ディンギル創世記~暁のメソポタミア~

やまのてりうむ

第1部:黎明編

第0章:黄昏に響くは始まりの唄

第0話:黄昏の獅子、暁の記憶

 聖都ウルク北方の岩山。

 乾いた風が、鼻をつく血の臭いと土煙を運び、ゴツゴツとした岩肌をザラリとなでる。

 大師範ジド・クルガルは、若き指導者ガルレイと、その五人の若い弟子たちと共に、残忍で獰猛どうもうな盗賊団と対峙たいじしていた。


「――ジ・ムル・メラム!」


 戦場の喧騒けんそうが、嘘のように遠のく。

 ジドが深く息を吸い込み、その名を静かに唱えた瞬間、彼の存在そのものが嵐の目と化した。

 すさまじい闘気が体内から沸き立ち、周囲の空気が張り詰める。

 雷が落ちた後のような乾いた焦げ臭さと共に、バチッ、バチッ、とヒヨコマメがぜるような音を立てて、体の周囲にいくつもの青白い火花が散った。


 盗賊たちが、ジドのただならぬ気配に一瞬ひるみながらも、数に任せて闇雲に斬りかかってくる。

 だが、彼らの攻撃は、まるでジドには全て見えているかのように、ことごとく紙一重でかわされる。

 あるいは、攻撃が彼に届く前に、既にジドの体はそこにはなく、まるで影のように、捉えどころがなかった。


 年齢を感じさせないどころか、円熟の極みに達したその動きは、もはや武術というよりも自然の意志そのものを体現しているかのようだ。


「――アン・パ・キ・グブ!」


 ジドの足が大地に吸い付くように安定した構えを取ったかと思えば、次の瞬間には、


「――ムル・ルル・アラム!」


 という鋭い呼気と共に、その姿は予測不能な軌跡を描き、流れるような素早い動きで盗賊たちの死角に瞬時に回り込んでいた。


 ジドの放つ拳が、ではない。

 もはや彼の手足全てが、意思を持った凶器と化していた。

 振り下ろされる剣の軌道を塞ぐように肘を打ち込み、突き出される槍の起点を正確に踏み砕く。

 まるで重力から解き放たれたかのように、その動きは流れるように滑らかで、見とれてしまうほど美しいが、その一撃一撃には恐るべき威力が秘められている。


 その拳の周りには、小さな稲妻のような青白い光の筋が幾重にも絡みつき、まるで生きているかのようにうごめいていた。

 拳が敵に命中するたび、バチッ、と乾いた音を立てて青白い火花が散る。

 それが、ジドが長年かけて練り上げたディンギル体術の奥義だった。


 盗賊たちは、何が起こったのか理解する間もなく、一人、また一人と、声もなく崩れ落ちていく。

 その顔には、苦痛よりも驚愕きょうがくの色が濃く浮かんでいた。


(これが、俺たちが学んでいるディンギル体術の、本当の姿だというのか? 俺たちが誇っていた技は、この大師範の御業みわざの、ほんの上澄みをすくっただけの、子どもだましだったというのか……!)


