面倒な先輩の断り切れない飲み①

 その翌日のこと。


「聞いたぞ佐藤」

「えっ、こわ。何すか。何を聞いたんすか」


 向山田さんである。

 気持ち華やぐ金曜日にあまりかかわりたくない人間である。いや、嘘。どんな日でも極力かかわりたくない。俺の馬鹿。どうしてこんな時間にコーヒーブレイクしようと思ってしまったんだ。面倒なやつと出くわしてしまったじゃないか。


「お前、キャリアアップ研修に行くんだって?」


 ちょっと待て。昨日の今日で何でもう知ってんだ。カマをかけるにしても内容がピンポイント過ぎる。


「え、と。誰から聞いたんすか」

「事務の真奈美ちゃんだよ」

「あの、女性社員のこと下の名前で呼ぶのあんま良くないすよ」

「仕方ないだろ、高橋が三人もいるんだから」

「そうですけど」


 あるだろ、『事務の高橋さん』とかそういう表現が。


「そんなこたぁ良いんだよ。真奈美ちゃんがお前の出張申請を処理してるとこ見たんだ」

「はぁ……」


 じゃあ『聞いた』は嘘じゃねぇか。


 面倒臭いやつにバレてしまったとは思ったけど、高橋さんは責められない。だって別にコソコソすることでもないもんな。彼女にしてみれば数ある業務のうちの一つだ。でも、あのね、個人情報って言葉知ってるよね? もうちょっと配慮とかしてほしかったかな。それに普通ならそこまでじろじろ見なければ気付かないはずなのだ。つまりこいつは、事務の女性社員の手元をじろじろとガン見しているのである。どちらかといえばそっちの方がおかしい。それに研修期間は二週間もあるのだ。その間の仕事はどうしたって課内の人達に割り振ることになるわけだし、どっちにしろ早晩バレるんだけど。


「お前、俺より偉くなるつもりか」

「いや、どうでしょうか」

「そういうことだろ? ええ? 佐藤主任か? 佐藤係長かよ、おお?」

「いきなり係長は無理じゃないすかね」

「ぐおおお、チクショウ! 何だよどいつもこいつもよぉ!」

「仕事しましょうよ」

「くそっ、真面目ぶりやがって」


 真面目ぶってるんじゃないんです。実際真面目なんです。それだけが取り柄なんでね。いや、そこまで真面目なわけでもないけどさ。


 昨夜、課長から齎された『朗報』というのがそれだったのだ。

 俺がマッチョのインストラクターとパリピのデザイナーに勝てる要素、それはズバリ安定である、と。


 そこで課長が提案して来たのが、その『キャリアアップ研修』への参加だった。これは希望すれば誰でも参加出来るというわけではない。上長からの推薦がなくてはならないのである。課長が飲みに誘った理由も、実はこれだったのだ。俺の悩みを聞くのと、それから研修への誘いだ。昨夜は、偉くなってたくさん稼ぎ、彼女(予定)を安心させてやれ、という話で決着が着いたのである。


 けれども、上に行ったら行ったで不安もある。異動である。もちろん平でも異動はあるのだが、偉くなれば本社勤務への道が開けるのだ。まぁ出世コースだろう。ただし、本社は名古屋だ。はっきり言おう、俺は東北を出たくない。東北を、というか仙台を出たくない。東北へ愛着があるのもそうだし、それに、正直なところ、やっぱり俺は多希と離れたくないのだ。


 これまでまぁまぁ平々凡々に生きて来て、それはサラリーマンになっても変わらず、毎日毎日これといった楽しみもなくただただ会社と家を往復するだけだった。そんな単調な日々が、一気に変わったのだ。たまたまSNSのタイムラインに現れた、たった一つの、あの投稿で。それからずっと俺は、たぶん毎日が楽しい。一日一日を見れば楽しくない日ももちろんあるけど、頭の片隅に、『金曜は多希の飯』がある。それが活力になっているのである。


 出来ればずっと、良い関係でいたいと思う。

 単なるメシ友のままでも良い。けど、もし、その先もあったら、もっと良いかもしれない。そんなことまで考えてしまっている。だから俺は、仙台ここを離れたくない。


 ――とまでは言っていないのだが、課長は俺の好いた相手が下宿を営んでいるという情報から、俺が異動に難色を示していることに気が付いたらしい。わかるぞ、と肩に手を乗せて深く頷いてきた。えっ、何がわかるんすか。思わずそう返した俺に課長はこっそりと耳打ちしてきた。


