第38話 帝都地下網の反響、ソウルの赤い星、偽りの聖火と真実の灰、狼たちの奇襲
帝都・東京、戒厳令下の地下水道。
南雲譲二陸将補率いる決起部隊「暁」の残党は、帝国政府の執拗な追跡をかわしながら、地下の連絡網を駆使して抵抗活動を続けていた。彼らのクーデターは失敗に終わった。しかし、その行動は、帝国の圧政に苦しむ一部の市民や、良識ある軍人たちの間に、静かな、しかし確かな反響を呼び起こし始めていた。密かに食料や医薬品を差し入れる者、軍や警察の内部情報をリークする者、そして少数ながらも武装蜂起に加わろうとする者たちが、徐々に現れ始めていたのだ。
「…閣下、帝都防衛師団の一部将校たちが、我々の動きに呼応する準備があるとの連絡が入りました。彼らは、『北極星作戦』の無謀さを認識しており、長谷川長官と氷川長官の排除を望んでいます」
生き残った部下の一人が、興奮した面持ちで報告した。
南雲は、その報告に僅かな光明を見出しつつも、慎重な姿勢を崩さなかった。これは、敵が仕掛けた罠である可能性も否定できない。
「…詳細な情報を集めろ。そして、我々の側からも、信頼できるルートを通じて、彼らの真意を確認する必要がある。軽率な行動は、我々全員を破滅させることになる」
そんな中、南雲はアメリカの諜報員ライアンから渡された暗号化通信回線を使い、彼との接触を試みた。数回の試みの後、ようやく繋がったライアンからの返信は、驚くべきものだった。
『…南雲将補、君の勇気ある行動には敬意を表する。だが、君が戦っている相手は、君が思っている以上に巨大で、そして複雑だ。長谷川は、確かに日米露のバランスを巧みに利用しようとしている。だが、彼の背後には、さらに大きな…「黒龍会」と呼ばれる、国際的な闇のネットワークが存在する。そして、その「黒龍会」は、今、ロシアの特定の過激派勢力と手を組み、極東において、ある『恐ろしい計画』を実行しようとしている。それは、日本の北方領土問題を利用した、大規模な軍事挑発だ。目的は、日露間の軍事衝突を誘発し、その混乱に乗じて、米中を巻き込んだ世界規模の紛争を引き起こすことにあるのかもしれない…』
ライアンの情報は、南雲が掴んでいた断片的な情報を繋ぎ合わせ、恐るべき全体像を浮かび上がらせた。長谷川は、単なる帝国の権力者ではなく、世界を破滅させかねない巨大な陰謀の、重要な駒の一つだったのだ。そして、「北極星作戦」は、その陰謀のまさに火種として利用されようとしていた。
南雲は、全身から血の気が引くのを感じた。もはや、帝国内部の問題ではない。これは、世界の存亡に関わる戦いだ。彼は、ライアンにさらなる情報の提供を求めると共に、自らの抵抗活動の目標を、長谷川と氷川の排除だけでなく、この国際的な陰謀の阻止へと、大きく転換させる必要性を感じ始めていた。
韓国、ソウル。
天城航太郎とキム・スジンは、ファルコンの最後のメッセージ「北の熊は南下する」という言葉と、ロシア代理人の不審な動きを手がかりに、彼らの具体的な行動計画を探っていた。彼らは、キム・スジンが持つ北朝鮮の元工作員としてのコネクションと、天城のジャーナリストとしての情報収集能力を駆使し、ついにロシア側の恐るべき計画の一端を掴んだ。
「…間違いないわ、コウタロウ。ロシアの極東軍の一部と、FSBの過激派グループが、『黒龍会』と連携し、数日中に、北方領土の国境付近で、大規模な軍事演習と称した挑発行為を計画している。それは、日本の『北極星作戦』を誘い出し、意図的に日露間の武力衝突を引き起こすための罠よ。そして、その混乱に乗じて、彼らは北海道東部への限定的な侵攻すらも視野に入れている可能性があるわ」
キム・スジンは、入手したロシア軍の内部文書のコピーを前に、戦慄を隠せない様子で言った。
「北海道へ…!? まさか、奴ら、本気でそこまで…! 長谷川は、それを知っていて『北極星作戦』を強行しようとしているのか…!?」
天城は、愕然とした。これは、もはや単なる領土問題ではない。国家間の全面戦争、そして世界大戦の引き金になりかねない、狂気の計画だ。
「…この情報を、何としても世界に伝えなければならない。だが、通常のルートでは間に合わないし、握り潰される可能性が高い。どうすれば…」
天城が苦悩していると、キム・スジンが静かに言った。