 一番弟子のウズは、理解を超えた光景に恐怖すら麻痺し、憧れも、嫉妬も、絶対的な畏怖いふに塗りつぶされていた。


 他の弟子たちもまた、大師範の流麗な動きと圧倒的な戦いに、ただ息をのむ。

 それは、彼らがこれまで訓練場で学んできたものとは、全く次元の異なる、神の領域に触れるかのような技だった。

 指導者のガルレイでさえ、ジドの動きの全てを捉えることはできず、ただその計り知れない強さに身震いしていた。


 やがて、ジドの前に、盗賊団の頭目と思われるひときわ体格の良い男が立ちはだかった。

 その顔には焦りと怒りが浮かび、恐怖を振り払うかのように両手で握りしめた大きな剣を振りかぶり、獣のような雄叫おたけびを上げてジドに襲いかかる。


「――メラム・ギル・ムル・ガズガズ!」


 ジドの声は静かだったが、その言葉と同時に放たれた技は、まさに激しい雷撃そのものだった。


 ゴッ、と骨が砕ける鈍い音が響く。

 ジドの最初の蹴りが、盗賊の頭目が振りかぶった剣を持つ腕の関節を、的確かつ無慈悲に砕いた。

 武器は頭目の手から吹き飛んだ。

 ――激痛にひるんだ頭目の体勢が崩れた瞬間、次の蹴りががら空きになった胴体にめり込み、衝撃でその巨体がくの字に折れ曲がり、完全に動きが止まる。

 ――宙に舞っていた武器が甲高い音を立てて岩にたたきつけられる。

 ――同時に、完全に無防備となった頭部へ、とどめを刺す数発の蹴りが、天空から降り注ぐ雷のように、次々と驚くほど正確に叩き込まれた。

 その足先にも、青白い光の筋が幾重にも絡み合い、蹴りが命中する度に、バチッ、と青白い火花が散った。


 ジドの連続蹴りの動きは、瞬く間の出来事だった。

 弟子たちは一瞬何が起こったのか理解できず、ただジドの残影と、糸の切れた人形のように崩れ落ちる頭目の姿を、呆然と見つめるのみだった。


 その不可思議な光景は、決して弟子たちの見間違いや、ジドの気迫が見せた錯覚ではなかった。

 彼らは、そしてガルレイさえもが、確かに見たのだ。

 人の身から放たれるとは思えない、神業かみわざのように荘厳そうごんで、同時に恐ろしい光る拳と光る蹴りを。


 残った盗賊たちは、頭目の無残な最期と、ジドの人間離れした強さを目の当たりにし、完全に戦意を喪失。

 武器を捨てて逃げ出そうとしたが、それすらもジドの的確な打撃によって阻まれ、次々と地に伏した。


 あれほど猛威を振るった盗賊団は、ジドの前になすすべもなく、あっという間に壊滅した。


 ジドは静かに拳を下ろすと、まるで何事もなかったかのように、血と土埃つちぼこりにまみれた戦場を見渡した。


 これは、後にウルクの歴史に、畏怖いふと敬意を込めて語り継がれることになる、伝説の始まりの一幕である。


 ――そして、時はわずかにさかのぼる。

 この戦いから、ほんの数日前のこと。


━━◆━━


 聖都ウルクにあるエアンナ神殿の広大な訓練場に、若い神官たちの力強い掛け声が響いていた。

 太陽が西の空に傾き、訓練場を照らす光が赤みを帯び始める頃には、日中の熱気も和らぎ、風は涼やかになっていた。

 その中央で、若き指導者の一人であるガルレイが、体格の良い五人の弟子たちを前に、ディンギル体術の指導に当たっていた。

 しかしその表情には、指導の熱意と共に、わずかな疲労と焦りの色も浮かんでいた。


「ウズ、お前の突きは確かに鋭いが、踏み込みが浅く、威力が半減している。ジュギ、受け流す際の体の軸がぶれていては、次の動きに繋がらんぞ」


 ガルレイが冷静に指摘するが、一番弟子のウズは汗を拭うこともなく、自信に満ちた笑みで言い返した。


「ふ、ご心配には及びませんよ、師範。この突きでも、先日の盗賊は一撃でした」


「その通りです。三人組とはいえ、相手は武器を持っていました。それを我々だけで、師範の手を借りずに捕縛ほばくできたのですから!」


 ウズとジュギが得意げに胸を張ると、他の弟子たちも同意するように頷き、訓練場には気の緩んだ空気が流れる。


(またこれか……)


 ガルレイは内心で深くため息をついた。


(かつて自分も通った道だ。若さゆえのおごりは、時に成長のかてとなる。だが、彼らのそれはあまりにも危うい。あの幸運だけの勝利を実力と信じ込む瞳は、すぐそこにある死の深淵しんえんに気づいていない。個々の技は確かに磨かれてきた。しかし、そのことが逆に、彼らが連携を軽んじ、戦場を点としてしか捉えられない原因にもなっている。このままでは犬死にさせることになる。俺の指導力不足だ……。なんとかして、彼らの天狗てんぐの鼻をへし折り、同時に命を守り切るには……俺一人の力では、あまりにも……)


