二十年

みたか

二十年

 ブレンドでいいか、とレジに並びながら考えていると、コウジがおれの手を取った。客がどっと入ってくる。ちょうど電車が到着したところなのだろう。駅前で時間を潰せるのは、このカフェくらいしかない。

「おれも同じやつ」

 コウジは五百円玉をおれに握らせて、窓際のテーブルに歩いていった。高校生のとき、おれたちがいつも使っていた席だ。覚えていたのか。ほんの少し頬が緩む。

 トレーを持って席に向かうと、景色を眺めていたコウジの目がおれに向いた。丸い形をした目は、コウジを年齢よりも幼く見せている。だからなのか、コウジはいつもしかめ面をしている。

「なあ、おつり」

「いらね」

「そう言うと思って買ってきた」

 コーヒーと一緒にトレーに載せてきたのは、チーズケーキだ。部活を引退後、塾の前によくここで時間を潰していて、そのときにコウジが食べていたものだ。腹減った、なんて呟くからサンドでも食べるのかと思ったら、持ってきたのがチーズケーキでそれが妙に面白かった。

「コウジ好きだったろ、このケーキ」

「おれだけ食うのかよ」

「じゃあ半分こする?」

「……やめとく」

 フォークの先がきつね色の表面に刺さる。先端はクリーム色の生地に沈んでいき、そっと皿から離れた。

 久しぶりに会ったコウジは、高校生の頃からあまり変わっていなかった。短く切った黒髪も、あの頃のままだ。

 学ラン姿のコウジと今のコウジが重なる。また二人でここにいるなんて、不思議な感じだ。

 監督が死んだ。高校でバスケ部を見てくれていた監督だ。あの頃はまだ若そうに見えていたけど、実際はおれの親父よりずっと歳上だったらしい。

 卒業して二十年間、おれはずっと監督に年賀状を出し続けていた。年賀状を出す人なんて他にいなくて、監督にだけ毎年送っていた。なんとなく、切ってはだめな気がしていたから。それで連絡がおれに来た。

 コウジと手を合わせに行ったとき、おれたちの顔を見て奥さんは涙ぐんでいた。遠いところからありがとう、あの人も喜ぶわ、と何度も言われた。おれは監督の写真を見て、心からほっとしていたというのに。

 あの頃の気持ちが甦る。間違ったことをしてはいけない。正しく生きなくてはいけない。そう思っていた、十八歳のおれ。

「おれ、ずっとバスケ部辞めたかったんだよ」

 声が震えた。喉がひりつく。コウジの手が止まる。ちら、とおれの顔を見て、視線をまたケーキに戻した。

 先輩から指名されてキャプテンになった。おれはやりたくなかった。でも断るなんてできなかった。強いチームではなかったけど練習はそれなりに厳しく、キャプテンをやりたいやつなんていなかった。やりたくないことを人に押しつけるなんて、おれには無理だった。キャプテンなんかやれる器じゃなかったのに。バスケ部を辞めたくて仕方なかったが、できなかった。おれには途中で辞めることも、弱音を吐くことも許されていなかった。そう育てられてきたから。

 昔から、親父の言うことは絶対だった。何が正しいか、正しくないか、親父の声で決まった。始めたことを途中で辞めるな、何があっても続けろ。弱音を吐くな、泣くな、耐えろ。そう親父は言った。強くあれ、というのが親父の考えだった。

 強くあるってなんだ? 親父の言う人間は、まるで嵐の中に立ち続ける岩みたいなやつじゃないか。それが本当の強さなのか? そう何度も思ったが、そこから外れることは許されなかった。おれは親父の望む人間にならなくてはいけなかった。

 監督に初めて会ったとき、逆らえない、と思った。親父の姿と重なった。見た目は違うのに、支配的な空気感が親父と似ていた。怖かった。期待外れだと思われたくなかった。監督が求めるキャプテンにならなくてはいけないと思った。

 ぜんぶ、投げ出したかった。

「……そう」

 コウジがこぼすように言った。いつものトーンで、なんでもなさそうに。

「気づいてた?」

「ん」

 そういえばおれがキャプテンになったとき、真っ先に副キャプテンを名乗り出てくれたのがコウジだった。目立つことはやりたくないタイプだと思っていたのに。

 上手く隠せているつもりだったけど、ずっとコウジにはバレていたのか。そう思ったら、気持ちを殺しながら生きていたあの頃が馬鹿みたいに思えた。

「ありがとな」

 声に出した瞬間、ふ、と肩の力が抜けた。ありがとう。その一言では言い表せないくらい、いつの間にかおれはコウジに助けられていたんだろう。今だって、二十年経って監督が死んで、やっと吐き出せた気持ちを、一言で終わらせてくれた。そのなんでもなさそうな感じが良かった。手のひらがじんじんと温まってくる。

 気持ちを吐き出したくて、でも吐き出せなかったあの頃。別に優しい言葉を求めていたわけじゃなかった。受け入れてもらえなくても良かった。ただこの気持ちのかけらを、おれ以外の誰かに受け取ってもらいたかった。おれの気持ちがここにあるんだと、確かなものにしたかった。

 あのときコウジにだったら、おれの気持ちをこぼせたのかもしれない。つらいとか、やりたくないとか、そんなおれの黒い気持ちを、「そう」の一言で終わらせてくれたのかもしれない。

 そう思ったが、コウジに申し訳ないような気もした。おれの感情を出したいだけ吐き出して、否定も肯定もせず受け止めてくれ、なんて、すごく身勝手なんじゃないか。おれはコウジを感情のゴミ箱にしたくない。だからやっぱり、これで良かったんだ。

「ありがとうって、なにが?」

「いろいろ。全部」

「ンだそれ」

 ぶっきらぼうな言葉すら、今のおれにはくすぐったい。太い眉に力が入ったのが見える。コーヒーを飲みながら睨んでくるコウジに何か言おうと思ったが、やっぱりやめておいた。上がりそうになる頬を誤魔化すために、コーヒーカップをそっと唇に当てた。



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