笑わず、怒らず、感情の起伏を封じられたように。


 「なあ、じぃ……ここ、なんかおかしないか?」  「……ああ、都の気が死んでおる。こりゃ、ただ事ではないぞい」


 壁には、黄金色の瓢箪と猿を描いた古びた札が貼られていた。  まるで街全体が結界に包まれているようだった。


三、因習伝説「金封じの瓢箪」


 くのいちこが探ってきたのは、市井に残るある伝承だった。  それは「金封じの瓢箪」と呼ばれる術。


 曰く、かつて都を救うため、術者が千の瓢箪に人々の欲望や怒り、喜びといった“魂の感情”を封じ、都全体を鎮めたという。


 「しかしそれは、都を“眠らせる”行為でもあったのだ」  「つまり……今もその術が、続いてるってことか?」  「あるいは、誰かが再び使ったのか……」


 その術の名は、《金鎖大封(きんさたいふう)》と記されていた。  千の瓢箪を操る猿――その名も「千成」が使役していたという。


四、千成猿之助、現る


 その夜、屋台の明かりが一つ。  ぱちぱちと鉄板でたこ焼きを焼いていたのは、金色の装束を身にまとう風変わりな男。  くるくると舞うように焼く姿は、かつての姿そのままだった。


 「おお、お主ら……お久しぶりでござるな。食うかい? 熱々の魂入りたこ焼き」


 「千成……! なんでここに」


 「都を、な。少しでもあったかくしてやろうと思うたんじゃ。   封印がゆるんどる。あの術を、また誰かが使おうとしておる」


 かつての敵ながら、今は妙に味方めいていた。  「お主ら、真実を知りたくば、あの祠へ行くとよい」


五、ツララと封印祠


 ツララは皆に黙って、渡月橋近くの祠へと向かった。  水辺の祠には奇妙な文字が刻まれていた。


 “喜怒哀楽を断つべし。魂、瓢箪に宿り、術となる。”


 祠の中からは、誰かの記憶が溢れ出すようだった。  千の魂を封じた術師は、やがて自身の感情すら忘れ、石となったという。


 「これ……呪いやんか……」


 ツララの手が、淡く光った。  彼女の中に眠っていた何かが反応していた。


 「わたし……この術、知ってる。いや、思い出したんや……」


六、封印の崩壊と、前編の終わり


 祠が震えた。  京の空に、金色の煙が立ちのぼる。  千の瓢箪が、都の地下で目覚め始めていた。


 ――術が、解かれつつある。


 若様たちは、都を呑み込まんとする因習の大渦に向け、足を踏み出す。


 次回、京都編・後編!

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