第21話 鎬を削るものたち
「……それで、今回の本題は“紅華特務局”について、ということかな?」
榊原が手元の書類を閉じながら静かに問いかけた。部屋には一瞬、時計の音すら聞こえそうな静寂が落ちる。琴葉は、こくりと頷いた。
「はい。私たちの学園で、ヒューマノイドのOSに対して不審な操作が行われている気配があります。それだけじゃなく、買収工作のような動きも確認されていて……その中心にいるのが――神崎天花さん。陸斗の、大切な友人です。どうやら彼女が関わっているのが、“紅華特務局”という中国系の組織みたいで……」
榊原は目を細めると、机の引き出しから数枚の資料を取り出した。黄ばんだコピー用紙の束がテーブルに並べられ、紙の端が擦れる音が、部屋に不自然なほど響いた。
「……紅華特務局。うちでも、その名は何度か出てきている。ただ、実態については我々も把握しきれていない。“中国政府の影”とも言われているが、国家に属しているのか、あるいは国家すら操る第三勢力なのか――立場は常に曖昧だ。そして、最近我がEXODUSは紅華特務局の東京での動きを察し水面下で火花を散らしている」
榊原は手元の紙を一枚指先でなぞった。そこには、海外法人を経由して日本の私立学園を買収した記録や、学内で報告されたヒューマノイド制御トラブルに関する断片的な証言が記されていた。
「なんだこれ……思ったより、ずっと具体的じゃないか……これだけ掴んでいれば……」
隼人がごくりと唾を呑む。陸斗も、資料の隅にある“上海”“汎用型AI制御下”といった文字に目を留め、背筋に冷たいものが走るのを感じた。
「いや、我々EXODUSが掴んでいるのは、ほんの氷山の一角に過ぎない。そう思っておいてくれると助かる」
榊原は苦笑しながら、老練な観察者の顔で若者たちを見渡した。
「“繁栄クラブ”についても、少し触れておこうか。アメリカの超富裕層が形成した、世界利権のネットワークだ。金融、医療、教育、資源……あらゆる分野に根を張っていて、公には決して姿を現さないが、確実に世界の構造に影響を与えている」
榊原の語り口には、熱はない。しかし、淡々とした言葉の背後には確かな確信があった。
「そして紅華特務局は、その“繁栄クラブ”と正面から対立するわけではない。協調とすれ違いを繰り返しながら、自らの秩序を築こうとしている。国家と企業、あるいは超国家的勢力のあいだを器用に立ち回るその姿勢は、時に国家の方針をも上書きしてしまうほどに強引だ」
「君たちの身の回りで起きている異常な現象は、言ってしまえば……そうした、巨人同士のぶつかり合いの“かすり傷”に過ぎない……」
琴葉と隼人は言葉を失い、陸斗は息を呑んだ。薄々は感じていた事実を目の前に突き付けられると戦慄すら覚える……
「我々EXODUSも万能ではない。我々は正義を掲げているが、内部に矛盾もあるし、すべてを見通しているわけでもない。必要に応じて情報を隠すこともある。時には、それが最善だと信じているからこそ、敢えて“見せない”選択を取ることもある」
榊原は言葉を区切り、改めて若者たちを見据えた。
「だが――」
その声は、柔らかさを残しつつも芯の通ったものだった。
「君たちのように、覚悟を持って動こうとする若者がいること。それは我々にとっても希望だ。琴葉さん。君を“連絡係”として認めよう。外交員として、情報のやり取りならば我々のネットワークを通じて行える」
榊原はそう言うと、古びたスマートフォンのような小型端末を取り出し、テーブルにそっと置いた。見た目は旧式のキャリア機だが、特殊なICタグが内部に埋め込まれているらしい。
「ただし、ハイリスクな行動は避けてほしい。私たちは君たちを疑っているわけではないが、現時点で全面的な信頼を置くには、お互いに持つ情報量が違いすぎる」
その言葉には、大人としての誠実な距離感が滲んでいた。そして、琴葉たちの行動を尊重しつつも、守ろうとする姿勢でもあった。
しばし、部屋に沈黙が落ちた。
「陸斗くん、隼人くん。今すぐ具体的な支援は難しいが、君たちが新しい事実を掴んだら、こちらに共有してほしい。我々からも、君たちが必要とする情報を、琴葉さんを通じて届けるよう努める」
榊原はそう言いながら、微かに笑みを浮かべて陸斗を見つめた。その表情には、若者たちへの信頼と敬意が込められていた。
ミーティングが終わり、三人は受付へ戻った。他のEXODUSメンバーが姿を現すことは最後までなかった。インカムを返却する際、受付の女性が「次は禁止コード使わないでね」と冗談めかして釘を刺すと、琴葉は少しバツが悪そうに「……気をつけます」と小声で返した。
ビルのロビーを抜け、駅前の広場へ出ると、斜めに差し込む秋の日差しが三人を迎えた。しばらくの間、誰も口を開かなかった。
「……すごいな、琴葉。いや、前からただ者じゃないとは思ってたけどさ。まさか、あんな組織と関わってたなんて」
隼人がぽつりとつぶやくと、琴葉は肩をすくめ、少し苦笑した。
「関わってるっていうほどじゃないよ。助けられてばかりだったし。私ひとりで何かできるなんて思ってない。でも……目の前で起きてることを、何もしないで見てるのも嫌だった」
「それでも、榊原さんと繋がれたのは大きい。あの人、本気で情報を持ってる。紅華特務局と学園の繋がりを探る手がかりになるはずだ」
陸斗が言うと、琴葉は少しだけ目を細め、ようやく微笑んだ。しかしその笑顔の奥には、先の見えない困難を予感させる影が差していた。
(天花……今もどこかで、一人、あの組織の中に……)
EXODUSですら全貌を掴めていない紅華特務局。その実態に迫るには、まだまだ情報も、覚悟も足りない。
それでも、陸斗の中で「諦めない」という思いだけは、はっきりと芽生えていた。
琴葉が隣にいてくれるのが、心強かった。彼女の真剣さも、優しさも、ちゃんと伝わっている。
だけど――天花への想いがある限り、琴葉に対して自分から何かを返すことはできない。その中途半端さが、陸斗自身にもどかしさを残していた。
こうして三人は、“EXODUSとの接点”という大きな一歩を得た。
だが、それは「勝利」ではなかった。
相手が次にどう動くのか。世界の奥で何が蠢いているのか。
手にしたのは、あくまで“手段”だった。
それでも、前に進むしかなかった。
――天花を、取り戻すために。
――この世界の歪みに、ほんの少しでも抗うために。
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