甲夜に奏でしGTO ~Shosholoza Meyl~

終崎乃唖

1番線 近江八幡・亀岡・八日市・谷汲方面

00レ プロローグ

※ 作者注:この作品は、日本を舞台としておりますが、1945年以降の歴史において現実と異なる箇所が多々みられます。物語に登場する場所などは全て実在のものですが、現実とは行政区画、自治体名が大幅に異なる場所がありますことをご留意ください。また、作中に登場する鉄道路線も概ね実在のものを踏襲していますが、現実に存在する路線が廃止・未成となっていたり、逆に現実には廃止となった路線が存続している箇所や、構想・計画どまりの未成線が開業している箇所、現実とは異なるルートで開業している路線が多々あります。このほか、現実とは運営事業者が異なっている例や、実在しない架空の事業者により運営されている例もございます。また、戦時買収私鉄各線は会社消滅となった宇部鉄道と宮城電気鉄道を除き、元の会社に戻っています。このような点にご留意の上、作中での表現・用語に関して、現実の企業・団体や地方自治体に対し、問合せを行うことは多大な迷惑を伴います為、これを厳に慎んでください。


※ ストーリーの構成上不可欠なショッキングな表現がございます。あらかじめ心のご準備をお願いいたします。また、15歳未満の方の閲覧はこれを禁じます。


※ 本作に於きましては現実世界で行うと犯罪になる行為や、行為者自身の生命に著しい危険を招来する行為が描写されますが、かようの行為を模倣し、国家権力による身体拘束や後遺障害を伴う負傷等の不利益を被った場合、その責任は行為者にのみ課され、筆者は一切の責任を負わぬことをご理解ください。


 ・・・


 21世紀。我が国の鉄道業界は危機に瀕していた。

 モータリゼーションのもたらした自動車交通の発展により、地方のローカル線は次々と廃線に追い込まれ、残った幹線も縦横無尽に広がった整備新幹線や高速道路網との集客競争に負けて大赤字を垂れ流していた。


 国鉄の分割民営化による経営改善も効果は見られず、黒字をあげていたのはJR首都圏、JR中日本、JR近畿、そしてJR新幹線の4社のみであった。それ以外の各社・・・JR北日本、JR中四国、JR九州の各社は慢性的な赤字が続く厳しい状況に追いやられていた。JRブルートレイン、JR貨物はかろうじて黒字を上げていたが、自社の路線を保有せず、他のJRグループや第三セクターから線路を借り受けて運行する第二種鉄道事業者という性質上、単純比較は困難であった。

 とりわけ過酷な立場に追い込まれていたのはソビエト連邦崩壊とともに本土復帰を果たした北海道、及び東北、新潟県内全線並びに富山県の東半分を管轄するJR北日本であり、同社の黒字路線はその広大な営業エリアに対して、ごく限られていた。具体的には、電化方式の違いによりJR首都圏が引き受けを拒絶した常磐線上野〜水戸間と、成田線の我孫子〜成田間および下総松崎〜成田空港間、水戸線の小山〜結城間、千歳線の全線、そして函館本線、夕張線、狩勝線、根室本線、札沼線、室蘭本線、東北本線、仙山線のうち札幌、仙台近郊のわずかな区間と、新在直通運転(作者注:ミニ新幹線やフリーゲージトレイン、スーパー特急方式などにより、新幹線と在来線の相互直通運転を行っている区間。現実世界での秋田新幹線、山形新幹線、上越線ガーラ湯沢支線、博多南線が該当。本作品においては山形新幹線となっている福島〜山形〜新庄〜余目〜酒田間及び秋田新幹線となっている北上〜横手〜大曲〜秋田間、長野新幹線となっている軽井沢〜小諸〜篠ノ井〜長野間、北陸新幹線となっている北越南線越後湯沢〜津南〜直江津間、長崎新幹線となっている佐世保~早岐〜大村〜諫早〜市布〜浦上~長崎間が該当する)を行なっている奥羽本線福島〜新庄間と横手〜秋田間、羽越本線の余目〜酒田間、北越南線、陸羽西線と北上線の全線しかなかった。

