モデル1

第2話 新入生

 皺一つない真新しいブレザーを着た少年の背後に、同じベージュ色の制服を着た少女が背後から忍びよる。少年は前屈みに成りながら何かに没頭しているので、迫り来る少女に微塵も気付いていない。少女は悪戯な笑みを浮かべると、少年の真後ろまで近づき、そして、いきなり両肩をガシッと掴んだ。刹那、少年の大声が教室中に響き渡る。


「うわああああっっっ!!」

「おっはよーう! 何読んでたのよ、ダイト! あっ、またホラー漫画だ!」

「び、びっくりしたぁー……おい、百瀬! いきなり何だよ! 心臓が止まりそうに成ったぞ!」

「心配ご無用ん。心臓が止まっても、私の顔を見たらドキドキして、直ぐに動き出すから」

「はあ? 恐怖で更に硬直するよ」

「あんだって?」


 入学式から数日が過ぎていたが、窓から見える桜の木々には、まだ薄桃色の花弁がちらほら残っている。時折吹く卯月の風は、その残り少ない花弁を黄土色に染まるグラウンドの上空まで運び、砂埃と共に回し遊んでいた。

 ここは某県の市内にある董正とうせい高等学園。少年、水川みずかわ大翔だいとと少女、百瀬ももせ梨々華りりかはこの学園の新一年生だ。二人は中学からの同級生で、この学園でも偶々同じクラスに成っていた。


「ねえ、ダイト。部活は決めたの?」

「ううん。まだ悩んでるとこだよ」

「だったら私と同じ茶道部にしない? お菓子食べ放題だよ」

「そんな理由で入らないよ! 実は美術部にしようとは、思ってるんだけど……」

「美術部? あんた絵を描くの下手くそなのに?」

「うるせー。だから踏み切れないんだよ」


 水川は百瀬の言う通り画力が無かった。だが大の漫画好きの為、自分でも描きたい思いが強くなり、絵の勉強がしたく成ったのだ。漫画を描くなら独学でも良いのだが、それでもデッサンの知識は最低限必要だと聞いていたので、部活でデッサン力をつけたいと考えたのだが、美術のセンスが無い自分が、美術部に入って良いものかと二の足を踏んでいる。


「美術部は止めた方が良いと思うけどな……」

「何で?」

「あんた、あの噂聞いてないの?」

「何の事?」

「美術室の動く肖像画の事よ」

「えっ? 何それ?」

「先輩に聞いたんだけどね、この学園の美術室は本当に出るのよ。一人で美術室に居ると、壁に掛けられた女子生徒の肖像画がいきなりヌメヌメと動き出すらしいわよ。横を向いていたはずの顔が、いつの間にか正面を向いて笑ってるんだってー」

「それって、今流行りのキャンバス型のデジタルスクリーンじゃないの? パッと見は本物の額装と区別がつかないらしいよ。急に中の絵が動きだすから、びっくりする人が多いんだって」

「ほうほう。怖いから科学の力にしますか」

「ち、ちがうよ……」

「言っとくけど実際、美術室では一人で入らないよう学園側から警告されてるのよ。美術部の人も部活が終わって帰る時は、全員で美術室を出るように顧問の先生に言われているみたいだし」

「ほ、本当に?」


 百瀬の意図に反して、水川は美術部に尚更興味が湧いてきた。学校の七不思議は何処にでも存在するが、実際に学園や先生が半ば認めるような対応をしているのは珍しい。なのでこれは本当に出るのかも知れないと、想像が一気に膨らんだのだ。水川は漫画の中でもホラーや怪奇物が特に好きなので、この怪談話は決断の決め手と成ってしまう。


「よし。俺、美術部に入部する」

「マジで? お化け出るのよ?」

「望むところだね。確か、うちのクラスの副担任の灰汁巻あくまき先生って、美術部の顧問だよね?」

「うん。そう言ってた……」

「今日の放課後、入部の挨拶に行って来るよ」


 喜んでいる水川を見て、百瀬は藪蛇だったと後悔した。百瀬は少しでも水川と一緒に居る時間を増やしたかったのだが、その意図は汲み取ってもらえなかった。美術部は女子の方が多いと聞くので、正直気が気でない。

 水川と百瀬は、中学時代から一緒に行動する事が多かった。お互い異性として意識をしているのだが、まだ交際までは発展していない。何時も水川の照れが災いしている。


「そう言えば灰汁巻先生ってイケメンよねー。あれは絶対女子生徒にモテモテだと思うわ」

「そ、そうかな? 何か痩せすぎじゃない? それに一見優しそうだけど腹黒そうだよ」

「なに、それ? ははーん。ヤキモチかなぁー?」

「ち、違うよ。何でヤキモチなんか焼くんだよ!」

「ふーん。まっ、いいけどー」

「そ、それよりさあ、百瀬は再来週の日曜日空いてる?」

「再来週の日曜? 何で?」

「映画観に行かない? ほらっ、今読んでた漫画の実写版が、再来週公開するんだよ。お、面白そうだと思わない?」

「ええー、それホラーでしょ? 私、ホラーはそんな好きじゃないし……」

「映画の後、百瀬の好きなスイーツビュッフェに行こうよ。奢るからさあ」

「本当に? オッケー! 絶対奢ってよ」

「わかった。約束する」


 デートの約束が交わされた直後、始業のスクールチャイムが鳴った。百瀬は手を振りながら自分の席へと戻る。水川は照れながら軽く手を上げた。百瀬とは親しい仲とはいえ、断られたらどうしようと、水川は内心ドキドキだった。デートの誘いが成功し、浮き立つ気持ちが顔に出そうになる。百瀬にニヤけている顔を見られたくないので、水川は窓の方に顔を向けた。


「ん? 何だあれ?」


 窓の方を見ると、落下防止手すりの上で何かが蠢いていた。

 それは大きな毛虫だった。

 見た事もない形で、しかも原色が入り混じった驚くほどカラフルな模様。まるで絵の具が付着した筆の穂先を全身につけているかのようだ。カラフルなだけに、その毛むくじゃらな姿は余計にグロテスクに感じ取れる。

 警告色と言って、派手な色の虫ほど毒を持っている可能性が高い事を知っていた水川は、慌てて窓を開け、下敷きを使ってうまく毛虫を外に放り投げた。

 そのカラフルな毛虫は、風に揺られながら中庭の方へと、ゆっくりと落ちて行く……。

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