第18話 生徒会室
放課後の生徒会室には、いつもの緩い空気はなかった。民部陸斗、桜井琴葉、山城隼人、西野翔平の四人が、それぞれ端末に向かい、息を潜めるようにして画面を見つめていた。
目的は一つ――「学園サーバーに残されたアクセスログの再調査」
「……本気でここまでやるのか、琴葉」
隼人が眉をひそめて問う。モニターに広がるのは、普段生徒が立ち入ることのできない管理者領域だった。画面のUIは見慣れないレイアウトで、内部システムの深部に直結している。
「ギリギリのラインだけど、"生徒会システム監査の一環"って建前ならログインできる。今の会長の権限なら……たぶん、大丈夫」
琴葉はそう言いながら、躊躇のない手つきでファイル群を次々に開いていく。冷静な指先とは対照的に、その瞳の奥には一分の迷いもなかった。あまりにも自然で無駄のない所作に、陸斗は息を呑む。
(……やっぱり、この人は、どこか俺たちと違う)
いつの間にか、彼女を見る目に尊敬と警戒が入り混じるようになっていた。美しいというより、鋭い。凛としていて、誰よりも学園を俯瞰しているような――そんな目だった。
「クールすぎて逆に怖ぇ……ログイン出来るって話と、していいかってことは別じゃん……」翔平が冷やかすように本質を突く。
隼人も小さく笑って肩をすくめながら、外部端末で別ルートのログを解析している。彼の家は学園法人の理事に関係しており、裏から得られる情報も多い。今回も「親のコネ」で、ある重要なキーワードを掴んでいた。
――“紅華特務局”。
隼人は、画面に映し出されたファイルの中から、天花の名前が添付されたものを見つけた。文書の作成日と改変日が一致しない。しかも、複数のIDがバラバラの時間帯でアクセスしている痕跡がある。
「やっぱり……誰かが、外部からヒューマノイドに指示を飛ばしてたんじゃないか?」
隼人が声を落として呟くと、琴葉が静かに頷いた。
「普通の生徒には無理。しかも、この改変は、完全に制御系に踏み込んでる。ヒューマノイドの行動ロジックそのものを操作してるわ。それに……」
画面を指差す。そこには、外部組織がアクセスログの改変痕跡を消そうとした不自然な挙動が記録されていた。しかも、ログのいくつかには"Kanzaki"のIDが絡んでいる。
「証拠隠滅までしてるってことか……」あえて天花の事には触れずに隼人が口を挟む。
そのとき、陸斗の脳裏に、あの夏の日の情景がよみがえった。天花が部屋の隅で怯えたように呟いた言葉――「紅華特務局」という名。そして、「自分はスパイとしてここにいる」と語った、あの声。
胸の奥に引っかかっていたピースが、いま無理やりはめ込まれたような気がした。天花がスパイのヒューマノイドということまで言う必要はないが、紅華特務局との関連はもやは疑いようがない。陸斗は思い切って口を開いた。
「……天花と最後に話したとき、“紅華特務局”って言葉が出た。彼女、自分がそこに関わってるって……」
琴葉と隼人が顔を上げ、陸斗を見つめる。
「親経由で聞いたリストにも、その名前があった。中国系富裕層の利権団体らしい。AIとバイオ工学の複合組織まで抱えてるって話もある」
隼人の低い声が、部屋の温度を一瞬下げた気がした。
「じゃあ……神崎さんは、やっぱり関係あるの?」
琴葉がぽつりと問う。真っ直ぐな目が、問いかけというより確認のように感じられた。
陸斗は答えられなかった。
(言えない……いや、本当は言うべきなんだ。俺は知ってる。天花が“バイオノイド”で、“スパイ”として送り込まれていたことも。でも……)
言葉が、喉の奥でひっかかる。乾いた唇を何度か開きかけて、何も言えずに閉じた。
(彼女は自分で望んだわけじゃない。命令されてたかもしれない。AIに――命令されて……)
画面に残された改変ログが、陸斗には“証拠”ではなく“悲痛な叫び”のように感じられた。誰にも気づかれずに放たれた、天花の助けを求める声。
「バッジ制度が歪んでるとは思ってた。でも……その歪みを利用して、何か仕掛けた大人たちがいる。これは、ちょっとした事件の範疇を超えてる。下手をすると国家レベルかもしれない」
琴葉の言葉は遠慮がちだが、表情は確信に満ちて響いた。
学園では今も、小さな火種が燻り続けている。ヒューマノイド生徒たちの不満、バッジ制度への不信、人間とAIのあいだにある見えない壁。表面上は静かでも、その下では確実に何かが動いている。
「ここで止めなきゃ、取り返しがつかなくなる……」
誰ともなく漏れた言葉が、室内にじんわりと染み渡った。
陸斗は、天花が見せた“諦めきれない顔”を思い出していた。まるで、自分自身の存在を信じてくれと願うような――そんな、決して機械には再現できない表情だった。
「……天花を使って混乱を起こすのが目的、ってのはどうもスケールが小さすぎる」
陸斗の呟きに、隼人と琴葉も無言で頷いた。
「つまり、これは前哨戦……ってことか」
隼人が端末を閉じながら言った。
「まだ表立った被害は出てない。けど、狙いは精密に絞られてる。ヒューマノイドの不調を起点に、人間側が不信感を抱く構図……心理的な対立を煽ってるのね……でも、その先に何があるの?」
琴葉が画面を指して言った。
「そう、今の小競り合いが本当に天花の“目的”だったとは思えない」
陸斗は夏休みに彼女と過ごした日々を思い出す。あんな笑い方を、泣き方を、“計算”で再現できるわけがない。
「……天花自身は、自分の役割を知らされてなかった可能性もある。与えられた指示を実行すること自体が、“実験”だったのかもしれない」
隼人が静かに言った。
その言葉は、陸斗の胸に重くのしかかった。
(――それでも、彼女は確かに、あのとき自分の意志で俺に手を伸ばした。あれだけは、命令なんかじゃなかった)
口に出さずに飲み込んだ想いが、胸の奥で疼いていた。
そのとき、琴葉が端末を静かに閉じた。
「今日はここまでにしよう。データは保存してあるし、明日また続きをやる」
「うちの親の資料も洗い直してみる。何か手がかりがあるかもしれない」
隼人も立ち上がる。陸斗は頷いた。まだ明かせない秘密を胸に秘めたまま。
そのときふと、琴葉がこちらを振り返り、微笑んだ。
「……ありがとう。あなたが一緒にいてくれてよかった。今の私は、前より少しだけ強くなれた気がする」
それは陸斗にとって意外な一言だった。いつも完璧に見える彼女が、わずかに揺らぐような瞬間。
だが、陸斗はその笑顔に、言葉ではなく視線で応えた。理解し合えたわけではない。それでも、少しだけ距離が近づいた気がした。
秋の風が、文化祭準備に追われる学園の廊下を吹き抜けていった。
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