陽菜乃さんは霊が視えない! ~episode 4~

釜瑪秋摩

封鎖された第七研究棟

 夜の大学キャンパスは、当然ながら静かだ。日中の喧騒が嘘のように消え、木々のざわめきと虫の声だけが響いている。


「ほんとにやるの? マジで?」


 都市伝説研究サークルの岸本泰河きしもとたいがは、暗闇の中で額に汗を浮かべながら、小さな懐中電灯を握りしめていた。


「やるって決めたのは泰河でしょ。肝試し企画、去年は雨で流れたから今年はやったるわい! って言ってたじゃない」


 冷静な声で答えたのは、同じくサークルの同級生、宮野陽菜乃みやのひなの。陽菜乃は首から提げた小さい銀の鈴がついたお守り袋をそっと撫でた。


 今回の舞台は、大学の敷地外れにある第七研究棟。数年前に事故があったとかで封鎖されていたが、最近、夜になると中に灯りがともり、人の気配がするという噂が流れていた。


「本当に……ここ、人はいないんですよね?」


 後ろからそっとついてくるのは一年生の野々宮香澄ののみやかすみ。泰河の腕にしがみつくようにして、その背中に隠れている。


「そもそも、こんな時間に鍵もなしで入れるのが変なんだよ……」


 四年生の香月悠斗かげつゆうとが呟いた。見た目はノリの良い陽キャだが、意外とビビり。もう一人、三年の有村湊ありむらみなとはスマホを構えて「映るかな~」と呑気にカメラを回している。


 香月は陽キャなだけあって、サークルで行うイベントの司会や、他校のサークルとの橋渡し的な役割を担っている渉外担当。有村は特に役職はないけれど、低くて渋い声のインパクトが強い。怪談を語らせると、雰囲気と相まって陽菜乃も背筋を震わせることがあるほど。泰河に至っては、たま~に泣かされている。


 一行は、薄暗い廊下を進んでいく。何年も前に電気は通らなくなっているはずなのに、確かに奥の研究室の一つに、ぼんやりとした灯りが漏れている。


「……電源、生きてる?」


 香月が驚いたように呟いた。


「っていうか、誰かいるってことじゃないの!? やばいってばよ! 先輩たちも!!! ねねね、もう帰ろうよ!」


「シッ! 泰河、しずかにして」


 香澄にグイグイと前に押し出され、泰河が怯える中、陽菜乃は静かに足を止めた。


「感じる。たぶん、霊がいる」


「うそでしょ!? 陽菜乃さん、視えないんじゃ──」


「視えない。でも、わかる。空気が変だし、鈴が鳴ってる」


 小さな銀の鈴が、微かにチリンと音を立てた。

 そのときだった。どこからか──ザザッ……ザザザ……というノイズのような音が響く。


「今の、なに……?」


 五人が息をのむ中、泰河が懐中電灯を向けた先に、白衣姿の男が立っていた。だが、顔が、ない。


「ひっ……!」


 香月の小さな悲鳴に気づいた男は、まるで霧のように消えた。それを皮切りに、研究棟全体が目覚めたように空気を変える。陽菜乃たちは足早に奥の教室に入った。


「この建物……霊的に記録された意識が残ってる」


 陽菜乃は、ホワイトボードに残された図形、資料棚の中の書類、机に置かれたままのノート、そして再生され続けるデスクトップモニターの映像を見つめながら言った。


「こっ、これ……電気通ってないのにパソコン動いてるじゃん! どゆこと!? 陽菜乃! 冷静に分析してる場合じゃないってばよ!? さっきの白衣のも、アレ絶対に霊だからッ!!!」


「騒いだって電気が止まるわけじゃないでしょ。っていうか、今、止まったほうが怖くない?」


「そうだけどッ! そうなんだけど、そうじゃないッ!!!」


「ヒナノ……おまえのその冷静さ、ヤバ……オレはタイガほどじゃないけど、結構マジでコワいんだけど」


「まあ、あたしには霊が視えないので。白衣の霊? も、サッパリ視えなかったですよ」


 五人で覗き込んだモニターから流れる映像は、人間の脳波を霊的エネルギーに変換し、意識を『データ化』する実験。事故で中止されたものの、被験者の意識だけが消えずに留まり続けている──。

 誰も触れていないのに、ノートがパラパラとめくれた。

 ノートにはたくさんの数式が書かれ、薄ぼんやりと光を帯びている。


「なんで!? ノートが勝手にめくれてる!」


 泰河は驚愕の声を上げ、教室中に視線を巡らせている。


「風か?」


「香月先輩、なに言ってるんですかッ! 窓なんてどこも開いてませんよッ!」


「泰河、騒がしいよ」


 陽菜乃は光を帯びたノートとモニターを交互に観察した。フワッと冷たい空気が鼻先をよぎる。


「誰かに見られることで存在が強化される。まるで観測されるための幽霊だ」


 有村が、呆然とつぶやいた。


「こんな研究していたなんて……初めて見た……」


 香月がノートに書かれた数式を確認しようと、手を触れた瞬間、再び白衣の霊が現れた。


「うわぁああああああああっ!!! また出たあああぁっ!!!」


 泰河の叫びに怯むことなく、白衣の霊は五人に近づいてくる。恐怖のあまり泰河は陽菜乃の腕を掴んで顔を伏せた。

 陽菜乃の腕に泰河の視たイメージが流れ込んでくる。


「……そこにいたのね」


 白衣の男の霊は、香澄に手を伸ばす。陽菜乃はすかさず胸もとからお守り袋を取り出し、鈴を鳴らした。


「こっちを見て! 香澄じゃなくて、あたしを!」


 霊の意識が陽菜乃に向いた瞬間、鈴が激しく鳴り、周囲の空気が揺れた。

 陽菜乃は霊の想念の源であるらしきノートを手に取り、お守り袋を押し付けたまま破り捨てる。紙が裂ける音とともに、霊は白い光に包まれて消えていった。


「陽菜乃さん……終わったんですか……?」


 香澄が震える声で尋ねる。陽菜乃はゆっくりうなずいた。


「うん。あのノートが媒介になっていたんだね。ずっとノートに思念が残っていたみたい。破り捨てて中を見られなくなった今、彼はもう、誰にも見られなくて済む」


 それから建物は不気味なまでの静寂を取り戻し、灯りもすっと消えた。



 *****



 帰り道、疲労困憊の泰河がぼやく。


「もう、二度と肝試しなんてやらねぇ……」


 有村は「映像、ちゃんと録れてるかな~」とスマホを確認している。


「録れていたら、ミナトのいい会談のネタになりそうだな」


「香月先輩! 変なこと言うの、やめてくださいよ! 有村先輩もッ!!! 俺はそんなの絶対に……絶対に聞きませんからね!!!」


 クスクスと笑う有村と香月に、泰河が涙声で訴えている。

 まあ、泰河はいつも有村に怖い思いをさせられているから、仕方ない。


 ――そして翌日。


 陽菜乃は泰河と一緒に、残った研究資料を探しに行ったけれど、やっぱり電気は通っておらず、資料やホワイトボードの図形は残っていたものの、例のノートとパソコンだけは跡形もなく消えていた──。


 こうして都市伝説研究サークルの夏は、また一つ新たな本物を記録に刻むことになった。




 -完-

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陽菜乃さんは霊が視えない! ~episode 4~ 釜瑪秋摩 @flyingaway24

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