第10話 ハル

 オーブは俺の全力に呼応するように、湯気の向こうにぼんやりと映像を浮かび上がらせた。


 それは研究所の地下。

 ついさっき、俺たちが歩いたあの廊下だった。


 映像はどんどん地下施設の奥へと進んでいく。

 やがて映し出されたのは、檻のような空間。


 鎖、拘束具、魔力遮断文様。


 そして、その檻の中に――


 小さく幼い、銀色の髪の少女が立っていた。


「……ハル……?」


 俺の声が映像の中の彼女に届くはずもないのだが、かすれた声が漏れていた。

 映像の中の少女は、俺の知っているハルと姿形はよく似ていたが、その雰囲気が全く違っていた。


 焦点が定まらず、どこを見ているのかわからない瞳。

 あらゆる感情の抜け落ちたような表情。

 いつもの生き生きして明るいハルの真反対といっても過言ではない。


 映像の中、画面の外から男の声が聞こえた。

 恐らくこの映像の撮影者、つまりこのオーブの持ち主だろう。


『192番、応答しろ』


『……はい……』


 硬く、抑揚のない声だった。


『本日は対ヒト型モンスターおよびヒト傀儡系のスキルを持ったモンスターを想定しての戦闘実験だ』


 その合図とともに、画面外から白い上下を着た少年少女が現れる。

 こちらに背を向けているので表情までは見ることができないが、一様にぎこちない動きをしている。


『互いに容赦はするなよ』


 男の声に反応するものはいなかった。


 次の瞬間、少年少女の周囲にさまざまなスキルが発生した。

 氷塊を発生させる者、火球を飛ばす者、眩い光を放つ者。

 それら全てがハルに向けられていた。


 あれを全て食らえばタダで済むはずがない。


「――よけろ!」


 俺は思わず声を上げる。

 しかし、その後の映像は俺の想像とは異なる展開を見せていた。

 

 ハルは全くの無傷で立っているのだ。

 それどころか、周囲の少年少女がバタバタと倒れていく。


『くくく、さすがだ。ランク3桁トリプルクラスの術者を用意しておいたのに、よもや一瞬とは。対ヒト型の戦闘力は問題ないようだな』


 冷たい声が言った。


 映像が途切れる。


 次に映ったのは、先ほどまでとは違う部屋だった。


 壁一面にスクリーンが設置され、無数の映像や数式が流れている。


 その中央でハルは椅子に固定され、ヘッドギアを装着していた。

 ヘッドギアからは無数のケーブルが伸びている。


 先ほどと同じ男の声が響く。


『感情制御実験、開始』


 誰かが告げると、スクリーンに映るのは――笑顔の人々、楽しい学校生活、美しい自然の景色。


 だが、それらは次々と火に包まれ、崩れ、血に塗れ、悲惨な光景へと変わっていく。


 しかし、映像の中のハルはどれだけ絶望的な映像を見せられても、何の反応も示さない。

 ただひたすら、無表情であった。


『8回目にして器は安定したようだな。これにて洗浄クレンジングフェーズは完了とする』


 またしても映像が途切れ、さらに場面が変わる。


 今度は、床に複雑な紋様の描かれた円形の部屋。

 中央には、ハルを含めて3人の少年少女が座らされている。


『ここまでよく頑張った。これが最後の試練だ。HALU起動成功確率、30%未満。適合すれば救世主、不適合なら廃人だ』


 その言葉を聞いても、少年少女は眉のひとつも動かさない。


『さぁおまえたち、神の振るサイコロに祈りたまえ』


 ガチャン、という音がした。

 すると、彼らの頭上から青白い光が降り注ぐ。


 光を浴びた子供たちは、苦しみ始める。

 体が痙攣し、白目をむき、口の端から泡を吹く。

 1人が床に倒れて動かなくなる。

 そしてまたすぐにもう1人が倒れる。


 そうしてただ1人、ハルだけが、静かに目を開いていた。


『ははは、ついにやったぞ! おめでとう192番! おまえが唯一の適合者、今日からHALUそのものだ!』


 そしてさらに映像が切り替わる。

 そこには白衣を纏った研究者らしき男が映っていた。


 男はオーブに向かって話し始める。


『対モンスター最終兵器HALUは192番に適合したが、スキルの発動には強力な情動が必要であることが分かった。今後当面はランクファーストのポーターとして同行させ、他者との関係構築を試みる。既に川越の住職とは契約を交わした。もしも計画に破綻が生じた場合に備え、現在の記録を封印状態で残す。HALUの存在は最終兵器であり、スキルの外部漏洩は許されない。通信網に放った自律AIにより、を除く全てのオーブやその他の記録媒体においてHALUの記録は妨害されるようになっている』


