企業公正局の代理人
秋の香草
第一章
1. 都市ランサック
私は、むせかえるような人ごみの中を、流れに従って歩いている。視界を覆いつくすほどの巨大建造物の数々、周囲に情報をまばゆい光とともに振りまく広告群。周りの人間はそれが当たり前の景色だとでも言うかのように、目もくれず通り過ぎてゆく。だが久しく付随街に来ていなかった私の目には、全てが新鮮に見える。いや、私にとっても真新しい光景ではないはずなのだが、なぜだろう。ここを歩いていると時々、儚さを感じるというか、変わらないものなど一つとして存在しないのだという思いに駆られる。それらがあまりにも眩しいので、かえってそう感じるのだろうか。
道行く人達はいったい、どこへ向かっているのだろう。仕事、食事、買い物、趣味、散歩、等々、恰好を見ただけでは分からない。きっと道を歩いている人間の数だけ、異なる行先が存在しているのだろう。かくいう私はというと、付随街をとくに当てもなくぶらついている、というわけではない。私の目的地はこの先、雑多な情報と人間で溢れかえる大通り、それを抜けた先にある中心地区、名だたる巨大企業のオフィスビルが林立する、都市の心臓だ。
「心臓」という言葉でふと思いついたので突然だが、その話をしよう。大昔は、国の中枢と言えばもっぱら政府のことを指していたそうだ。例を説明すると、選挙制度を通して選ばれた議員らが首相と呼ばれる代表を選出し(信じられないことだが、国民が代表を直接選ぶ——この場合は大統領と呼ばれる——こともあったそうだ)、首相ないし大統領が各省庁の長を指名する。議会は法律を制定するとともに、政府は定められた法律に従って国を運営する。なるほど確かに、中央政府が国家の運営に必要な存在であるのは、今も昔も同じのようだ。だが現在も国の中枢を担っているかというと、話は少し違ってくる。
その昔、民主主義という概念がまだ広く人々に受け入れられていた時代の話だ。人々は自らの欲求や不満、願いを、政治家に託していた。政治には本来、個人では到底太刀打ちすることのできない問題を解決する力があると信じられていた。だが、利害が対立していたり、お互い相容れない集団同士の調停を試みるのは、得てして困難なものだ。やがて、いつになったら我々は救われるのだという絶望を抱き始めた人々は、延々と続いた混乱期の果てに、政府という存在に期待することをやめてしまったらしい。
そうした状況下で政府の代わりに台頭したのは、企業だった。彼らは自分たちこそが国を統治するのに十分な能力を持っていると豪語し、行き詰っていた政府は彼らに国家権限を委任するよう変化した。今日では、中央政府は企業のみを統制し、各都市の統治は数多の巨大企業がその権限を有している。「ゆりかごから墓場まで」を、企業が担うようになったのだ。
まるで自分が見てきたように語ってきたが、あくまで記録に残されている内容だ。実際には物心ついたころから世界はこうなっていた。きっとあまりにも劇的な変化だったはずだ。だが私が思うに、当時の人々は自由競争という枠組みを可能な限り拡張したこの社会構造こそが、彼らが生きる世界をより良いものにする、そう信じることにしたのだろう。
視界の隅に時刻をポップアップさせ、ちらと目をやる。立ち入り検査の開始まではまだ時間がある。せっかく付随街を歩いて通り抜けることにしたのだから、ついでに昼食もこの辺りで取ってしまおう。
「付随街」。都市の中心地区と外側の遷移地帯との間に広がる区域を指す、あらゆる人、物がごった返すカオス空間だ。キメラのように融合し膨れ上がった建造物群に、居住区や事業所、店などがひしめき合って存在している。当然、飯屋もそこかしこにある。中心地区の場合は客層が客層だからか、お高く止まったカフェやらレストランばかりで困るが、付随街は付随街で選択肢が多すぎて困る。巨大企業の社員から傭兵紛いのゴロツキまで幅広い客層が集う空間なだけあって、ジャンルも価格帯もレパートリーが豊富だ。単にうっかり割高な店に入っただけなら懐を痛めるだけで済むが、万が一変な店を選ぶと、ガラの悪い客もしくはスタッフに面倒をかけられるか、あるいは何が入っているのか分からない料理を腹に収めることになる。せっかくの昼食が台無しだ。