 2002年には経営破綻の危機に直面し、比較的黒字区間が長いものの電化方式とドア数、地下鉄との直通運転といった都市型運転に起因する車両やりくりや乗務員教育の都合上JR首都圏が運営していた仙石線を同社に移管するという政府主導のテコ入れが行われたものの、状況は改善しなかった。そんな中、2005年には羽越本線で特急「いなほ」の強風による脱線転覆事故という重大不祥事が発生、そして秋葉原と筑波学園都市を結ぶ筑波急行電鉄学園都市線の開通により、一番のドル箱路線であった常磐線の旅客の多くを失った。追い打ちをかけるがの如く、翌2006年にはJR近畿が湖西線内で発生した特急「雷鳥」車内での連続強姦事件をきっかけに、自社で運行する全優等列車に対して監視カメラの設置と車内非常通報装置の設置を義務付ける内規を定めた。JR北日本も新潟から金沢に乗り入れる特急「北越」や大阪に乗り入れる急行「きたぐに」を運行していたが、JR北日本はJR近畿の要求を拒絶するしかなかった。これらの列車は当時工事が進んでいた北越線の新在直通化工事による北陸新幹線の富山暫定開業によって淘汰される運命にあり、車両も旧式であったことからさらなる安全装置を設置しても減価償却は不能であると見込まれたためだ。その結果、JR近畿より直通運転の取りやめを言い渡され、急行「きたぐに」は廃止。「北越」も富山までに運転区間を短縮せざるを得なくなり、裏日本の特急街道の収支まで悪化したのだ。こうして2007年、JR北日本はついにJRグループ初の破産申請を行い、会社解体という前代未聞の悲劇的な状態に陥った。

 同社の管轄していた路線については、常磐線の交流電化区間を含む北関東・南東北の路線の大半をJR首都圏及び東武鉄道に、新潟・富山両県下の幹線は新たに設立された第三セクター会社のえちごトキめき鉄道および既存の富山加越能地方鉄道に、新在直通区間はJR新幹線に、水戸線、水郡線の南半分、真岡線、北鹿島線は関東鉄道に移管された。この際、交流電車を運行する財力のない関東鉄道の負担軽減のため、水戸線が電化設備を廃しディーゼル化されているほか、JR新幹線に移管された新西直通区間を運行する在来線列車については地元自治体の設立した三セク各社が第二種鉄道事業者として運行を行うこととなった。陸羽西線と北上線、北越南線に関しては新幹線直通特急のみの運行となり、在来線列車は代替バスに移管された。占領中にソビエト規格に改軌され、本土との互換性が薄く、線路も津軽海峡を越えては結ばれておらず、今も樺太を経てモスクワやキエフ、平壌、ヘルシンキなどにつながっている北海道の路線については、新設された国営会社であるJR北海道に移管となった。それ以外の路線は「秋田なまはげ鉄道」「IGRいわて銀河鉄道」「青い森鉄道」に代表される各都道府県の出資する三セクか、弘南鉄道や三陸鉄道などの既存の私鉄等に移管されている。


 こうした厳しい状況は現場の職員にも重くのしかかっており、24時間365日体制の交代勤務でありながらそれに見合った給料が与えられないという、「鉄道会社総ブラック企業化」が深刻化していた。過労による重大事故の頻発は求職者をして鉄道会社は危険で薄給な職場であると思わしめるものであり、優秀な人材を鉄道会社から愈々遠ざけた。さらにすでに鉄道業界で働いている優秀な人材は他業種への転職活動を活発化させた。そのため、給料の低い中小私鉄を中心に転職のできない「ヤバい人材」ばかりが残される結果となり、現場では非科学的な根性論に基づいた無茶が横行し始めた。こうして、とりわけ荒天・災害時の無理な運行による事故の増加に拍車がかかった。

 慢性的な赤字と人手不足により地方では所定のダイヤでの運行はほぼ不可能になり、閑散区間の普通列車を中心に、人員不足や過酷な労働環境に耐えかねた組合員のストによる突発的な運休が頻発するようになった。そういった運休時の代行輸送が「セダン型のタクシー一台」で行われることも稀ではない有様だったから、ある意味では合理的といえば合理的だったのかもしれない。


