第18話 ニセモノ、JKに逆ナンパされる
「いっそ図書館へ行ってみたらどうです?」
夕食前の筋トレをしていた時だ。
堀部さんにそう言われて、腹筋を中断した。
「図書館。近くにあるんですか?」
「ええ。バスで30分くらいのところに、結構大きな図書館がありますよ。ぼっちゃんのお気に召す本も、少しはあるんじゃないかしらね」
ンー。
天井をみつめる。
暗之介の頃にも、自転車で30分くらいのところに小さい図書館があった。
絵本のコーナーがあって、児童書のコーナーがあった。
日本文学の棚には、松本清張や吉川英治の全集があった。
詩集のコーナーには必ず、中原中也と谷川俊太郎。
悪くないな。
堀部さんに場所を教えてもらった。
翌日の放課後、さっそくバスを乗り継いで教えてもらった図書館を訪ねた僕は、思わず叫び出しそうになった。
まずは広さが桁違いだった。
1つのコーナーに置いてある蔵書の数も、暗之介の頃に通っていた図書館とは比べものにならない。
海外文学のコーナーというのがあり、そこにはアントニオ・タブッキやイアン・マキューアンの著作が当たり前のように背表紙を並べていた。パトリシア・ハイスミス、ジョン・マクレガー、リディア・デイヴィス。どの本も結構傷んでいるのは、多くの人に読まれている証拠だ。
僕は読むのが遅いので、沢山借りても結局読めないうちに返却日がきてしまう。
なので、1冊だけ借りることにした。
機嫌よく図書館を出て、バス停でバスを待った。
夕方で、電線の向こうの空はほんのり赤かった。
坂道をのぼってきたパトカーが、サイレンを鳴らさないままバス停の前を通り過ぎていった。
「浅野」
背後から名を呼ばれ、振り返ると、そこに梶川さんがいた。
暗い目で、僕をまっすぐ見ていた。
こんなところで会うなんて偶然、と思ったのは僕だけで、梶川さんは放課後になると、閉館日以外はたいてい毎日あの図書館で過ごしているという。
図書館で僕を見かけたので、後を追って来たと、梶川さんは言った。
「なんか用だったか?」
たずねてみると、
「別に」
と目をそらす。
別に用はないのに後を追ってくるというのはおかしい。
おかしいといえば、学校では僕を親の仇みたいに睨んでいた彼女が、僕を見かけたから後を追ってきたというのも、はなはだおかしい。
ホテルのパーティー会場では、僕が声をかけると逃げたではないか。
心の底からぶくぶく浮かび上がる不審のあぶく。だけど、それをとりあえず無視して、赤い空を見上げた。
「あの図書館でいつも、何読んでんだ?」
「司馬遼太郎」
梶川さんは不機嫌に答えた。
僕と話をするのがイヤなら、どうしてわざわざ追いかけてくるんだよ。
悩んでもわかるはずないので、直接きいてみることにした。
「おまえさ、なんでおれを――」
「おまえって言うな」
「梶川はどうしておれのこと、そんなに嫌ってんの?」
「はあ? あんたのこと嫌いって言った? まあ大嫌いだけど」
「理由があるんだろ? おれのこと嫌ってる理由」
「記憶喪失だもんね」
「まあそんなとこ。何があったか教えてほしいんだ」
「1年の時、私を笑い者にした」
梶川さんはぶすっとした顔で言った。
「メイクして学校へ行ったら、仲間同士でこっち見て、見ろ、猿だ化け物だと、顎をしゃくってた笑った」
「へえ」
「数Ⅰの授業で私が回答を間違えたら、不破さんと2人でくすくす笑った」
「ふむ」
「読んでるのが司馬遼太郎だと知って、歴女の呼吸壱の型、志士の墓参り、とか、陰でチャンバラの真似事までした」
カラスが一羽、住宅地の方へ飛んで行った。
「すみませんでした」
僕は深く頭を下げた。
「沢村に聞いたよ。私が1人で本を読んでるの見て、あいつ、本しか友だちのいない、さびしい女だとか言ってたらしいね。そのくせ自分が事故に遭ったら、人が変わったみたいに本の虫になって。――何を借りたの?」
