アナログで言葉を残すということ

翡翠琥珀

アナログで言葉を残すということ

 最近は、なんでもかんでもデジタルで文章を書いている人が多いと思う。

デジタルで文章を書いていると、アナログで文を書いていたときを忘れてしまうことがよくある。少なくとも、俺の中では。


「私は結構日記とか、アナログで書きますよ」


 そう言ったのは、俺と同じくらいの歳の女性だった。同じ会社の同期だ。


「なんか、アナログの方が心が落ち着くんですよね」


 女性はそう言って笑った。この女性は槻木つきのきさん。いつも笑顔でいて、癒される。


「手帳とか、日記帳とかに書きますよ」


 手帳や日記帳をいつも持っているのか槻木さんは。俺はそんなことはしない。というか、できない。いつも部屋が散らかっているし、失くしものも多いから、手帳や日記帳を買ってもすぐに失くすだろう。どうせ失くすのなら、出費が無駄になる。


「宮沢さんは、デジタル派なんですね。まぁ、好みありますもんね」


 槻木さんはそう言って、また笑顔になる。俺はこの人の笑顔を見ると、ほっとする。


「手帳や日記帳を持ってるなんて、几帳面なんだね。俺は失くしものとかすぐするから、少なくとも手帳とか日記帳は買えないなぁ」


 そう言って俺は力なく笑う。本当は手帳も日記帳も、あればいいとは思うのだが、

 日々の日記はアプリで十分だ。

 つくづく思うが、小さい板の中で全てが完結するスマホというものは恐ろしい。今や、映画もアニメも漫画も、娯楽は全てスマホにある。わざわざ本屋で本を買わなくったって、電子書籍で小説も漫画も読める。映画館に足を運ばなくても、サブスクで映画を見ることができる。音楽だって、音楽アプリをダウンロードすれば聴けるし、動画だって見放題だ。そりゃあみんながスマホに齧り付くのも頷ける。


「やっぱり、アプリとかで管理してるんですね。宮沢さんは」


 そう言って槻木さんは俺を称賛する。まぁ、今やデジタルが主流の世の中だ。

 俺みたいにアプリで予定を管理したり、日記を書く人も多いだろう。


「まぁ、俺みたいにアプリで日記とか書いてる人は多いと思うよ。逆に、槻木つきのきさんみたいな人の方が今は少数派なんじゃないかな」

「今って、もうみんなデジタルの時代ですもんね。スマホやパソコンは使いこなすのが当たり前、学校もデジタル化されて、iPadとか支給されてるみたいですし」


 そう。今は小学生だってスマホを当たり前に使いこなす時代なのだ。


「アナログ派の私は肩身狭いなぁ……ははは」


 そう言ってちょっとおどけたように見せた槻木さんは、心なしか悲しそうだ。


「でも、アナログってそんなに肩身狭くなる必要ないと思うけどなぁ。ほら、自分だけの気持ちとか想いみたいなのを書くことができるし。なんていうか、誰にも共有されない、自分だけの気持ち? っていうか……」


 俺は何を言ってるんだろう。槻木さんが悲しそうだったのでついフォローしてしまった。

 俺の戯言を聞いた槻木さんは、ぽかんと目を見開いてから、ゆっくりと微笑を浮かべた。


「……ありがとうございます。ちょっと勇気もらえました」


 そうお辞儀をした槻木さんの顔は、ちょっと晴れやかだった気がする。


 先ほど、俺はデジタル派だとか宣っていたが、俺も昔は鉛筆で紙に漢字やら計算やらしていた身だった。現代のデジタルに毒されているのか?


「まぁ、データ管理とかはデジタルでいいと思うんですけど。でも日記とか『誰にも見せないもの』は別にアナログでもいいんじゃないかな。その時の自分の気持ち、とかを大事にできるし」

「そうですよね……。あと、個人的には、私紙に書く時の鉛筆の感じが好きで……。

 分かります? えぇっと、ほらあの鉛筆が紙に当たる時のコツ、コツって音とか」


 なるほど、分かる。学生の時に、飽きるほど聞いた音だ。その音を思い出していたら、俺もちょっと紙に鉛筆で何か書きたくなってきた。


「あとは紙をペラペラめくる音とかも好きなんですよね。だから、日記とかTodoリストとかはアナログ派ですね」

「あぁ、俺もその音好きだわ。よくyoutubeとかで紙をペラペラめくったりするASMRの動画とかを聞いてるよ」


 俺がそう言うと、槻木さんはパァッと明るい笑顔になった。


「そうですよね! 私もその音が好きだからアナログで日記を書いたりしてる節はあります」


 まぁ音フェチという点では俺と槻木さんは似ているのかもな。


 お待たせしました、ブラックコーヒーですという声がして、俺は顔を上げた。

 槻木さんの目の前にブラックコーヒーが置かれた。


「そういえば、お話にすっかり夢中になっちゃってましたけど、ここのカフェ、素敵ですよね」


 槻木さんはそう言って周りを見回した。槻木さんにつられ、俺も見回す。暖色系の照明に、さっきまでは考え事をしていて気づかなかったが、ゆったりとした曲調の店内BGMが流れていた。


