僕は人間に恋をする
宮内ぱむ
1.人間
1-1
やはり人間とは難解な生き物だ。
その時の俺は、彼女の襟元にあるセーラー服の形をぼんやりと眺めていた。
「笹山君が好きです」
クラスの号令で聞き慣れた声によって放たれた言葉を、俺はすぐに解析できない。放課後の教室にはあらゆる音が溢れている。鼓膜を邪魔する雑音を遮るように、目の前に立っている野瀬悠里の顔をもう一度じっくりと見つめた。
ひとつにまとめられた黒髪も、校則に従ったスカートの長さも、一重まぶたを隠すようにかけられた眼鏡も、全体的に地味な印象を受ける。さらに学級委員長などという立場のせいか、抑揚のない声はぴりりと緊張感を与えるようで、「え?」と俺が訊き返したのは数秒後だった。
笹山君が好きです、と色のない声が再度響き、俺は持ちかけていた鞄を机に置く。そろそろ部活や委員会の始まる時間だからか、教室内で談笑していた女子達が出てしまった直後の出来事だった。
好き、という言葉について、脳内に設置されている辞書で調べる。人間の言葉は難しい。同じ単語を使いながらニュアンスによって意味が変わっていく。ニュアンス、という正解のないものが、俺は苦手だ。
窓の向こうから、部活動に励む生徒達の声が響く。
「それはどういう意味なんだ?」
「どういう意味、とは?」
「つまり、好きという意味は、友情なのか恋愛なんかその他の情愛なのか」
「恋愛の意味で、です」
――恋愛。
日常的にあるようで、俺自身に降りかからなかった二文字が脳内チップを震わせた。これまで蓄積したデータベースを探っていく。恋愛に関する情報。シチュエーション。人間達のセリフ。
「返事が必要だという事?」
「いいえ、それは不要です」
白い頬がほとんど動かないせいか、野瀬の表情を読み取る事すら難しい。
「今日のホームルームで、学園祭で行われるフォークダンスについて話し合いましたよね」
「ああ……」
この学校では、秋の深まる頃に二日間に渡って学園祭が開催される。学校生活では行事が目白押しだ。話し合いの最中、非日常に対して期待を浮かべる生徒や面倒臭そうに欠伸を隠さない生徒の交じり、俺はその様子を傍観していた。
「話し合いの後、クラスの女子達が大変だったんです。笹山君とペアを組みたがっていて」
「でも、フォークダンスって途中でペアが変わるよな?」
「スタート時点で笹山君と組むのは誰にするかを揉めたんです」
野瀬は小さくため息をついた後、俺をまっすぐに見つめた。レンズ越しに見える瞳には、号令をかけたり教壇でクラスをまとめたりしている彼女では見られない戸惑いや緊張が揺れている。
「クラスの均衡を保つためにも、私が気持ちをお伝えしたまでです。お時間を取らせてすみませんでした」
机に置いてあった鞄とスケッチブックを手に持ち、背を向けて教室を去ろうとした彼女に、
「待って」
たった数歩分を追いかけただけなのに、やけに俺の声が響いた。びくりと野瀬が立ち止まる。
「……何か?」
背中を向けたままそう訊き返した野瀬の耳元が赤くなっている事に気付いた俺は、引き止めた理由を取り下げた。
「いや、なんでもない……」
不覚にもしどろもどろに答えると、野瀬はスケッチブックを両手で抱え、パタパタと足音を鳴らして廊下へと走っていった。
教室内に立ち尽くし、たった今起こったばかりの出来事を整理する。人間の感情ほど厄介なものはない。学生生活を送りながら特別な好意をもたれることはあっても、上手く回避してきたおかげか、面と向かって好きだと言われたのは初めての経験だった。
人間同士でも共有しきれないと言われているそれらは、人間ではない俺にとっては異国の文化そのものだ。俺は席に置いてあった鞄を手に取り、廊下に出る。開いた窓から吹き込んだ秋風が頬を撫でていく。昨日よりも気温は一度ほど低くなっていた。
その週末、俺は街の中心部であるHAIセントラルタウンに出かけた。
「人間から告白をされただと?」