 その苦悩を知ってか知らずか、ウズはさらに言葉を続けた。


「ガルレイ師範、もはや近隣の盗賊程度、我々の敵ではありませんよ!」


 その言葉に、ジュギ、ゼナン、リディン、ムルアもまた、自信満々の笑みを浮かべていた。

 ガルレイの眉間に刻まれた皺が、さらに深くなる。


 ガルレイは、なおも自信満々な弟子たちの顔を見渡し、もう一度だけ、自分に言い聞かせるように呟いた。


「……油断こそ最大の敵だ。真の戦場では、一瞬のおごりが命取りになることを、決して忘れるな」


 しかし、その言葉が弟子たちの心に届く前に、緊迫した声が訓練場に響いた。


「ガルレイ様! 緊急の報告です!」


 息を切らした若い伝令神官が、一枚の粘土板を手に駆け寄ってきた。

 そのただならぬ様子に、弟子たちの間のどこか浮ついた空気も一瞬で張り詰める。


「何事だ」


 ガルレイが低い声で問うと、伝令は粘土板を差し出しながら早口で告げた。


「はっ! 偵察部隊より! 近隣を荒らす盗賊団のアジトを、ウルク北方の岩山にて発見したとのこと! 報告では、敵の数はおよそ五名と……」


 ガルレイは粘土板を受け取り、その簡素な報告に素早く目を通すと、険しい表情で顔を上げた。


「……およそ五名、だと? それで報告は全てか? 周辺の地形や、逃走経路の可能性は?」


「い、いえ、詳細はまだ……。ただ、アジトを発見したとの第一報のみでして……」


(情報が曖昧すぎる。罠の可能性もある。何より……)


 ガルレイは、背後で「腕が鳴る」とでも言いたげな顔をしている弟子たちを一瞥した。


(……あのおごりきった弟子たちだけで向かわせれば、確実に死人が出る)


 ガルレイの脳裏に、決断が下される。


(奴らに本物の戦いの厳しさを教える好機ではある。だが、そのためには……彼らを守り、そして導く『本物』の力が必要だ。……あの方しか、いない)


 ガルレイは、一人の偉大な師の姿を脳裏に描き、協力を依頼することを静かに決意した。


━━◆━━


 エアンナ神殿の最も奥深く、俗世の喧騒けんそうから切り離された一室。

 そこだけが、まるで時が止まったかのような静寂に支配されていた。


 そこで、大師範ジド・クルガルは、静かに瞑想していた。

 窓から差し込む細い光が、彼の肩にかかるわずかに白髪の混じった黒髪を照らし出している。

 その静寂は、彼が放つ圧倒的な闘気が、周囲の空気さえも支配しているかのようだった。


 そのジドの前に、ガルレイは音もなく進み出て、深く頭を下げた。


「ジド大師範。……お恥ずかしながら、ご助力いただきたく参上しました」


 ガルレイの声は、緊張にわずかに震えていた。


「近隣を荒らす盗賊団の討伐任務が下りました。しかし……我が弟子たちは、先の小さな手柄におごり、戦いの厳しさをまるで理解しておりません。このままでは、犬死にさせることになりかねません」


 彼は、指導者としての苦悩を隠すことなく、続けた。


「つきましては、誠に恐縮ながら、この任務にご同行いただき、彼らに『本物』の戦いとは何か、そして、その力の先にあるものをお示しいただきたいのです」


 ジドは、ゆっくりとまぶたを開いた。

 その瞳は、全てを見通す大河のように深く、穏やかだった。

 彼は、ガルレイの言葉の奥にある指導者としての苦悩と、弟子たちへの深い愛情を、ただ静かに受け止めていた。


 やがて、その口元にかすかな笑みが浮かぶ。


「……良いだろう、ガルレイ。お前のその心、確かに受け取った」


 その声は穏やかだが、有無を言わせぬ響きを持っていた。


おごりもまた、若さの特権。そして、それを打ち砕かれてこそ、人は真の強さを知る。……私も共に行こう。若き獅子たちが、その壁をいかに乗り越えるか、この目で見届けることも必要だろう」


━━◆━━


 数日後、ジド、ガルレイ、そして五人の若い弟子たち――ウズ、ジュギ、ゼナン、リディン、ムルアの一団は、朝日に照らされウルクの城門を後にした。

 目指すは、盗賊のアジトとされるウルク北方の岩山にある洞穴だ。

 ウルクからロバを使って数時間ほどの距離である。

 道中、弟子たちは、伝説の大師範ジドが同行しているという興奮と緊張からか、いつも以上に口数が多く、自分たちの武勇を語り合っていたが、ジドはただ黙って、時折彼らに穏やかな、しかし全てを見透かすような視線を向けるだけだった。