「…一つだけ、方法があるかもしれないわ。ソウルには、各国の諜報機関の非公式な情報交換の場となっている、ある『クラブ』が存在するの。そこに、この情報を『匿名で』流すことができれば…あるいは、各国の政府が動き出すかもしれない。ただし、そこは文字通り『狼たちの巣窟』よ。生きて帰れる保証はないわ」
天城は、キム・スジンの目を見つめた。彼女の瞳には、危険を承知の上で、それでも行動しようとする、強い決意が宿っていた。
「…行こう。俺たちで、その『狼たちの巣窟』に、本物の『狼煙』を上げてやろうじゃないか」
二人は、互いの覚悟を確かめ合うように頷き、ソウルの最も危険な夜の闇へと、再び足を踏み入れていった。
日本国内、某所。国際青年平和友好祭典会場近く、放棄された地下鉄駅。
藤堂とその部下たちは、「汚れた聖剣」――蓮見志織が最後の抵抗を試みた不完全な核物質――を、時限爆破装置と共に設置する作業を完了していた。氷川長官との密約通り、数時間後、この場所で「選民会議の残党による自爆テロ」が発生し、帝都を恐怖に陥れるはずだった。
「…これで、準備は整った。あとは、我々の『指導者』が、この混乱の中から立ち上がり、新たな時代を宣言されるのを待つだけだ」
藤堂は、満足げに呟いた。蓮見が仕掛けたかもしれないサボタージュについては、彼の部下の技術者たちが「問題なし」と判断していた。彼女の最後の抵抗は、無駄に終わったかに見えた。
時限装置のカウントダウンが開始される。藤堂たちは、その場を離れ、安全な場所から「偽りの聖火」が上がるのを見届けようとしていた。
そして、予定時刻。
地下鉄駅の奥深くから、閃光と共に、地響きのような低い爆発音が響き渡った。しかし、それは藤堂たちが予想していたような、大規模な爆発でも、強烈な放射能汚染を引き起こすものでもなかった。
蓮見が仕掛けた化学物質は、核物質をほぼ完全に中性化させることに成功していたのだ。だが、その過程で発生した不安定なガスが、時限爆破装置の起爆の衝撃で引火し、限定的ながらも激しい通常爆発と火災を引き起こした。それは、核テロとは程遠い、しかし十分に混乱を引き起こすには足る「事故」だった。
「何だ…これは…!? 『聖剣』の威力が、こんなもののはずがない…! あの小娘…やはり、何かを…!」
藤堂は、予想外の事態に愕然とし、激しい怒りに顔を歪めた。蓮見志織の最後の閃光は、完全な無力化には至らなかったものの、彼らの計画を大きく狂わせ、そして「汚れた聖剣」の正体を、別の形で露呈させる可能性を生み出していた。この「事故」の真相が明らかになれば、氷川と藤堂の陰謀は、白日の下に晒されることになるかもしれない。
日本海某海域。「雷鳴」及び「国防軍・最後の希望」潜水艦「アーク」。
相馬圭吾大尉と風間武蔵少佐は、「国防軍・最後の希望」の旗艦である、橘一佐が指揮する潜水艦「アーク」と合流し、「黒龍会」の秘密基地――日本海沿岸の古い軍港跡に偽装された要塞――への奇襲攻撃作戦を開始していた。
「アーク」が持つ古いデータと、「雷鳴」の最新鋭ソナーを組み合わせることで、彼らは秘密基地の正確な位置と、その警備体制の脆弱な箇所を特定した。
「…敵の潜水艦ドックへ通じる、古い海底トンネルがあるはずだ。そこから特殊部隊を潜入させ、内部から混乱を引き起こす。その隙に、我々主力は正面から奇襲をかけ、認証担当技官と『破損した起動認証キー』を奪還する」
橘一佐は、冷静に作戦を説明した。彼の顔には、長年の潜伏生活と、多くの仲間を失ったことによる深い疲労の色が浮かんでいたが、その瞳には、帝国を救うという、不退転の決意が宿っていた。
風間少佐率いる、「雷鳴」と「アーク」の合同特殊部隊が、海底トンネルからの潜入を開始した。彼らは、音もなく敵の警戒網を突破し、基地の内部へと侵入していく。
やがて、基地内部から、爆発音と銃声が響き渡り始めた。奇襲は成功したのだ。
「全艦、突撃! 狼たちの饗宴の始まりだ!」
橘の号令と共に、「アーク」と「雷鳴」は、その巨体を浮上させ、秘密基地の港湾施設に対して、猛烈な砲撃とミサイル攻撃を開始した。それは、帝国の闇に潜む「黒龍会」に対する、最後の希望を賭けた、壮絶な戦いの火蓋が切られた瞬間だった。相馬と風間は、それぞれの持ち場で、帝国の未来を賭けた戦いに、その身を投じていく。
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