悪友でありロボット研究者でもある雄大が、白衣姿でいくつものボタンやレバーを備えた機械を弄りながら笑った。
この世の中は、Humanoid with AI installed――通称HAIと呼ばれるアンドロイドを中心に成り立っている。俺もHAIであり、月に一度のメンテナンスの為にこうして雄大の作業場に赴いているのだ。
「恋愛にまつわる告白なんて、都市伝説だと思っていた。もしくは古代文化」
のん気な学生生活を謳歌している俺と違って、体格の大きな雄大は大人びた雰囲気をまとっている。
「古代文化は言いすぎだろ」
「しかし非常に非効率だ」
「まあ、そうかもしれねーけどさ……」
つぶやきながら俺は着ていた薄手のニットを脱いで、作業台の上で横になった。
HAIとして俺が自我を持ち始めたのは二十五年前、動作本体であるボディを交換した回数は一度だけだ。HAIは永久的に存在し続けることが可能である。ただし、それには経済力が必要となってくる。
HAI達はこぞって金銭を得る方法を身につけて、存在理由に意味を取り付けて日々を過ごしている。俺は子供に恵まれない人間の養子になるという里子ビジネスの一環で、HAIである事を隠してヒューマン地区で暮らしていた。
人間の暮らす街で人間として過ごす事にはもう慣れた。しかし、それによって生じる体内の洗浄には未だに慣れない。人間のふりをするという事はつまり食事をしなければならない場合があり、人間の里子として暮らしているHAI達は俺と同じように月に一度の体内洗浄を行わなければ故障に繋がるのだ。
「あー、やっと終わったかよ」
喉元をあらゆるものが逆流されたような不快感を覚えながら、俺は作業台の上でゆっくりと起き上がった。「お疲れ様」とホースを持ったまま笑う雄大も、このタウンで暮らすHAIだ。
「さっきの話だけど、おまえはどうするつもりなんだ?」
「さっきの話?」
「人間に告白されたという」
「ああ……」
ニットを首から羽織りながら、地味なクラスメイトを思い出す。人間の恋愛感情とやらに直に触れるのは初めてだった。しかし、野瀬悠里の言動はこれまでに観た恋愛映画などとはあまりにも違う。だからこそ、これは金銭になるのではないかと俺は考えた。
今やHAI中心の世界とはいえ、人間の情報を集めるに越した事はない。脳内にあるデータベースにあるフォルダに野瀬悠里の名前を刻みながら、シルバーアクセサリーを首元に付けた。
「しばらく彼女を観察してみるよ」
俺が言うと、「その人間が可哀想だ」と言葉と裏腹な声色で雄大は笑う。
「愁の顔は整っているから、人間は騙されるんだろうな」
体内洗浄に用いる吸引機の操作をしながらからかう雄大は、どこまでも他人事だ。
「イケメンってよく言われるよ」
「人間の好みそうな単語だ。……ところで、愁」
狭い作業室からロビーに出ると、メンテナンスや修理待ちのHAI数人がソファーに座っていた。清算の為リーダーに手首を差し込む俺に、雄大は言う。
「HAIタウン内でウイルス感染が蔓延している。気を付けろ」
「ウイルスぅ?」
リーダーが清算終了の電子音を鳴らしたのと同時に、俺は素っ頓狂な声をあげた。
「まさか、人間じゃあるまいし」
「あれは病原体だろう。俺達のはコンピューターウイルスだ」
雄大の指摘に「分かっているよ」と笑い、作業所を出た。
とてもいい天気の日曜日だ。秋の柔らかな日差しがタウンを照らしている。HAIにとって水分は天敵だ。だから、晴れた日にはタウンのメインストリートに路面店が立ち並び、行き交うHAI達で混雑していた。
あらゆるロボット性能の働く街中で買い物を終え、モノレールの駅へと向かう。HAIタウンとヒューマン地区の行き来は、限られたHAIにしか許されていない。モノレールの車内は今日も静かだ。
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