アイテム至上主義:NEO TOKYO ECLIPSE

みんと

プロローグ

 


 世界は、壁の内と外で嘘をついていた。


 俺はずっと眠ったように生きてきた。


 ――この力を手にするまでは。


 

 ◆ ◆ ◆


 

 ガリッ、という鈍い手応えと共に、ツルハシの先端が硬い岩盤に弾かれた。

 

(クソッ……! また硬い層か……!)

 

 俺、日下部くさかべレンは、額から流れ落ちる汗を手の甲で乱暴に拭い、再び古びたツルハシを振りかぶる。

 

 ここは、世界一の巨大企業ジオテック社が管理する地下労働施設の《第零区画》――その最下層に位置する、旧時代の廃坑を利用した低級魔石の採掘ダンジョン。薄暗く湿った空気には、鉄錆とカビの臭いが混じり合い、時折遠くで岩が崩れる不気味な音が響く。

 

 俺たち「無能」の烙印を押された奴隷労働者は、こんな場所で来る日も来る日も、ただ死なない程度の栄養ペーストを啜り、魔石を掘り出すだけの毎日だ。首に嵌められた冷たい金属の輪――奴隷の首輪スレイブカラーが、俺たちの運命を常に思い出させる。


 その時だった。

 俺が掘っていた岩壁のすぐ脇、小さな亀裂の奥から、ぬるりとした感触と共に、半透明の何かが這い出してきた。

 

「スライム……!? なんでこんな場所に……!」

 

 それは、周囲の鉱物を取り込んでいるのか、体表が僅かに硬質化し、鈍い光を放つ「鉱石マイナースライム」と呼ばれる種だった。本来なら、D級ハンターですら鼻で笑うような最弱クラスのモンスター。

 

 だが、今の俺にとっては――。

 

 鉱石スライムは、その不定形の体をうねらせると、真っ直ぐに俺へと向かってきた。

 

「くそっ、他の奴隷たちは気づいてない……! 俺一人で、これを……なんとかしないと……!」

 

 俺は咄嗟にツルハシを構え直し、スライムの核があるであろう中心部を目掛けて叩きつける。しかし、刃こぼれしたツルハシは、スライムの弾力のある体表に浅く食い込むだけで、決定的なダメージを与えられない。

 

 逆に、スライムの体当たりを受け、俺の痩せこけた身体は簡単に吹き飛ばされ、壁に叩きつけられた。

 

「ぐっ……!」

 

 肺から空気が押し出される。スライムは容赦なく俺にまとわりつき、その弱酸性の体液が、ボロ切れ同然の作業着をジリジリと溶かし始めた。

 

「ダメだ……攻撃力1のツルハシじゃ、こいつの核を砕けない……! このままじゃ、やられる……! スライム一匹に、俺は……!」

 

 屈辱と恐怖で、目の前が真っ暗になりかけた、その時だった。

 

「おい、何をもたついている、D-78-890!」

 

 聞き慣れた、高圧的な声。巡回中のC級看守が、俺の無様な姿とスライムを一瞥し、盛大に舌打ちした。

 

「チッ、この程度の雑魚も処理できんのか、この“無能”が。手間をかけさせやがって」

 

 看守は、腰に提げた最新鋭のプラズマガン――ジオテックが管理するダンジョンで、その「秩序」を維持するための強力なアイテム――をこともなげに取り出すと、その銃口をスライムに向けた。

 

 一瞬の閃光。

 

 けたたましい破裂音と共に、さっきまで俺を追い詰めていた鉱石スライムは、跡形もなく蒸発していた。

 

 俺は、助かった安堵よりも、その圧倒的な力の差を見せつけられたことによる強烈な屈辱感と、自身の無力さへの絶望感に打ちのめされていた。

 看守の強さは、彼自身の技量や努力などではない。ただ、その手に持つ「良いアイテム」が生み出した結果に過ぎない。

 

(アイテム……。結局、この世界はそれだけなんだ。力も、価値も、生きる権利すらも、全てはどんなアイテムを持っているかで決まる……。俺みたいな“持たざる者”は、スライム一匹にすら、こうして……!)

