第9話 妹の自然な態度にどぎまぎする
「ふあぁ、疲れたね、お兄ちゃん」
――と、妹の
「そうだな」
自宅玄関で靴を脱ぐと、二人はリビングへと移動する。
真司がリビングにあるソファに腰を下ろすと、若菜もその右隣にちょこんと座った。妹の小さな体が寄り添うように近く、変にドキッとする。
真司の心臓は、少しだけ速く鼓動を打った。
「お兄ちゃん、これからどうする?」
若菜が、ふと顔を上げて上目遣いで尋ねた。
妹の大きな瞳が、真司をまっすぐに見つめる。
「ど、どうするって……とりあえず休むかな。明日も学校あるし」
真司は少し照れくさそうに答える。内心、緊張で胸が締め付けられていた。
「そっか」
若菜は小さく頷くと、それ以上に何も言わず、ソファに凭れた。彼女の無言の存在感が、リビングに静かな空気を漂わせる。
しばらくの沈黙が流れた後、若菜が再び口を開いた。
「お兄ちゃん、お風呂入る?」
「お風呂か。んー、俺は後でいいかな。若菜が入りたいなら先に入ってきなよ」
真司は隣にいる若菜を見ることなく、穏やかに答えた。
「うん、じゃあ、そうするね」
若菜は軽く微笑むとソファから立ち上がり、リビングを後にする。
真司は一人、静寂に包まれたリビングに残されたのだった。
真司の頭の中では、さまざまな思いが渦巻いていた。元カノの
気にしたくはないのだが、また明日学校で顔を合わせると思うと気分が落ち込んでくる。
「あんな奴はどうだっていいんだよ。もう別れたんだしさ。というか、あいつの方から振ってきたわけだし。今日だって、関わるなって念を押されたわけだから考えるだけ無駄だよな」
真司は首を横に振って、嫌な気分を思いっきり吹き飛ばす。
新しい気持ちでやっていこうと思う。
心を落ち着かせると、次第に妹の若菜の事が脳裏をよぎり始める。
今日から、妹の若菜とは付き合う事になった。兄妹だけど、そうじゃない。どこか曖昧で、特別な関係。恋愛的なのか、兄妹としてなのか。どちらにせよ、血の繋がらない妹との奇妙な間柄に、真司の心は戸惑いつつも不思議と胸元が熱くなる。
今日の放課後は一緒に過ごし、妹の若菜の笑顔や仕草、ふとした言葉――それらが、真司の胸をざわつかせた。
真司は、今まで妹として若菜の事を見ていた。
でも、付き合うとなってからは、若菜の事を妹として見れなくなりつつあった。
真司はどうしようもならなくなった心を落ち着かせるべく、深呼吸をつく。
自分の心で一旦決心がついたタイミングで、ソファ前のローテーブルに置いていたスマホがけたたましく振動した。突然の音に、真司はビクッと肩を震わせた。スマホを手にし、画面を見ると、その着信は父親からだった。
真司は一瞬、息を呑んでから通話ボタンを押した。
「もしもし」
『お、真司か。まだ起きてたか』
父親の声は落ち着き払っていた。
「うん、ちょうど帰ってきたところで」
真司は努めて平静を装った。
『そうか。実はな、真司。ちょっと話したいことがあってな』
父親の口調が、急に真剣みを帯びた。
「もしかして、若菜の件とか?」
真司は直感的にそう思い、尋ねた。
『まあ、そういう事だな。今週中には家に帰れることになってな。それで、ちょっとその話をと思って。一応確認だが、近くに若菜はいるか?』
父親の声は穏やかだが、どこか重い。
「若菜は今、お風呂に入ってるけど。呼んだ方がいい?」
真司は状況を伝えつつ、父親の次の言葉を待った。
『そうか。いや、無理には呼ばない方がいい。むしろ、呼ばないでくれ。実はな、若菜に聞かれると少し厄介な話なんだ。若菜には、タイミングを見て、私の口から直接話したいと思ってる』
「そ、そうなんだ、わかったよ」
真司は電話越しに小さく頷いた。
父親の言葉からは、いつもと違う重みが感じられたからだ。
『……簡潔に言うとな、若菜の本当の両親はもういないんだ』
「そ、そうなの?」
『ああ、不慮の事故でな』
「そ、そうなんだね……という事は若菜には元々両親がいて、だから本当の苗字が伊藤ってこと?」
『そういう事だな。でも、話すと長くなるから、その件については後で詳しく話す。今週中には帰れるから、その時に話そうか。明日も学校なんだろ、真司。早く休むようにな』
「うん、わかってる」
真司は短く答え、スマホの電話終了ボタンをタップし、通話を終えた。
スマホを手に、ソファに座り直す真司。
父親の言葉が頭の中で反響していた。
若菜の両親はもういないということ。
だから、佐久間家で引き取る事になったという流れなのだろう。
真司と若菜が血の繋がっていないことは、この前から気になっていた事だ。
若菜の両親がもういないから、真司の妹という扱いで同じ屋根の下で過ごしていた事までは理解した。
今週中には、父親から詳しい話を聞けるという事もあって、少し胸の内が楽になっていた。
「そりゃ、本当の両親がもういないって……若菜本人の前では言えないよな」
真司は独り言のように小さく呟いた。
一人でソファに座り、静かな空間でリラックスしていると、リビングの扉が開き、若菜がひょっこりと顔を出したのである。
突然の妹の登場に、真司は体を少々ビクつかせた。
「真司、まだ起きてたんだね」
「ん、あ、ああ」
突然、下の名前で呼ばれ、真司の心臓がドキンと跳ねた。
普段はお兄ちゃんと呼ぶ妹が、こうやって名前を口にすると妙に心がざわつく。
好きに呼んでもいいとは言ったものの、なかなか慣れない。
「真司、お風呂に入るんでしょ? 入るなら早く入って来なよ」
ソファに座っている真司の近くまでやってきた若菜。
若菜は濡れた髪を乾かすために、バスタオルで拭いていたのだ。
妹の濡れた髪が揺れ、ほのかに石鹸の香りが漂う。
妹の事を意識すると、どぎまぎする。
「う、うん、俺も入るよ。若菜はもう休むんだろ?」
真司は緊張し、少し慌てて答えた。
「うん、そうしようかなって」
若菜は小さく微笑み、軽く頷いた。
真司はソファから立ち上がり、若菜と共にリビングの扉まで移動すると、リビングの電気を消す。
二人で廊下に出ると、若菜が階段を上る前に振り返った。
「じゃあ、また明日ね、真司」
「う、うん、また明日。お休み」
真司は軽く手を振り、階段を上って行く彼女の背中を見送った。
その後で脱衣所へと向かって行くのだった。
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