第20話 EXODUS
「……ありがとな、琴葉。俺、もっと知りたいと思う。天花のことも、この世界のことも……今のままじゃ、何も守れないから」
「うん。焦らなくていいよ」
琴葉はそう言って、静かに資料をまとめはじめた。
その背中には、芯のある強さと、どこか不器用な優しさがにじんでいた。
何も言わなくても伝わる、“いつでも頼って”という空気。
(……どうして琴葉は、こんなふうに俺を支えてくれるんだろう)
ふと浮かんだその疑問は、答えのないまま胸の奥に沈んでいく。きっと琴葉も、誰かを守れなかった過去を持っている。天花を追えなかった自分と、父を助けきれなかった琴葉。違うようで、同じような“届かなかった痛み”を、ふたりはどこかで共有していた。
その夜、二人の間にこれ以上の言葉は必要なかった。
ただ静かに、資料を整え、ファイルを重ねる。
終業チャイムの音も、エアコンの風も消えた夜の校舎。
息遣いだけが響く空間が、ふたりをやさしく包み込んでいた。
週末の昼下がり。陽射しが街を柔らかく包み込むなか、民部陸斗は桜井琴葉と山城隼人に呼び出され、駅前の再開発ビルへと足を運んでいた。翔平は別の用事があるらしく同行していない。
ふたりに連れられて向かった先は、以前キャンプの打ち合わせでも訪れたことのある情報サービスセンター。観光案内や公共手続きの支援が行われている、いかにも平和で無害そうな施設だった。
「……ほんとにここで合ってるのか? 観光パンフしか並んでねぇぞ……」
隼人がカウンターを見て眉をひそめる。受付の女性はにこやかに地図を配っており、この場所に極秘情報や秘密組織の気配があるとは到底思えなかった。
「表向きはね。でも、私はここを何度も使ってるから。見てて」
琴葉はそう言って受付へ向かい、手際よく端末利用の申請を済ませた。案内されたのは奥のレンタルブース。幅広のモニターとキーボードが設置されており、誰もが自由に情報検索を行える造りになっていた。
ブースに入ると、琴葉はまずニュースサイトをしばらく閲覧して見せた。それからふいに画面を切り替え、システムの管理者向けモードに遷移し、手慣れた様子で乱数コードを入力する。
次の瞬間、端末から警告音が鳴り響いた。画面が一瞬フリーズしたかと思うと、すぐに係員の女性が慌てて小走りでやってくる。
「またやったの、琴葉ちゃん……。今度こそ主任に怒られるよ?」
女性はため息をつきながらも慣れた様子で電話を取り、三人をミーティングルームへと案内した。
通されたのは、無機質な白壁に囲まれた簡素な会議室。そこで陸斗たちを出迎えたのは、白髪まじりの髪を整えた眼鏡の初老男性だった。名札には「榊原 義信」と記されている。
「また君か……。もう何度目かな、この“コード遊び”は」
榊原の口調には叱責というより、むしろ親しみが込められていた。琴葉は小さく頭を下げると、陸斗と隼人の背中を軽く押して前に出るよう促した。
「すみません、榊原さん。でも今日は、私の仲間にもちゃんと話してもらいたくて」
榊原はふたりの顔をじっと見つめ、静かに頷いた。まるで、何かを測るように、ゆっくりと言葉を紡ぐ。
「……分かった。民部君と山城君だね。それから今日ここには来ていない、西野君。君たちのことは琴葉から聞いている。これから話すことを秘密にしてくれると約束してくれるかね?」
ゴクリと固唾をのみ、陸斗と隼人は見つめ合って頷いてから答えた。
「わかりました」
「約束します」
榊原は一瞬見定めるような目つきて彼らを見たが、それ以上、約束について踏み込むことはなく続けた。
「わかった。私は“EXODUS”のローカルメンバーとして、必要な範囲で協力しよう」
陸斗の胸に緊張が走った。
琴葉が以前から話していた“ある組織”――それが、このEXODUSなのか。
「民部くん、山城くん。私が家族を救ってもらった組織、それがEXODUSなの」
琴葉の声は落ち着いていたが、その奥には確かな熱を秘めていた。
「EXODUSは、世界規模で活動しているレジスタンス組織。国家や企業による情報統制や権力の乱用に抗い、社会のバランスを取り戻そうとしてる。私は、その国内支部のひとつで育てられてきた。小学生のころからね」
「そんなすごい組織が、こんなビルの一室に……?」
隼人が呆れ半分で言うと、榊原が微かに笑った。
「見た目は区の市民支援施設……困窮者への救済や監視対象からの保護は行政が行っている業務でもある。そこへ溶け込むようにEXODUSのメンバーが入り込んでいる。EXODUSとしてはネットワーク監視を行う複数の中継点でもある。琴葉さんのITスキルも、その過程で自然と育っていったんだ。お父さんの件もあってね……」
陸斗は驚きとともに、胸の奥が痛むのを感じた。
「……俺なんかのために、組織や琴葉の秘密を明かしてもらうなんて申し訳ない……」
「民部くんが謝ることなんて、何もないよ」
琴葉が、きっぱりと遮る。
「私は、自分が信じたことのために動いてる。天花さんのことも、民部くんの想いも、その両方が大事だから。たとえ誰かに理解されなくても、私は……この手で確かめたいの」
その声は小さいが、確かに空気を変えた。榊原も無言で頷き、机の上に一冊のファイルを置いた。
この瞬間から、陸斗たちは、世界の“裏側”に足を踏み入れようとしていた。
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