「へ?」
「さっき借りてるの見たよ。どんな本借りたのよ。見せて」
僕はカバンから、図書館で借りたばかりの本を取り出して、梶川さんに見せた。
「ミランダ・ジュライ『最初の悪い男』? これ面白いの?」
「知らん。これから読むんだよ」
バスが来た。
僕はバスのうしろの方の席に座った。
梶川さんも、ほかに席は空いているのに、なぜか僕の隣に腰をおろした。
肩や腕が触れあうほど近い。
以前から噂になっていたけれど、体臭がすごい。この距離だと強烈だ。
バスが動き出す。
会話もなく、僕らは隣り合って座ったまま互いに反対の窓に目をやっていた。とても不自然な光景だ。
「なあ、悪かったと思ってる。おれ、おまえにひどいこと言ったんだな」
沈黙に耐えかねて、とうとう僕の方から口を開いた。
「おまえって言うな」
口も臭い。
梶川さんはその後しばらく黙っていたが、
「あんたに頼みがあるんだけど」
ふいに言った。
「おれにできることなのか」
「今晩泊めてくれる?」
絶対聞き違いだと思った。
「なんて言った?」
「一晩だけ、あんたの部屋に泊めてほしいんだけど」
梶川さんは言い直した。けど、同じ意味である。
「おれのこと、大嫌いなんだよな?」
「そうね。大嫌い」
「だったら余所がいいんじゃない?」
わざわざ嫌いな男の部屋に泊まる必要がどこにある?
「せっかくJKが泊まってあげると言ってるのに、なんで断るのよ」
「おれ、一人暮らしなんだ」
僕は梶川さんに体を向けた。
「マズいだろ、そういうの。おれも男なんだし」
「あんたさ、遊び歩いてるじゃん」
梶川さんは平然としている。
「週刊誌に載ってた、潮田レモンをホテルに連れ込んだ某会社の社長令息って、あんたのことよね?」
またその話か。
「みんな知ってるよ。あんた、スタンプを集めるみたいに、いろんな女としてみたいんだろ。だったら――」
「声が大きいって」
僕はため息をついた。
「家に帰りたくないんならホテルにでも泊まったら?」
「歩くチンポのくせに、なんでカッコつけるのよ」
ひどい言われようだな、浅野拓海。
「まあな。おれは、ちゃらんぽらんだからな。いろんな女とやりたいし、やらせてくれるなら、おまえでもいい」
「おまえって言うな」
足を踏まれる。けっこう、いや、かなり痛い。
「けどさ、おまえの厄介ごとに巻き込まれるのはまっぴらだ。自分を壊したいなら、一人で勝手に壊れてくれ」
「ムカつくやつ」
梶川さんは顔を窓の外に向けた。
浅野拓海は、女なら誰とでも寝たがる。だから泊めてくれるはず。
そう考えるのは、まあ自然だ。
ただ、彼女は浅野拓海を毛嫌いしていたはずで、そんな男を相手にしてもいいと考えるのは、自然じゃない。
(やけくそになってる?)
それもあるだろう。だけど、
(自分を汚したがっている)
そう解釈する方が適切な気がする。
バスに揺られながら、腕を組んだ。
僕の時は、ひどい環境だったにもかかわらず、誰かに助けを求めようなどとは、考えつきもしなかった。
我慢することしか知らなかった。
梶川さんの横顔を盗み見る。
「なに?」
険のある目で、梶川さんが睨む。
梶川さんの顔は、アナグマに似ていると思う。アナグマは犬の仲間だ。
その顔を見ながら、別館の階段の踊り場で暴れて額縁を壊したことや、廊下で突然発狂して拳でドアを叩き付けていたことなどを思い出した。
「ほっとけばいいのに」
のどかさんの声が耳許によみがえる。
浅野拓海はちゃらんぽらんだからな。ケツの穴の締まりが悪いんだ。
大きく息を吐いた。
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