 ガルレイは、そんな弟子たちの様子に、再び不安の色を濃くしていた。


 目的の岩山に到着すると、ふもとにロバをつなぎ、一行は徒歩で洞穴へと向かった。

 ごつごつとした巨大な岩が折り重なり、その深い岩陰は太陽の光をさえぎって、昼でも薄暗い冷気を感じさせた。

 その場所は、風の音以外には物音一つしない、不気味なほど静まり返っていた。


「よし、作戦通り、煙でいぶり出すぞ!」


 ウズが、自信満々に声を上げた。

 弟子たちは、ガルレイが静観する中、得意げに洞穴の入り口で火を起こし、湿った木の葉や草を投げ入れて煙を発生させた。

 黒い煙がもうもうと立ち昇り、洞穴の中へと吸い込まれていく。

 彼らの表情には、これから手柄を立てるのだという期待感と、わずかな油断が見て取れた。


 しばらくすると、計画通り、洞穴の中から激しく咳き込む声と共に、三人の男が転がり出てきた。

 いずれも粗末な身なりだが、その目つきは鋭く、手には錆びついた剣や棍棒を握っている。


(よし、三人だ! 偵察部隊の報告では、敵は五名。残りは二人か、あるいは洞穴の奥に潜んでいるか……いずれにせよ、この三人なら楽勝だ!)


 ウズは勝ち誇ったように他の弟子たちと目配せをした。

 ジド大師範が見ているという緊張感と、自分たちの力を示したいという功名心こうみょうしんが、彼らを駆り立てる。


「者ども、かかれ! 大師範にご覧いただくのだ、我々の力を!」


 ウズの号令と共に、五人の弟子たちが一斉に三人の盗賊たちへと襲いかかった。

 最初は、数で勝る弟子たちの勢いに押され、盗賊たちは防戦一方となった。


「見たか、ガルレイ師範! ジド大師範! これが我々の力です!」


 ジュギが、盗賊の一人を打ち倒しながら得意げに叫んだ。

 弟子たちは、完全に勝利を確信し、その顔は自信で満ちあふれていた。


 しかし、その時だった。


「な、なんだ!?」


 ゼナンが驚きの声を上げた。

 彼らの背後の岩陰から、新たな盗賊たちが、まるで地面から湧き出るように次々と姿を現したのだ。

 その数、実に七人。

 先の三人と合わせれば、総勢十名。

 当初五名と見積もっていた敵の数は、実際にはその倍だったのである。


「くそっ、伏兵か! やはり情報は正確ではなかったか……!」


 ガルレイが叫んだ。


「全員、俺のそばへ集まれ! 陣形を立て直す!」


 しかし、煙から現れた三人を容易にあしらえたことで完全に気を良くしていた弟子たちは、突如敵の数が増えても、その危険性を正しく認識できなかった。

 ジド大師範が見ている前で手柄を立てたいという功名心こうみょうしんも、彼らの冷静な判断力を完全に奪っていた。


「待て! 連携を崩すな!」


 ガルレイの鋭い制止の声も、興奮と焦りに駆られた彼らの耳には届かない。


「囲まれただと!? 面白い、まとめて叩き潰してやる!」


「俺に続け! ジド大師範に良いところを見せるんだ!」


 ウズとジュギが、我先にと新たな敵へと無謀にも別々に突撃してしまったのだ。


 しかし、相手は多勢、かつ岩山という地の利を活かした歴戦の盗賊たち。

 その統率の取れた動きと容赦ない反撃の前に、弟子たちの未熟な連携は瞬く間に崩壊した。

 個々のおごりが仇となり、あっという間に戦況は逆転する。


「ぐあっ!」


 突撃したウズが、二人の盗賊たちに挟まれ、彼らが振るった棍棒に両肩を強打され、苦悶の表情で地面に倒れる。


「ウズ!」


「囲まれた! 助けてくれ! ガルレイ師範!」


 ジュギとリディンも、三人の盗賊たちに囲まれ、その刃に次々と倒れていく。


「「うぐっ……」」


 残るゼナンとムルアも、気が付くと五人の盗賊たちに囲まれてしまっていた。


 顔面蒼白がんめんそうはくとなり、絶体絶命の窮地きゅうちに陥った。


「この未熟者めが!」


 ガルレイもまた、散り散りになった弟子たちの命を守るため、すさまじい勢いで奮闘し、複数の盗賊を相手に、師ジドから叩き込まれたディンギル体術を巧みに繰り出して数人を打ち倒した。

