3.現実への侵食
――あれはなんだったのだろう。
異様な朝の会の後、驚くほど普通に授業は進行した。ただ、祭ノ宮美鈴と岩通百夜は消えたままだった。彼女たちのアバターはその日の間ずっと表示されることはなく、席には花瓶が置かれたままだった。
暁也がぼうっとしたまま夕食を口に運んでいると、母親の心配そうな声がかかった。
「ちょっと、暁也。大丈夫なの?」
「えっ、あ、うん、大丈夫」
はっとして、暁也は慌てて箸を進めた。そんな暁也を見ながら、母親は静かに息を吐いた。
「まぁ、仕方ないわよね。クラスメイトが突然亡くなったんだもの。ショックを受けない方がおかしいわ」
「……え?」
母親の言葉に、暁也は箸を止めた。
「亡くなった……って、誰が?」
「え? 祭ノ宮美鈴さん。案内なかった?」
――嘘だ。
ぐらりと、眩暈がした。
あれは、ただのゲームだったはずだ。姿がなかったのは、きっと、設定のためにアバターを表示していなかっただけで。本当は生きていると、誰もが思っていたはずだ。
まさか。現実でも、死んでいるなどと。
だとしたら。
――岩通百夜は?
嫌な予感に、暁也の心拍数が上がってく。デバイスが、異常値を知らせる電子音を鳴らした。その音を聞いて、母親が眉尻を下げた。
「通知がくると思うけど、ちゃんと寝る前にカウンセリング受けときなさいね」
「うん……」
メンタルにダメージを負うような出来事があると、AIがカウンセリングをしてくれる。必要に応じて、薬の手配もしてくれる。
でも、そもそも、メンタルを不安定にさせるようなことをしたのは。
そこまで考えて、暁也は首を振った。AIを疑うようなことを、してはならない。万が一口にしたら、危険思想と見做される。
深く考えてはならない。子どもは、まだ未熟な存在だ。だからAIが管理しているのだ。
AIは間違わない。AIは常に正しい。
今の日本社会において。AIこそが、正義なのである。
--・-・ -・ ・-・・ ・・ -・---
自室のベッドに転がって、目を閉じ、力を抜く。
軽く深呼吸を十回。
それを終えると、暁也のデバイスから、合成音声が流れだした。
『それではこれより、カウンセリングを始めます』
「よろしくお願いします」
『何がありましたか?』
「クラスメイトの祭ノ宮美鈴が……殺されました」
『それはとても辛かったですね。もし良ければ、あなたが今何を感じているか、お話いただけますか?』
「よく……わかりません。突然すぎて。驚きが強くて」
『突然の出来事に驚くのは自然なことです。感情が整理できなくても無理はありません。何か、言葉にできることや、話したいことはありますか?』
「担任が、犯人は同じクラスの岩通百夜だと言いました。本当でしょうか?」
『それはとても衝撃的でしたね。教育担当のAIが、誤情報を公言することはありません。こちらでも該当の事件を照合し、確認が取れました。岩通百夜が祭ノ宮美鈴を殺害したのは事実です』
――殺害。
その言葉に、また暁也の胸が鈍く痛む。
AIが言うからには、やはり本当のことなのだ。だとしても、違和感は拭えなかった。
「僕ら未成年は、クラスメイトと言っても、お互い顔を合わせたこともありません。なぜ岩通百夜は祭ノ宮美鈴を殺したのでしょうか? 殺害方法は、どうしたのでしょうか?」
『動機は現在調査中です。殺害方法については、未成年に対し情報規制がかけられています。お答えすることができません』
「調査中、ということは、岩通百夜は生きているんですね?」
『いいえ、岩通百夜は死亡しています』
「――――は?」
新たな情報に、暁也は呼吸を止めた。
死亡? そんな話は、聞いていない。
夕食の時、母親からも出なかった。知っていたなら、祭ノ宮美鈴と並べて話したはずだ。
朝の会の時点では、アバターは存在していた。それが本人であるかどうかは、暁也には判断のしようがないが。
だとしたら、それ以降に死亡したことになる。いったい、なぜ。
『心拍数が上昇しています。大丈夫ですか? この話題が苦しいようなら、また次の機会にしましょう』
「いえ……岩通百夜は、なぜ死亡したんですか?」
『急性心不全により病院に搬送されましたが、残念ながらその後死亡が確認されました』
「急性心不全……?」
なら、あの悲鳴はなんだったのか。
耳について離れない不快な声に、暁也は無意味だと知りながら耳を塞いだ。
『クラスメイトが亡くなったことは、あなたにとって衝撃的で、辛いことだったと思います。今はまだ受け入れられないかもしれませんが、あなたが感じている気持ちと、ゆっくり丁寧に向き合っていきましょう。私はいつでもあなたの話を聞きますよ』
「……ありがとうございます。今日はもう、大丈夫です」
『わかりました。それでは、カウンセリングを終了します。またいつでも、お話してください』
カウンセリングを終えると、暁也は肺が空になるまで、長く長く息を吐いた。
わけがわからないことだらけだった。どうして急に、こんなこと。
生まれてからこれまで、何の不安もなかった。いつだってAIは正しい道を示してくれたし、両親は優しく愛情深く、自分を害するものなど何もなかった。
それなのに、クラスメイトが理由も不明のまま急に殺された。犯人とされた人物も、死んでしまった。
ならば、自分が無事でいられる保証など、ないのではないか。
ぎゅっと強く力を入れて目をつぶる。考えるな。それは、子どもの役割じゃない。
ここは安全だ。安全な場所だ。家にいる限り、何も起こるはずがない。
そのまま暁也の意識は、ゆっくりと沈んでいった。
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