第8話 王太子
実家でのひとときを過ごしていると、お父様から呼び出された。
いわく、王城に登城するぞ、とのこと。
なぜだろう。
基本的に貴族令嬢というのは、登城はしない。
なぜなら、役職を持っていないからだ。
王城は行政施設であり、社交要素はあるものの社交の場そのものではない。
政治と行政の施設なのだ。
だから、私自身は登城できる身分ではない。
夜会や舞踏会なら、また話は別なのだが。
「王妃様に、今回の釈明をせねばならん」
ということだった。
言わずもがな、王太子殿下との婚約を断った件だ。
王妃様は王太子様を溺愛しており、できれば恋愛結婚して欲しいと思っている。
前回の人生で私が王妃になれたのは、王太子様の要望だけでなく、王妃様の後押しがあったからだ。
「それは……避けられませんね。わかりました」
「では、二日後に登城するからね。準備をしておきなさい」
今回の人生では縁もゆかりもないが、前回の人生では結婚を後押ししてくれた義理がある。
一方的な義理立てだが、こちらの不義理に頭を下げないのは、私の女が廃る。
仕方ない。面倒だけど、怒られてこよう。
******
「それで、どういった原因があるの?」
謁見の間での尋問は避けられた。
私の前に相対するのは王太子殿下の実母。
現王サイライン陛下の正妃、ミロネス妃殿下だ。
相変わらずたわわなものと、とんでもない色気をお持ちである。
さすがこの国一番の美姫。
子を産んでもなお、いや増す色気は、小娘の私じゃ太刀打ちできんわ。
そんな色気の固まりに対面で向かい合い、応接の間で私は今、尋問されている。
なんたる眼福。いや、そんな場合でなくて。
「わらわの息子の、何が不満だったのかしら、エリシア嬢?」
「いえ、王太子殿下に不満はありません。不満があるのはむしろ、私に、でして……」
そう。不満はないのだ。
この王妃の息子だけあって、王太子殿下は、眉目秀麗、しかも文武両道。
非の打ち所のない才覚と実力と容姿をすべて持っている。
「王太子殿下には、私などでは釣り合わないというか……私風情より、もっと良いお相手がいらっしゃるもの、と存じます」
「そう。……貴女は、そう思っているのね」
王妃様が静かに目を伏せる。
それは、私の正確な自己評価なのだ。
思い込みではない、実際に一度前回結婚して失敗しているのだから。
この結論だけは、覆せない。
「……自信があるのに、自信のないことを断言する。残念ね。貴女のような人に、あの子の側にいて欲しかったのだけど」
「王妃殿下。恐れながら、それはどういう意味でございますか?」
同席していたお父様が、身を乗り出して尋ねる。
王妃様は机の上の紅茶を口にして、答えられた。
「あの子は優れている。器用に何でもできる。……だからこそ、できないことを『できない』と教え、諫める相手が必要だと思ったの。あの子に負けない、意志の強さを持つ子が」
と、王妃様はため息をつかれた。
そんなことを思っていてくれていたのか。
前回も、王妃様は王妃様なりに、私のことを認めてくれていたのね。
「……そういうことのようよ、テルヴォルド」
「……ありがとうございます、母上」
応接の間の扉が開き、隣の部屋から、申し訳なさそうにその人が出てくる。
私が婚約をお断りした、このストナーク王国の王太子。
テルヴォルド・ダナス・ストナーク王太子殿下、その人だ。
隣の部屋で話を伺っていたのね。
この応接の間は、そういうことができる造りになっている。
密談には向かないけど、その代わりに安全性が確保できる形になっているのだ。
王太子殿下は、すまなそうに顔を伏せた。
「すまない、エリシア嬢。僕はきみのことが忘れられず、こういう形で話を聞かせてもらったんだ」
「お気になされないでください、王太子殿下。理由も告げずに不遜な返答をしたのは私の方です。お心は、私にもわかります」
ふ、と王太子殿下は、はかなげに表情を緩めた。
「そう言ってくれると、嬉しいな。――エリシア嬢、我が求婚を受け入れてはもらえないのか? 僕にとっての伴侶は、きみ以外に考えられない」
「そうおっしゃっていただけるのは嬉しいですが」
私はそれでも断りを入れる。
王国を『また』滅ぼすわけにはいかない。
「テルヴォルド。ここに座りなさい。……良い機会だから、ゆっくり話せば良いわ」
「……はい、母上」
テルヴォルド殿下が私の前に座る。
私は何も言うに言えず、目をそらしていた。
「……エリシア。僕では、きみにふさわしくないだろうか」
「逆ですわ、殿下。私が、貴方様にふさわしくないのです」
戸惑う王太子殿下の質問に、私は素直に答えるしかない。
私では、ダメなのだ。
もっとこの国を支えられる、強い貴族があなたの相手でなければ。
「僕は、きみの明るさがまぶしい。きみの、奔放さがうらやましい。きみの側にいると、僕までが照らされて、明るく生きられる気がするんだ」
「殿下が私を好ましく思ってくださるのは、光栄なことです。ですが、王族の婚姻には家格というものが必要になります。私では、それが不足しています」
私の率直な言い分に、殿下は言葉を失ったようだった。
王族は、個人ではない。公人だ。
私情だけで婚姻相手を決めれば、それは国に禍を招くことになる。
前回の私が、そうだった。
「僕ときみは、結ばれないのか……?」
「ええ。私の生まれでは、どうしようもないのです。殿下、国のために、ご理解ください」
その私の言葉に、ミロネス王妃が、ほぅ、とため息をついた。
そのまま彼女は、呆れた声を私に向ける。
「真面目ね。言ってることはしごくまともだけど、あなたの歳と立場ならば、もう少し浮かれるものよ。てっきり、娘になるかと思っていたのに……家のしつけが、行き届いているのかしら」
家のしつけ、というよりは人生経験でしょう。
前回の私は、まさしく、浮かれるままにあなたの義娘になりましたから。
「殿下には、もっとふさわしい家系の相手がいらっしゃいます。ですので、これ以上この話は、どうかご容赦を」
「……残念ね。筋が通っているわ、中級貴族のローゼ伯爵家だと、結婚させるには無理を通しすぎかねないもの」
現状でも、王国内は一つにまとまっている、とは言いがたい。
前回に殿下が倒れた後、私が権力を握れなかったのはそのせいだ。
この国には、多数の派閥がある。
「今は王家の力で無理矢理に国内を治められても、次代の王妃にその権力がなければ、王国は割れます。それは、私の望むところではありません……ご理解を」
「そうね。最近も、一部派閥から不穏な噂を聞いているしね。……貴女がそう言うんだったら、無理強いはできないわ」
王妃様の言葉に、殿下はうなだれた。
個人の関係ではなく、立場的に芽がないことを悟ったんだろう。
その日の話し合いは、そこまでだった。
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