 その動きは、弟子たちとは明らかに一線を画す、洗練されたものであった。


 だが、負傷した弟子をかばい、混乱に陥り統率を失った彼らをまとめながらの戦いは、困難を極めた。

 数の差はどうにもならず、ガルレイの額には焦りの汗がにじみ、その動きにも徐々に疲労の色が見え始め、次第に追い詰められていく。


(くそっ……! 俺としたことが……! 弟子たちに、本物の戦いを教えるつもりが、これでは……!)


 ガルレイの歯ぎしりする音が、戦場の騒音にかき消された。


━━◆━━


 その絶望的な状況を、ジドは岩陰から冷静に見極めていた。

 彼の表情は、嵐の中心のように静かだったが、その瞳の奥には、戦場の全てを見通し、その先までをも見据えるような深い光が宿っていた。

 そして、これ以上は弟子たちの命が危ういと判断した瞬間、彼は音もなく、空気を震わせるような圧倒的な存在感を放ちながら、ゆっくりと前に出た。


「……ここまでだな」


 ジドの声は、不思議なほど穏やかだったが、その場にいた全ての者――恐怖に震える弟子たちも、奮戦するガルレイも、そして勢いづいていた盗賊たちさえも――の動きを一瞬にして凍りつかせる、絶対的な響きを持っていた。


「お前たち、よく見ておくがいい。これが、私や多くの仲間たちが長年かけて磨き上げてきた、ディンギル体術の神髄しんずいの一端だ」


 ジドの雰囲気が一変した。

 先程までの穏やかな大師範の面影はなく、そこにはただ、戦場の全てを支配する絶対的な強者の闘気が立ち昇っていた。

 弟子たちは、そのあまりの変わりように、驚きとも恐れともつかない感情で息をのむ。


━━◆━━


 作戦を終えたガルレイたちは、捕縛ほばくした盗賊たちを連れて神殿へと帰還した。


 その夜、ジドと弟子たち、そしてガルレイは、焚火を囲んでいた。

 弟子たちは、昼間の戦いの衝撃からまだ立ち直れず、皆一様にうつむき、自らの未熟さを深く反省していた。

 ジドの圧倒的な強さと戦いの中で示された教えは、彼らの心に、尊敬と恐れにも近い気持ちを、決して消えることのない強烈な印象として刻み付けた。


 ガルレイもまた、指導者としての自身の課題と、ジドという存在の偉大さを改めて痛感し、深く感謝の言葉を述べた。


「ジド大師範……本日は、本当にありがとうございました。そして……申し訳ありませんでした。私の指導力不足で、弟子たちを危険な目に……。大師範のお力がなければ、我々は今頃……」


 ジドは、そんな彼らに静かに、しかし力強く語りかけた。

 その声は、夜の静寂に染み入るように響いた。


「今日の戦いで、お前たちは多くのことを学んだはずだ。真の戦いの厳しさ、おごりの恐ろしさ、そして仲間との絆の重要性をな。だが、忘れるな。多くの仲間たちの協力を得て編み出したこのディンギル体術も、最初からこのような洗練されたものではなかった。数えきれない失敗、乗り越えられないかと思った壁、そして、かけがえのない人々との出会いと別れ……それら全てが、この技を形作ってきたのだ」


 ジドは、遠い過去を懐かしむように、ふと燃える焚火の炎の向こう、イナンナ――金星――がひときわ明るく輝く星空を見つめた。

 東の空が、まさに暁の色に染まり始めていた。


「そう……全ての始まりは、私がまだ、お前たちよりも幼く、この体術の影も形も知らなかった頃……あのユーフラテスにほど近い小さな村で見た、一つの出来事だったのだ……」


 ジドの言葉は、弟子たちの心に深く響いた。

 彼が見つめる暁の空の彼方に、一体どのような物語が隠されているのだろうか。


 それは、一人の純朴な少年が、愛と友情、そして不屈の探求心によって試練を乗り越え、守るための力をその手につかむまでの、黎明れいめいの物語。


 そして、数千年に渡る壮大なサーガの、まさに始まりを告げる、暁の調べであった――。

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