第5話

 ──俺は7歳になった。

 前世なら小学校に通い始める頃だ。


 ある春の日、朝起きて自宅のリビングに行くと兄のアインと父のジアイザが居た。

 母のアルファールは庭の畑を整備しているだろうから、それは良いとしよう。


「……その、父さん。なにこれ?」 


「おぉ、ソールか。なんだ、気にするな」


「気にするなって……」


 アインの両腕が包帯でグルグル巻きになっていた。彼は今年で12歳。

 普通なら学園に通う年齢だが、彼は騎士爵家の長男として跡を継ぐ予定だ。


「兄さん……またエステルにイジメられたの?」


「イジメられてねえよ!」


 若干涙目のままに叫ぶアイン、残念ながら説得力は無い。


「挑まなきゃ良いのに……」


怪我するって分かってるんだから。


「年下の女の子に負けっぱなしで居られるか!」


 このやりとりこの世界に転生してから何回やってるんだろ。冗談抜きで百回は超えてる気がするな。


 アインはこの年になっても相変わらずエステリーゼにボコられている。


 エステリーゼはしばらくは手加減を覚えるのだが、たまに急成長して加減が上手くいかなくなる。


 急成長っていうのは比喩でもなんでもない。

 普段は年齢に似合わない幼さをみせるのだが、ある日突然心身ともに年齢に追いつき、時々追い抜く。


 そんな事を半年周期くらいで繰り返す。


 おそらくは龍の血に由来する人間とは若干違う成長の仕方をしているんだろうが、驚くべきはそれに伴って剣術や学術においても一気に成長すること。


 どうやら、それまでに蓄積していた技術や知識が一気に吸収されて身になるようなのだ。


 そうなるとアインは迫っていた筈の実力が一気に遠のき、エステリーゼは手加減できなくなるのでこうして大怪我をすることになる。


 俺はエステリーゼと「誰かを怪我させたらその日は会わない」という約束をしているので、今日彼女は部屋で大人しく反省してることだろう。


 アインとの特訓か俺と会うとき以外、基本的にエステリーゼは部屋に籠っているようだから。


 同年代の友人は学園に通うまで諦めるしかないのは仕方ないにしても、そういう時くらいは家族と時間を過ごせばいいものを。


「でも母さんが一週間は安静にするしかないって。う〜……くそっ、こんなんじゃいつまでもエステルに追いつけない」


 その傷を一週間で治すのはおかしいんだよ。


 ジアイザに“練気”を教わってからというものずっと訓練しているアインは、それを利用して自己治癒能力を高めて怪我や疲労からの回復を高める術を身につけた。


 彼に聞こえない場所でジアイザは「あいつやっぱ天才だな……」と感嘆していた。


 アインはエステリーゼに勝つまで止まらない。

 どれだけ褒められても「まだまだ!」と訓練を続けるので別にそれくらい直接言ってやればいいのに、と俺とアルファールは苦笑いだ。


 長男の成長が著しいからか、ジアイザも本格的に最近は自主鍛錬をするようになっているので、軽くライバル視してるのかも知れないな。


 俺もジアイザに剣術の訓練はしてもらってるけど、年齢が年齢なのでまだほどほどに抑えている。


 そこでアルファールに聞いて少し驚いたのが「魔力を持って生まれたのに武術の鍛錬をするのは珍しい」という話。


 確かにとは思う。その反面、俺にとっては何でもやったほうが得なのだ。


 なにせ、俺が剣でもなんでも鍛えればそれだけ、もう一人の自分も力をつけていくわけだから。

 ちょっと違うけど、まあ実質的な分身能力。自分のできることを増やさないでどうするって話だ。


 でも俺、普通の人たちの魔力ってそんなに使い勝手良いと思えないんだよな。


 必ず精霊への呼び掛けが必要になるから、口を塞がれたり喉や肺を潰されてしまえば使えないし、人によって射程距離や範囲もほぼ固定されている。

 それらは訓練でどうにかできるものではない。

 

 少しでも使えなくなったら、戦場でどうすんのかね。

 俺は出しっぱなしでも、一緒に成長していくから気にならないけど。


 ……というか、俺もう戦場に行くことになってんのかな?