インプラントや衣服、食べ物、飲料、雑貨、映画、ビデオゲーム、ホテルなど、目の痛くなるほどきらびやかな広告が氾濫し、絶え間なく人々の欲望をかき立てる表通り。そこを外れ、裏通りに入る。先ほどとは打って変わって、灰色で静かな雰囲気の空間が視界に広がった。人の往来も一気に少なくなる。路地をあちこち歩きまわり、悩んだ末、ビルとビルの間の小さな広場に面しているケバブ店を利用することにした。ざっと見た感じ客層がまともそうだったし、何より眺めている内にちょうどケバブが食べたい気分になった。それと、外で商品を受け取れるのでトラブルを避けやすい。
店員に声をかける。生身の人間が接客しているという事は恐らく、この者は個人事業主なのだろう。店の横にはドネルケバブと呼ばれる、鶏肉の塊が串刺しで設置されている。奇妙な販売風景だが、前に同僚から聞いた話によれば、このスタイルは相当昔から続いているらしい。辺りに漂う肉のいい香りはここから漂っていたようだ。付随街では牛肉や羊肉などの場合、仕入れ価格の都合か合成肉で代用している店も増えてきたが、鶏肉の場合はよほど安価な店でもない限り、まず本物が食べられる。
注文を伝え、事前に両替しておいた通貨で支払いを済ます。店員は肉を手際よく切り落とし、パンにはさむ。ほどなくして包装紙でくるんだドネルサンドを手渡してくれた。
広場にはいくつかのテーブルや椅子が雑然と置かれている。金を出さずとも利用できるとは、ずいぶん親切だ。そう、空間を占有したい人間には、そのための代価を支払わせるのがこの世の常なのだ。昼飯時が近いせいで埋まっている席も多かったが、店の前に空いているテーブルを見つけたのでそこに座り、買ったばかりのケバブにかぶりつく。
——当たりだ。チキンにしっかりと味がついている上、スパイスもよく効いている。キャベツのしゃきっとした食感が、全体を引き立てている。
「前の席、座ってもいいか」
突然、声をかけられた。顔を上げると、スーツを着て、金髪を七三に分けた、若い男が立っている。恰好からして、どこかの企業勤めか。一瞬知り合いにでも出くわしたかと思ったが、記憶の限りでは初めて見る顔だ。
「ああ」と軽く返事をしつつ、辺りを見回す。お昼休みのオフィスワーカーが流れ込んできたおかげで先ほどより一層賑わってはいるものの、私のテーブル以外にも空きはある。
男はがっしりとした身体を、私の目の前の椅子に落ち着ける。そして黒色の軍用義肢で持ってきたハンバーガーを抱え、食らいつく。包み紙に目をやると、ネクサス・グロサリー系列のチェーン店、大陸のどの都市でも見かけるロゴが印刷されている。そのまま食べ続けるかと思いきや、男はかぶりついたものを飲み込んだ後、突然口を開いた。
「ちょっと教えてくれないか? あんた、クラスはいくつだ? ——いや、すまん。職業柄、人のクロームを透視する癖があってね。あんたの身体、見た目は生身の人間だが、中身はほとんどがテックで置き換わってる。それだけ身体をいじったら、たいていの人間は体中から血を吹き出すか、すぐさま発狂するだろ?」
「——Ⅹ」さっと答える。ずいぶん非常識な奴だ、初対面の人間にいきなりテック適性を尋ねるなんて。それと、勝手に人の身体を覗き見するのはマナー違反だ。
義肢やインプラント——クロームとかテックとか、色々呼び方があるが——には適性がある。この男が言うように、個人の適性を超えるインプラントを体に埋め込むと、肉体と精神の両方に重篤な拒絶反応が起こる。幸か不幸か、今日では自分がテックにどの程度適合するのかを測定する技術が確立しているので、自分のキャパシティに収まるようなテックを選択すれば基本的に問題ない。とはいえ、適性の数値一つで自分の将来が良くも悪くも変わってしまうため、残酷な指標ではある。
ところで、テック適性という覆しようのない明確な個人差があるにもかかわらず、同じ土俵に立たされるのは理不尽だと思うだろうか。だとしたらもっともな疑問だが、その答えもまた明確だ。言っている間に淘汰される、ただそれだけだ。つべこべ言う前に働け、というのが世の道理だ。
「クラスⅩ! 初めて会った、すごいな。俺なんてクラスⅤだ。けど半年前に何とか、テンリュウに雇われたんだ。いやー、やっと苦労が報われたよ」