「そうだね。ここのカフェ、新しくできたって聞いた時には行ってみたいと思ってたけど。結局行ける時間がなくてさ。今日君が誘ってくれてよかった」


 槻木さんが俺を誘ってくれなかったら、結局行けずじまいだったかもしれない。そのことを考えたら、今日槻木さんがカフェに誘ってくれたのは運が良かった。


「良かったです」


 槻木さんはそう言って微笑むと、すっと俺の目を見た。


「あの……」

「お待たせしましたー、キャラメルカプチーノです」


 槻木さんの言いかけた言葉は、店員さんの介入によりかき消された。


「あ、ありがとうございます」


 俺は店員さんに軽く会釈してから、槻木さんに向き直った。


「今、何か言いかけてたみたいだけど?」

「あ、えぇと……実は」


 槻木さんは数秒宙に視線を彷徨さまよわせてから、意を決したように拳を固く握った。


「実は、私たちの会社の近くに、お洒落な手帳屋さんがあって……! 良かったら、行ってみませんか?」


 なるほど、手帳屋があるのか。さっきまでASMRの話をしていたのに、急に話題が飛んだな。

 まぁでも、俺は手帳とかはデジタル派って言ったけど、この機会にアナログの手帳を買ってみるのもいいかもしれない。せっかく槻木さんが誘ってくれてるんだし。


「いいね、行ってみよう」


 俺のその一言を聞いた槻木さんは、ホッと安堵した表情を浮かべた。固く握っていた拳も、力を緩めている。


「良かったです……! 本当に……!」


 なぜか槻木さんは泣きそうになっている。こんなに、手帳屋に誘うだけで泣くものなのか? 分からないな……。

 俺は困惑しながらも、一口カプチーノを啜った。キャラメルの甘味がほんのり効いていて美味しい。


「でも、手帳屋さんがあるってことは、手帳を書く人がいるってことだし、需要もあるってことだし」


 俺はさきほどの困惑を忘れようと、そんな話をした。


「そうですよね。なんだか安心しました」


 槻木さんはもうブラックコーヒーを半分ほど飲み終えていた。

 俺も早く飲まないと。


「なんというか、手帳って、ただ予定を書くだけのものじゃないと思ってるんです」


 槻木さんはボソリとそう呟いた。


「え?」


 コーヒーカップを持ち上げたまま、俺は槻木さんの顔を見る。


「手帳って、フリーページあるじゃないですか。マンスリーとかウィークリーとかのページと違って、最後の方に」

「あるね」

「あのページとか、自由に書くことができるんですよ」


 なるほど。そういえば前に俺もネットの記事か何かで、手帳のフリーページの活用方法を目にしたな。手帳を使ってる人は、みんなどういうふうにあのページを使っているのだろう? 試しに今槻木さんに聞いてみるか。


「槻木さんは、どういうふうに使ってるの?」

「私? 私はね、日記とかTodoリストとかに使ってます」


 槻木さんはそう言った。確かに、そういう活用方法はあるか。

 俺はカプチーノを飲みながら考えた。

 俺ならどんなふうに使うだろう。マインドマップみたいなやつを書いても面白いかもしれないな。なにか無性に手帳屋に行きたくなってきたな。

 俺は一気にカプチーノを飲み干すと、槻木さんに言った。


「槻木さん、このあと時間ある?」

「え? まぁ、時間はありますけど……。もしかして、今からその手帳屋さんに行こうと思ってます?」

「うん」


 槻木さんは、二回ほど瞬きをしてから、少し顔が曇った。


「その手帳屋さん、十時にはもう閉まっちゃうんですよね」


 今はもう九時だから、早めにカフェを出た方が良さそうだ。

 俺たちは会計をして、カフェを出た。



       *



「どんな手帳買おうかな……」

「私も買いたいです。常に手帳は使うので、ストックはしておきたいです!」


 夜の商店街は人通りが少なく、もう閉まっている店もある。民家の脇を通ると、

 小さくテレビの音がした。


「宮沢さんは、どんな手帳を使おうと考えてるんですか?」

「うーん、俺は無難なやつでいいかな」

「えー、もったいないですよぉ。せっかく手帳を買うのなら、少しこだわったらどうですか?」

「そう言われても……」


 手帳は普段使わないからなぁ。なんの柄がいいとか、想像がつかない。


「黒い表紙とかカッコ良さそうだし、宮沢さんに似合うと思いますよ」

「そうかな」


 まぁぶっちゃけ色はなんでもいいのだが。ていうかここまできてしまったが、本当にいいのだろうか。俺は失くしものの癖がひどいし、今日買ったとしてもどうせすぐ失くすに決まっている……。