 が、すべての鉄道会社がこの状況を甘んじて受け入れていたわけではなかった。人材不足が原因であれば、その人材を寄せ集める画期的な工夫をすれば良い。

 おりしもバブル崩壊後の未曾有の不景気の中、職にあぶれる人間は非体育会系を中心に相当数存在していたし、親が経済的に困窮することで十分な学力があるにもかかわらず高校に進学できない未成年も増えていた。就職難と人材不足の両方が深刻化しているという状態なのだから、双方のマッチングルートさえ整備できればどちらも一気に解決できるだろう。


 2000年代はじめごろから、神奈川府相模原市に本社を置き、山梨県甲府市周辺と富士五湖地方を中心に静岡県にまで路線を伸ばしていた「御坂急行電鉄」の代表取締役社長であった寺元善光(てらもと・よしみつ)は、画期的な解決策を思いついていた。同社は、バブル期に京王帝都電鉄の免許をもとに、鉄道建設公団が休日の行楽地への足として建設したものの、完成後京王が引き受けを拒否した相模原線橋本以西およびその支線群と、首都圏のベッドタウンとして開発が進んでいた甲府市の市営地下鉄となる予定であった御坂本線を引き受け、相模原線との直通を前提に規格を変更して工事を完了させた三セク事業者であったが、毎年税支出から補填せざるを得ない凄まじい赤字を垂れ流し、3県の有権者らから「税金泥棒」と誹謗を受け続けていた。

 バブル崩壊後の不景気が深刻化する中、寺元は、世界各地の鉄道ファンらに寄付を募り、未来の鉄道員を養成する実業高専を、富士五湖地域に設立することを思いついていた。通常の公立高校や国公立大学に比較してもさらに安価な学費と、衣食住付きの全寮制による経済的負担のない学園生活の中で、授業の一環の実習科目として、生徒たちは実際に駅務員、車掌、見習い運転手、保線員、車両整備員、清掃員等々、各所属科に応じた現場で鉄道員として実務経験を積む。そして、卒業後はよほど素行に問題がない限りは、出身地と成績に応じて各地の鉄道会社への就職が確約されるのである。基礎的な業務はすでに経験済みなので、ほぼ研修なしで直ちに第一線で活躍可能である。鉄道会社にとっては莫大な研修費用の節約にもなり、とりわけ赤字事業者にとってはそのメリットは大きい。不景気による高卒者、高専卒者の就職難と、鉄道会社での人材不足を一気に解決しうる革新的な計画であった。

 とはいえ、ただでさえ赤字を垂れ流す同社単独では実現困難であった。寺元は、同様にバブル期の無尽蔵な路線建設の遺産を押し付けられ、厳しい経営状態に陥っていた全国の各社と連携してこの野望を叶えようと、水面下で積極的に動いていた。結果、同じく京王帝都電鉄に相互乗り入れをしていた千葉県東葛飾市の東葛常南急行電鉄、地理的に近い氷川駅(作者注:現実世界での名称は奥多摩駅)および三峰口駅と信濃川上駅を結ぶ「御巣鷹急行電鉄」、そして旧国鉄が開業を放棄した五新線と、近鉄が建設を断念した御所線の南半分である葛城線を引き受け、一体的に運行する奈良県五條市の「五新鉄道」の各社の協力を得ることに成功。その後旧JR北日本より磐越東線、丸森線の全線と、磐越西線の郡山~会津若松間、水郡線の北半分を引き受けた福島県郡山市の「あだたら鉄道」、同じくJR北日本の越後線・弥彦線と、新潟交通・蒲原鉄道の各社の鉄道線を引き受けた新潟市の「白山電鉄(はくさん-)」、近鉄奈良線の近鉄奈良駅と、大阪線の伊賀神戸駅をショートカットし、運賃計算上は近鉄の大阪線経由扱いで車両だけ乗り入れてくる名阪特急や京伊特急の通過ルートとして、近鉄からの線路使用料で儲けている「いがはんなライン」をはじめとする各社がこれに賛同した。

 こうしてJR北日本の解体した2007年。寺元は同社の社長を退き、新たに持ち株会社である「八洲鉄道」を発足。これらの賛同した三セク各社の株式を自社の株式と交換することで全社を子会社化し、これらの路線のうち、難易度の低い区間を実習線区として使用する学校法人「八洲高専」を、計画とは少し異なる神奈川府相模原市、および千葉県東葛市沼南区に設立した。


 これは、その八洲高専を舞台に繰り広げられる物語。

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