 男は少しの間沈黙したかと思うと、鼻を鳴らした。


『これを見ている者がいるとすれば、世界が緊急事態にあるはずだ。恐らく私は死んでいる』


 言葉とは裏腹に、笑っているように見えた。


『救世主たるHALUの管理継続を最優先事項とせよ』


 バチッ。


 映像が途切れた。


 浴場に再び静寂が訪れる。


 俺は湯の中に沈んだオーブをじっと見つめた。


「これが、ハルの過去なのか? ランクファースト――ってことは、俺と一緒に旅をしていたのか?」


 思い出せない。

 だがこの男の言う通り、ハルが俺と旅をしていて、ハルが記録に残らないようになっていたのだとすれば、ショッピングモールで見たオーブの映像が変に途切れたこととも辻褄が合う。


 対モンスター用最終兵器。

 どんなスキルなのかはわからないが、世界を救えるかもしれないチカラ。


 ……だが。


 俺の知っているハルは、俺を元気づけて、明るくて、いつも笑顔。

 ただ、旅を楽しみたがっている、普通の少女だ。


 だからこそ、俺は今知ったこの真実を、まだ口にすべきではないと感じた。


 ハルは、ハルだ。


「――ふう」


 俺は湯から上がり、タオルで軽く体を拭いた。


 

 ◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆


 ラウンジに戻ると、ハルは小さなテーブルで缶詰を開けていた。


「おかえり〜、ノビー! どうだった? お湯ぬるかった?」


 いつもと変わらない無邪気な笑顔。

 その姿を見て、胸の奥がぎゅっと締め付けられる。


「……いや、ちょうどよかったよ」


「よかった! じゃあ、ほらっ、お風呂上がりのパジャマパーティーだよ!」


「パジャマは着ていないが……」


「そんな細かいことは気にしない!」


 見れば、テーブルに見覚えのある缶詰が並んでいた。


 民族雑貨店で拾った、あのカラフルな缶たちだ。


「この前の変な味のやつか……?」


「見た目は変かもしれないけど、味は普通っぽいよ! たぶん!」


 たぶん、に引っかかったが、俺は笑って手を伸ばした。


 食べると、案外悪くない。


「……意外といけるな」


「でしょ! わたしの選眼、一流だもん!」


 そんな他愛ない会話を交わしながら、俺たちはささやかな夜を過ごした。


 ◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆


 翌朝。


 まだ日が昇りきらないうちに、俺たちは生体研究所を後にした。

 荷物をまとめ、バギーに乗り込む。


「ノビー、天空ダンジョンのタイムリミット、あと2日しかないよ!」


「ああ……そろそろ、最終準備に入らないとな」


 空を見上げると、遠く、天空ダンジョンの巨大な時計がゆっくりと針を動かしていた。

 カチリ、カチリと、不気味な音を響かせながら。


 俺たちはバギーを走らせる。

 次に向かうのは、研究所の林へ入る前に見かけた、旧自衛隊駐屯地だ。


「飛行場があるって言ってたな」


「うん! ヘリポートもあるはずだから、そしたら天空ダンジョンまでひとっ飛びだよ!」


「……って、まさかお前、ヘリ操縦できるのか?」


「できるよ! 免許とかはないけど、まあ、ちょっとだけね! たぶん、墜ちないよ!」


 ハルの語気からは、確信めいた自信を感じた。


「その『たぶん』が一番怖いんだが」


「だいじょーぶだって! 昨日の缶詰だって大丈夫だったでしょ?」


「缶詰とヘリではだいぶ危険度が違うような」

 

 俺にはヘリコプターの操作難易度が全く分からないので、ハルに任せるしかない。

 これだけ自信があるようだから、きっと大丈夫なのだろう、そう自分に言い聞かせる。


 バギーのエンジン音が木々に吸い込まれていく。

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