 両親ともにそういう技術を育んで生きて来た人だから、家系的にそうなるのは仕方ないのかも知れないけど。

 何気に剣術と魔力の訓練を5歳からやってるって、貴族の中でもエリートな方だからな。


 忘れちゃいけないのは、別にここはそこまで危険な世界じゃないこと。


 前世で見ていた物語みたいにめちゃくちゃ強い魔獣が存在するわけでもないし、冒険者みたいな職業も無い。

 最近で一番大きなニュースなんて、皇帝の第二皇子が産まれたことくらいだ。

 これで息子二人、娘六人になる。世継ぎ候補が皇帝は安堵したらしい。


 あとは稀に国家間の小さな争いが時々有るらしいが、この辺りでそんな事はまず起こらない。


 俺が生まれる前は帝国は隣国と戦争していたらしいけど、その隣国は今そんな場合ではないようだ。


 つまり現帝国は至って平和だ。それこそエステリーゼのような怪物の存在が、公爵家の手にも余るくらいに。


 そんな事を考えながら朝食を食べていると、不意にエステリーゼのことで思い出したことがあった。


「あのさ、父さん」


「なんだ?」


「俺ちょっと前に初めて知ったんだけど……エステルって双子だったの?」


「おぉ……熱っ!? って、お前なんでそれ知ってんだ」


 ジアイザが明らかに動揺を見せてお茶をこぼした。

 布巾を手渡しながら、俺は先日のエステリーゼとの話を思い出す。


「エステルが話してたんだよ。小さい頃に妹を怪我させた記憶を思い出したって」


「マジか……」


「気のせいじゃなかったら……公表してないし、妹のことエステルにも隠してるよね」


「ああ、そう……だな」


 ジアイザがどことなく深刻そうな顔をするので、俺は小さくため息をこぼした。


「……別に責めようとか考えてないよ。事情がなきゃそんな事しないのは分かるから。エステルも追求する気はなさそうだしさ」


「まさか、エステリーゼ様が覚えてるとはなぁ。怪我させたなんて話、0歳だぞ……」


 よく分かんないのは全部、龍の血が作用してるって思っとけば良いんじゃない?

 エステリーゼの場合は。


 たまに赤子の頃の記憶があるって人も居るらしいけど、エステリーゼに関しては突然思い出したって話だったからちょっと違うようにも思うしさ。


「……で、その妹さんは今どうしてるの? もう亡くなってるとか?」


「いや、生きてる。元気かは知らんが……生きてる筈だ」


「なら公爵家の娘として公表してないってことから察するに……。公爵家で娘として育ててる訳じゃないんだよね?」


 となると、どういう線が考えられるかな。

 真っ先に思いついたのは……。


「なにかしらの理由で公爵家の娘としての価値を無くしたから売り払われた……とか」


 そこまで俺が言うと、ジアイザはおおよそ息子に向けるような類いではない視線をこちらに向けてきた。


「ジル、予想でもそんな事、口にするもんじゃない」


 それはどちらかと言うと、戦場で敵に向ける瞳だ。

 自分でも理由は分からない。

 ただ俺は、その瞳に対して睨み返し、話を続けた。


「……ただでさえエステルを育児放棄してるくせに、その妹には口にできないような所業してんの?」 


「ジルロード」


「それさ、英雄とかなんとか言われる貴族がやることなの? 今のご時世で口に出せない事って、相当なんだけど」


「……」


 こちらに向けた視線はそのまま、口をつぐんでしまったジアイザに、俺はまたため息をこぼした。


「……わかってるよ、父さんに言っても何も起こらないってのは。ただの愚痴だから、忘れて」


「ジルロード、お前が聡明なのは嫌ってほど感じてる。でも、子供が踏み込んでいい話には限度があるってのは覚えておくといい。それと、俺たちみたいなのは、貴族のいざこざに首突っ込むのは止めとくべきだ。身の丈に合わん」


「それは……。肝に銘じておく。俺も別に貴族の面倒に首突っ込む気はないから」


 だからさ?

 エステリーゼの世話役、誰か変わってくれないかな。

 そうすれば俺もう貴族の話なんて全く気にしないで楽に日々を過ごせるんだよね。


 可愛い幼なじみってだけなら聞こえは良いけど、その前にあいつ規格外の力は持ってるからさ、日々成長されると俺の手に余るんだよね。


 なんて、考えて俺は朝食中に三度目のため息を吐いたのだった。

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