第2話 奴隷を買おう

「おやおや……お客さんですかね」


 軋む木の扉をくぐった瞬間、ねっとりとした声が降ってきた。

 中にいたのは、中年の太った男。背広のような服に金の装飾をあしらい、眼光だけが蛇のように鋭い。


「ここが……奴隷商?」

「ええ、南区支所へようこそ。ご希望は? 戦闘奴隷? 労働用? それとも——夜のお相手?」

「いや……接客用だ」

「……接客を奴隷にやらせると……」


 苦笑しつつも、男は案内を始めた。


 金網の向こうには、鎖に繋がれた様々な人種の奴隷たちがいた。

 角の生えた獣人、耳の長いエルフ、肌の青い異種族。どれも高価そうで、鋭い目をした者が多い。


(違う……俺が欲しいのは、強さじゃなくて、華だ)


 俺は場の端、半ば忘れられたような物置の奥へ目を向けた。


 ぼろぼろの毛布に包まれて、うずくまっていた二人の少女。

 一人は目つきが鋭く、俺を睨みつける。もう一人は無邪気に手を振ってきた。


「ねえおじさん、もしかして、お客さん?」

「お、おじ……いや、うん。見ていい?」

「いいよ!」

「ただ、あの二人はね。売れ残りですよ。なんせ自我がありますから」

「ん? それはだめなのか?」

「いやいや⋯⋯奴隷は魂が抜けたものでないと。何をするにも嫌な顔をされててはこちらも嫌ですからね……彼女たちはどれだけ痛めつけても――」

「いや、もうわかった」


 (そんなことは聞きたくない……)


 一人は、金髪に黒い瞳。服は破れ、手には汚れた跡。

 もう一人は、明るい栗色の髪に大きな瞳。笑顔だけがやけにまぶしい。


「君たち、名前は?」

「……別に教える義理ないけど?」

「私はティナ! よろしくねっ。あなた、優しそう!」

「……ふむ」


 残念ながら猫耳はない。

 そしてボロボロ。痩せてる。傷もある。でも——


(絶対に、磨けば光る)


 俺の接客店長としての本能がそう叫んでいた。

 頭の中で二人が「おかえりなさいませ!」と言ってる姿が浮かぶ。


「この二人、ください」

「は?」

「だから、この子たちを買いたい」

「ふっふふ……変わったお客さんですね⋯⋯いやしかし、お支払いは?」

「…………」


 俺は、ポケットをまさぐった。この世界で使える銀貨があるわけもなく。


(やべ……金、無ぇ……)


「あー……でしたらその腕につけてる⋯⋯」


 奴隷商が俺の左腕を見た。


「それ、珍しいですね。もしや、時間が分かる?」

「……まあ、一応。クォーツですけど」

「クォーツ……不思議な響きですな。では、その時計と引き換えでいかがでしょう?」

「え、これでいいのか?」

「確かに若い女性なのでそれなりはするんですが……売れるあてのない商品を長く抱えるのも手間ですからね……」


 商談成立。俺は、少女たちの鎖を外されるのを見守った。


「一つ、最後にご説明を。——この国の法律では、奴隷には“絶対順守の呪い”を付与することが義務づけられております。万が一命令に逆らえば、激痛が走る仕組みです」

「そう……なのか……呪いって。えぐいな……」


 俺は思わず顔をしかめた。


(これが“現実”か……この世界ではそれが当たり前なのか)


「拒否権は?」

「ありません」


(クソ……)


「わかった。とにかく、やってくれ」


 少女たちが怯えたように俺を見る中、奴隷商は呪印の儀式を行った。

 鈍く青く光る印が、二人の首筋に一瞬だけ浮かぶ。


「これで契約完了です」


 商談成立。俺は、少女たちの鎖を外されるのを見守った。



 ☆



「これで……ほんとに買ってくれたの?」

「……どうせそういう目的なんでしょ。気持ち悪い」

「そういう目的とは失礼な。俺は、お前らに制服を着せて、紅茶を運んでもらうつもりだからな」

「え? そういう目的に使わないの! こんな私たち可愛いのに!」

「……」


俺は頭を掻いた。


「いいか、お前らは“おかえりなさいませ”って言いながら、笑顔で接客するんだよ」

「……ほ、ほう?」

「いいからついてこい。まずは住む場所探しからだ」


 三人は歩き出す。西の空に夕日が傾き、草原が赤く染まっていた。


「ねぇ、制服って可愛いの着るの? こう、ふりふりとか?」

「うん、黒と白のフリルな」

「ひええ、楽しみ~!」

「バカみたい……」


 けれど、そう言った少女も、ほんの少しだけ笑っていた気がした。


 俺は思う。


(大丈夫だ。メイドや、喫茶店の概念がない世界でも。絶対にあの服はウケる)


 未来を描くには、まず一歩。


「そういや、お兄さん、名前なんていうの?」


 ティナが隣を歩きながら首を傾げた。俺は少し照れたように答える。


「ユウト。桐原ユウト、って言う」

「ユウトかぁ。なんか、強そうな名前! ね、ラナ?」

「別に……普通でしょ」

「ラナっていうのか、お前は」

「ちっ……勝手に聞き出さないでよ。名前くらい、自分で言えるのに」

「はは、ごめん。でも、ラナとティナ、いい名前だ。どっちもメイド服が似合いそうなんだ」

「……バカみたい」


 けれどその頬は、夕陽に染まったのか、それとも少しだけ照れていたのか。


「住む場所、どうするの?」


 ティナが聞いた。


「当面は宿を探して、部屋を借りて、まずは生活の安定を優先する。次に店舗だ。いずれは改装して、カウンターとテーブル、それに厨房も用意して……」

「でもユウト、お金ないんじゃないの?」

「あ……」


 肝心なことを忘れていた。


「でも安心して! 私にいい考えがあるの!」

「そう……なのか?」

「うん! ティナに任せなさい!」


 その言葉を信じるとか、信じないとかではなく、それにすがるしかなかった。


「でも、接客ってどうすればいいの? 私たち、そういうの知らないし」

「大丈夫。教えるよ。ゆっくりでいい。笑顔の作り方から始めよう」


 その言葉に、二人は顔を見合わせる。

 まだ不安は拭えない。でも、その目に、ほんのわずかに光が宿っていた。


「よーしっ、メイドさんになるぞー!」

「……私は、やらされるんじゃなくて、自分の意思でやるから」

「はいはい……」


 風が吹き抜ける草原の先に、彼らの歩む未来があった。

 まだ何もない。でも、だからこそ——何でも作れる。


 それが、再出発の第一歩だった。


 まだ道のりは長い。でも、この出会いが、やがて世界を変える最初の一歩になる。


「おし、メイド喫茶開業計画、始動だ——!」

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