その話しぶりと、彼の外見からして、テンリュウ社の正規部隊に所属しているのだろうか。企業雇われの傭兵というわけではなさそうだ。
いきなり声をかけられて何かと思ったが、悪気はないらしい。適当に話を合わせておくことにする。
「テンリュウ・バイオテックか。ずいぶん大きな会社に勤めてるんだな。あそこなら生活に困ることもないだろ」
「ああそうさ。会社所有のメガアパートがこの先の中心地区があって、社員はタダで住めるんだ。これでやっと付随街のゴミゴミした借り家とおさらばできる。テンリュウ様様だ」
テンリュウ・バイオテック社。この地域の統治権を保有する巨大企業だ。社名に「生命工学」とつく通り本業はナノマシンやインプラント開発だが、それに留まらずアパレルや通信・金融をはじめ、様々な事業を大陸で展開している。軍事は言わずもがな、というのも巨大企業の場合、いつ何時も企業紛争のリスクに晒されているため、例外なく相当規模の自社戦力を保有していると考えていい。ちなみにだがテンリュウ社は、軍用インプラントの扱いにおいて非常に高い地位を得ている。私もテンリュウ社製のインプラントをインストールしている、強化筋繊維や戦闘用補助ナノマシンなどがそれだ。
「俺もテンリュウのナノマシンには世話になってる」
「あれいいよな! 俺、実は前の会社でも軍隊にいたんだ。デカい会社じゃなかったから支給品もしょぼくてな。そのせいか分からんが、例えば、休日に家でくつろいでるだろ? 突然息ができなくなるんだ。あと夢見も悪くなったな。俺は、気づいたら知らない町にいて、何かから必死に逃げてるんだ。おかしな話だが、俺は自分が殺されることを知っている。そして散々歩き回った後に、後ろから腹を撃ち抜かれるんだ。俺は驚くと同時に、『ほら、結局こうなっただろ?』と確信する。——無茶苦茶だろ? 別に気にしなきゃいいんだが、だんだん仕事に支障が出てくるから困るんだ。でもテンリュウのインプラントを入れたら、そんなことは一切なくなった。ほんと助かったよ」
私は
ケバブはとっくに食べ終わっていたが、時間にはまだ余裕があるので、このおしゃべりな男に付き合うことにした。
「テンリュウの仕事はどうだ?」
「最高さ。最新のテックが支給されてるから、思う存分戦える。この前ソニック社の連中とドンパチやり合ったが、そいつらがかわいそうに思えたな。しかも仕事と言ったら、たまに遷移地帯に呼び出されて、戦闘業務に従事する、それだけだ。オフィスの連中よりはるかに働いてる時間は少ないんじゃないか? あいつら、ここに入るまでに散々競ってきたのに、まだ同僚との競争が終わってないんだろ、かわいそうだよな。俺なんて、殺れば殺るだけ査定が上がるってわけだから、気楽でいいよ。まあ、俺に殺された連中も気の毒だが」
何もテンリュウに限った話ではない。人工知能が企業で広く用いられるようになったのはずいぶん昔の話だが、それらが多くの仕事を人間から奪った結果、残った僅かな席をめぐって熾烈な競争が生じるようになった。人々がよく目指すのは、巨大企業の経営している大学を卒業し、その企業の出世コースを駆け抜けていく、というものだ。いつクビにされるか分からないのだから、最も確実かつ安定したキャリアを志向するのは当然だろう。加えて、「社会福祉」という概念がアーカイブ上を除いて無力化されるとともに、賃金を支払うのは企業であり、福利厚生を提供するのも企業であり、自己同一性を与えてくれるのも企業である以上、「良い会社」に勤めること、「良い役職」に就くこと、「良い生活」を営むことは一切のずれなく直結している。
巨大企業の就職・出世競争は苛烈を極める——どちらも生存競争と全く同義だ——が、多くの人間にとっては一般企業に就職することですら一苦労なのが実態だ。なぜなら「普通の」人間はもはや社会に必要とされなくなってしまっているからだ。先ほどのテック耐性もそうだが、優れた能力を有していたり、社会に役立つ個性を持つとされた人間でもない限り、この世界で生き残ることは難しい。そして運よく素質に恵まれ、今日まで生き延びてきた人間も、成長し続けない限りは、加速した社会から落伍することになる。
「人間らしく」ないと、生きられない社会だ。
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