第17話 新しい朝の始まり
柔らかな朝陽がカーテンの隙間からこぼれ落ち、
隣を見ると、パジャマ姿の妹――
「若菜は……まだ寝てるのか。まだ、時間はあるし、もう少しだけ休ませておくか」
真司は小さく呟き、若菜を起こさないよう、そっとベッドから降りる。だが、その瞬間、若菜の瞼がピクッと動き、眠そうな声がフワッと響いた。
「んー……あれ、お兄ちゃん、もう起きたの……?」
振り返ると、若菜が目を擦りながらベッドの上で体を起こしていた。パジャマ姿の妹からは、子猫のような愛らしさを感じられた。普段なら下着姿で寝ていることもあって真司をドキッとさせるのだが、今日はそんな心配はなさそうだった。
「さっきな。若菜、もう少し休んでいてもいいのに」
真司の声に、若菜は少しむぅっとした顔で頷く。それでも、眠そうな顔を見せつつも、どこか弾むような声で言う。
「でも、準備しないと、今日も学校でしょ。遅れちゃ嫌だし。それに、お腹も減ったし」
恥ずかしそうに腹のところを抑える若菜の明るい笑顔を見て、真司は少し笑い、少し安心しながら頷いたのだった。
リビングに入ると、エプロン姿の母親が朝食の準備を終えていた。
父親に関しては朝食を食べ終えたようで、新聞を広げて真剣な顔で目を通している。対照的に、母親は穏やかな笑顔で二人を迎えた。
「おはよう、真司、若菜。ご飯できてるわよ!」
「おはよう、お母さん」
「おはよう……ございます」
真司は自然体で返すが、若菜は少し緊張した口調で丁寧に挨拶する。まだどこかよそよそしい妹の態度に、真司は内心戸惑っていた。
やはり、昨日の事を気にしているのかと思い、少し悩んでしまう。
二人がテーブルに着くと、目の前にはシンプルながら温かみのある朝食が並んでいる。ご飯に味噌汁、焼き魚、キュウリの塩漬け。質素だけど、どこかホッとするメニューである。
箸を右手で取り、ご飯茶碗を左手に持って朝食をとっていると、真司は母親からの視線を感じたのだ。
「な、なに、どうしたの?」
真司は戸惑った感じに母親へ問う。
「昨日、二人には過去の話をしたでしょ。だからね、お父さんと相談してね。数日間だけ、仕事を休む事にしたの。ちょっと心配だったからね」
「そう言う事ね。でも、俺は大丈夫だから……若菜も多分大丈夫だと思うし」
真司が言うと、食事の手を止めた若菜が、真司と母親の事を交互に見て、小さく頷いていた。
「そう、だったらいいんだけどね。でも、心配だから、少しの間だけ家にいるね」
母親は、真司と若菜の食事風景を見て、優しく言葉を続けた。
母親の話に一旦区切りがつくと、再び二人は朝食を取り始める。
改めて母親の優しさを実感した真司は、味噌汁の温かさをじんわりと心で感じ取っていたのだった。
「ごちそうさまでした!」
食事を終えた二人は、それぞれの部屋に戻り、制服に着替えた。
真司が通学用のリュックを背負い、一階に降りた時には、すでに靴を履いた若菜が玄関先にちょこんと立っていた。
真司も急いで靴を履き、母親の方を見て声をかける。
「「行ってきます」」
若菜の声は、ほんの少しだけ明るさを帯びていた。母親はそんな二人に優しい笑顔を向け、手を振る。
「いってらっしゃい。気をつけてね!」
その声を背に、真司と若菜は朝の爽やかな空気の中を並んで歩き始めるのだった。
「お兄ちゃん、私、もう大丈夫だからね!」
通学路を歩いていると、突然、若菜がぽつりと口を開いた。真司は一瞬足を止め、妹の顔を覗き込む。キラキラと輝く瞳には、昨日の涙の跡はもう見えなかった。
「若菜が元気ならそれでいいよ。昨日は……辛かったと思うけどさ。でも、いつでも俺に相談してくれ。血が繋がってなくたって、俺たちは兄妹だし」
真司の声は少しぎこちなかったが、目には優しさが滲んでいた。昨日、若菜が自分の過去を知った時のことが頭をよぎる。
あの夜、涙目の若菜と交わした会話。重い空気の中、若菜を安心させる言葉を並べたこと。
若菜の辛い気持ちがわかるからこそ、真司は妹に優しく出来るのだ。
昨日は一緒のベッドで休んだ事もあり、今の若菜は昨日ほど暗い表情ではなくなっていた。いつも通りの笑顔がそこにある。ただの強がりでなければいい――真司はそう願いながら、軽く笑った。
「じゃあ学校行くか」
真司が右手を伸ばすと、妹は満面の笑みを浮かべ、手を握ってくれた。
若菜が元気よく頷くと、二人はいつものように他愛もない会話をしながら学校への道を進んだ。朝の陽光が二人を包み、全てがいつも通りであるかのように。
学校に到着すると、朝のHRが始まるまでの間、真司はクラスメイトの高松燐と教室で雑談に花を咲かせた。燐の軽快なトークに、真司もつい笑みがこぼれる。いつもの日常、いつもの友達。昨日までの重い空気は、どこか遠くに感じられた。
昼休みになると、真司は中庭の木製ベンチで若菜と合流した。二人並んで座り、母親が作ってくれた弁当を広げる。
ハンバーグ、スパゲッティ、ブロッコリー、ポテトサラダなどが彩りよく入っていた。特別なものではないが、母親の愛情がしっかりと詰まっているのが伝わってくる。
「お母さんの弁当、なんかホッとするよな」
真司が呟くと、若菜はにっこりと笑った。
「うん! なんか、半年ぶりくらいに食べた感じ! お母さんの味って特別だね」
その笑顔に、真司の胸が温かくなる。二人は他愛もない話をしながら、穏やかな時間を過ごした。昨日までの重苦しさはどこかへ消え、ただ兄妹として笑い合える瞬間がそこにあった。
弁当を食べ終えると、弁当箱を片付けながら若菜がぽつりと提案した。
「ねえ、お兄ちゃん。今日の帰り、どこかに寄っていく?」
「ん? どこか行きたいところでもあるのか?」
「うーん、そうだね、街中とかなんてどうかな? 駅前近くの」
若菜の目はキラキラと輝いていた。
「それでもいいよ」
「じゃ、カラオケなんてどうかな」
「いいね。カラオケ」
真司も乗り気で答える。
若菜の笑顔を見ていると、昨日までの不安が少しずつ溶けていく気がした。
どんなことがあっても、これから妹の若菜と一緒に楽しい思い出を作って行こうと心で思うのだった。
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