 

 看守は、そんな俺の心情など気にも留めず、「作業効率低下、ペナルティ追加だ」と冷たく言い放ち、去っていった。

 

 後に残されたのは、プラズマガンによって焦げ付いた岩肌と、俺の心の奥底に刻まれた、アイテム至上主義というこの世界の絶対的な理不尽さだけだった。


 ――そんな絶望が日常である《第零区画》の遥か頭上には、全く別の時間が流れていた。



 

 

 西暦20XX年、メガロシティ「ネオトーキョー」。

 かつて世界を襲った未曽有の厄災――通称大侵攻グレート・インカージョン――によってダンジョンが世界各地に出現してから、既に二十九年の歳月が流れていた。


 夜空を切り裂くようにそびえ立つ超高層ビル群の壁面には、巨大なホログラフィック広告が万華鏡のように明滅を繰り返す。そのほとんどが、世界最大企業にしてネオトーキョーの支配者、《ジオテック社》のロゴを誇らしげに掲げていた。最新鋭のアイテム、ダンジョンから採掘されるエネルギー資源、そして、それらを独占的に管理・供給することで都市の生命線を握るジオテックの名。


 街の中心部に位置するジオテック・タワー前の巨大イベントプラザは、今宵も熱狂的な市民(その多くはジオテック社員とその家族で構成される)で埋め尽くされていた。ステージ上の巨大スクリーンには、ジオテック社の若きカリスマ社長、戒葉かいばジオの精悍なマスクが映し出され、彼の力強いメッセージが会場に響き渡る。


『――諸君! 二十九年前、我々の世界はダンジョンの出現と共に一変した! 旧時代の国家は機能不全に陥り、人々は混乱と恐怖に怯えた! だが、我々ジオテックは、その混沌の中から立ち上がり、秩序と、そして何よりも「力」を示したのだ!』


 会場から、割れんばかりの歓声と拍手が沸き起こる。スクリーンには、ダンジョン出現初期のパニック映像から一転、ジオテック所属のS級ハンターたちが最新アイテムを駆使してモンスターを討伐し、都市を防衛する勇姿が映し出される。


『アイテムこそが力! アイテムこそが秩序! アイテムこそが未来! 我がジオテックは、その真理を誰よりも早く理解し、ダンジョン資源の安定供給と、より強力なアイテムの開発によって、このネオトーキョーを世界で最も安全で豊かな都市へと変貌させたのだ! もはや、古びた国境線や、形骸化した国家機構に意味はない! 真の力を持つ企業こそが、人類を導くのだ!』


 戒葉ジオの扇動的な演説に、群衆は陶酔したように再び熱狂する。

 彼らが手に持つ情報端末には、ジオテックが管理する安全なダンジョンへの入場許可ランクや、配給されるアイテムのグレードが誇らしげに表示されている。それが、この都市における彼らの「価値」の証明だった。


 煌びやかな光に包まれたプラザ。その熱狂を、少し離れた場所から冷ややかに見つめる影が、いくつかあった。の外から来た人間か、あるいはこのシステムに馴染めない旧世代の人間か。彼らの声は、巨大な企業の喧騒の前には、あまりにも小さかった。


 20XX年。

 世界はダンジョンを中心に再編され、富と力は国ではなく――巨大企業に集中していた。

 人々はその恩恵と、見えざる支配の下で生きる。

 光り輝くアイテムが全てを定義するこの時代――その光が強ければ強いほど、影もまた、深く濃く広がっていく。


 このアイテム至上主義と企業独裁が完成された世界の、光り輝くネオトーキョーの、その最も暗く、最も深い影の一つ――地下労働施設第零区画

 そこに、名もなき奴隷として、スライム一匹倒せぬ無力感に打ちひしがれる一人の少年がいた。


 彼の名は、日下部レン。


 これは、そんな彼が、たった一つの“規格外”との出会いをきっかけに、偽りに満ちた世界の理不尽に抗い、全てを覆していく物語の……まだほんの序章である――。

 



―――――――――――

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