「どうしたんですか、ちょっと浮かない顔して」


 槻木さんが俺の顔を覗き込んで心配そうにそう言った。


「いや、俺手帳買っても失くさないかなと、ふと気になって……」


 俺はそう呟いた。槻木さんは俺の返答を聞くと


「まぁ、確かに手帳はかさばったりしますもんね……。もういっそのこと、

 肌身離さず持ち歩くとかはどうでしょう」


 と言った。

 肌身離さず持ち歩くのか、まぁ確かにそうすれば失くす心配とかはないな。


「私はいつもそうしてますよ。会社にも持って行ってます。それに、メモ取る時は

 手帳のフリーページなんか使ったりして……あ、さっき言い忘れてたけど会社でのメモ帳も兼ねてるんだった」


 槻木さんはそう恥ずかしそうに言うと、口を抑えた。

 確かに会社でメモ取る時は便利かもしれないな。それに、いつも会社に置いとけば失くす心配もないし……。決めた、俺の手帳はいつも会社に置いておくことにしよう。

 俺はそう決意した。


「あ、話してたら着きましたね」


 槻木さんの声に顔を上げると、手帳屋はすぐ目の前にあった。



       *



「結構いろんな手帳があるんだな……」


 ざっと店内を見て回っても、百冊はあるんじゃないかと思うくらい、数が多い。

 まぁ手帳屋と謳っているくらいだから当然この量はあるか……。

 可愛らしい花柄の手帳に、有名キャラクターのイラストが載っている手帳なんかもある。猫型の手帳という変わり種から、マンスリータイプやウィークリータイプの王道な手帳まで、様々な種類がある。


「結構色々な種類があって、ワクワクしちゃいますよね! 私はどんなやつにしようかな!」


 槻木さんはすごくウキウキとしている。カフェにいた時より、この店にいる方が幾分かテンションが上がっているような気がする。気のせいかもしれないが。


「マンスリータイプもウィークリータイプも一通り持ってるから、今回は変わり種に挑戦してみようかな」


 人が少ない店内では、槻木さんの独り言がよく聞こえる。

 手帳のことになると、ほんとうにテンションが上がるなこの人……。


 まぁ、俺は自分の買い物に専念するか。さっき、槻木さんに黒い手帳似合いそうだと言われたし、とりあえず黒い手帳でも探すか。


「私、決めました! この猫ちゃんの形の手帳にしました!」


 槻木さんはそう言うと、猫の形の手帳を握りしめた。


「あ、早いね。俺はまだ決まってないや」


 俺はそう呟き、目の前にあった黒い表紙の手帳を手に取った。


「これにしようかな。シンプルだし」

「いいじゃないですか! シンプルだけど結局こういうのが一番使いやすかったりしますし」


 槻木さんに促され、俺はこの手帳を買うことに決めた。まぁ最初はこういうシンプルなやつがいいだろう。


 俺と槻木さんは会計を済ませて、手帳屋を出た。


「良かったです、珍しい手帳が買えて!」

「槻木さんの猫の手帳、面白いね。あんな形してるんだ」


 俺は槻木さんが手に持っている手帳屋の袋を見ながら言った。


「この猫ちゃんの手帳も可愛いので、使うの楽しみです!」


 槻木さんの身体から、ルンルンという擬音が聞こえてきそうだ。


「良かったね。俺も明日からこの手帳使うの楽しみだな」


 俺はそう言ってから、ふと槻木さんの”あること”を思い出した。


「そういえば、槻木さん……」

「ん? どうしたんですか?」

「さっき、カフェで俺が手帳を買いに行こうと答えた時、結構感情的になっていたというか……。あれ、なんだったの?」


 俺は思い切って聞いてみることにした。槻木さんが泣きそうな顔をしていたが、あれはなんだったんだろう。


「あぁ、あれですか……。ごめんなさい、私ちょっとさっきの手帳屋さんが気になりすぎて、行ってみたいとは思ってたんですよ。でも、一緒に行ってくれる友達もいないので、宮沢さんが来てくださればいいなって思って……」


 槻木さんは恥ずかしそうに理由を説明した。なるほど、そういうことだったのか。

 でも、そもそも手帳屋なんて一人で行けば済む話だろう。


「なんで俺を誘ったの?」

「やっぱり、一人で行ってもいいんですけど、せっかくならデジタル派の宮沢さんを

 アナログに引きずり込むチャンスだと思いまして……」


 そう言った槻木さんの目は爛々と光っている。あ、これは本気マジの目をしている……。


「なるほど、そういう思惑があったわけですか……」

「はい!」


 俺が呆れ半分で言うと、槻木さんは元気よくそう言った。

 なんという信念だろう……。俺が手帳を買うのも想定していたのだろうか。

 だとしたらすごいな。


「まんまと騙されましたよ、ほんとに……。この手帳は、早速明日から使ってみます」

「ほんとですか〜!? 嬉しいです!」


 俺は槻木さんの嬉しそうな声を聞きながら、夜の道を歩いた。

 月が優しく俺たちを照らしてくれている気がした。





























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