「あのな、我が広報課には異動を極力回避出来る『裏技』があるんだ」

「う、裏技?!」


 思わず声が上ずる。すると課長が、しぃー、と人差し指を口に当て、きょろきょろと辺りを見回し始めた。かなり芝居がかった動きだ。たぶん課長も酔っているのだろう。


「ただ、これは俺の口からは言えないんだ。これは本社の人事部じゃないと」

「本社の。てことは」

「そうだ、研修で直接聞くしかない。ほら、RPGなんかでもあるだろ、正規の手続きを踏まないといけない場所とか、手に入らないアイテムとか。ああいう感じだ。それも含めて極秘情報なんだ」

「ま、マジすか。そんなんあるんすか、ウチの会社」

「ある」

 

 だから、安心して研修受けて来い! と背中を押されたのである。

 それで、朝イチで渡された申請書に必要事項を記入し、事務の高橋さんに渡したところ、何を嗅ぎつけたか、早速向山田さんにバレたと、そういうことなのだった。ハイエナかよ。どうなってんだ。


「お前今日付き合えな」

「は? 嫌ですよ」

「だーめだ、決定。もう決定。ここ最近ずっと付き合いも悪いし、駄目。もうメンバーに入れた」


 言うなり尻ポケットからスマホを取り出し、誰かへメッセージを送っている。


「ちょ、ちょっとぉ!」


 今日は金曜なのに!

 せめて別の曜日だったら(それでもかなり嫌だけど)良かったのに!

 今日肉じゃがなんだぞ! とは言えないけど。絶対「彼女か?!」って面倒なことになる。


「はい。決定。他課のやつもいるから」

「はぁ?! 他課って」

「大丈夫、お前も知ってる。同フロアだし。てか広報課だし」

「ま、まぁ、確かに広報課あそこならほぼ知り合いですけど」

「店は良い感じのトコ予約してるから、安心しろ」

 

 けれどもこうなると向山田さんこの人は面倒臭いのだ。首を縦に振るまでしつこいし、断り切ったとしてもその後の仕事に差し支える。向こう一週間くらいは態度に出るだろう。本当に面倒臭い人なのである。もう仕方がない。残念過ぎるけど仕方がない。


「あの、マジでこういうのマジでこれきりで勘弁してください。俺にも予定があるんです」

「は? んだよ、彼女か」

「いや、そういうわけではないですけど」

「だったら良いじゃん」

「良くないんですって」


 何で伝わんねぇんだろ、この人。そういうところだぞ、出世しねぇの。いやでも、それは俺もか。俺がこのまま平であり続けたら、俺はこの人と同じになるのか。マジで心外ではあるけど、後輩からそう見られてしまうのか。そう考えると、やっぱり研修は受けておいた方が良いな。


 無理やり約束を取り付けた向山田さんは飲み終えたコーヒーの紙コップをゴミ箱に放って「楽しみだなぁ」とご機嫌である。


「あの、一応確認ですけど、合コンではないですよね?」

「え? ウフフ、ひーみつ」


 絶ってぇ合コンだろこれ……!

 

「俺、絶対に一次会で帰りますから!」

「まぁまぁ、面子見てから判断すれば良いじゃん」

「どんな面子でも関係ないです」

「つれないこと言うなよぉ」


 甘えた声を出してしなだれかかろうとするのをするりと交わして、再度、「絶対にさっさと帰りますから」と念を押したが、「ハイハイ。ね。そういうね」と全く話にならない。駄目だ。話も通じないし、このままだと残りの業務にも差し支える。いっそ差し支えまくって残業してやろうかな? とも思ったが、たぶん無理やり週明けに回されて強制連行されるのがオチだ。


 ちくしょう。

 こいつより偉くなってやる。

 そうだよ、主任にでもなれれば、だ。

 社歴だけで見れば先輩であっても、俺の方が上司なのである。さすがに上司をこのノリでは誘わないだろう。うん、悪くないぞ、出世。それに上手くいけば仙台に残り続けられるかもしれないしな。


 そんなことを考えながら鼻息荒くその場を去る。「あれ、どこ行くんだよ佐藤」と、声をかけられたが、立ち止まらずに「トイレっす」とだけ返す。先輩に対する態度ではないことくらいわかっている。いつもなら「お前それはないだろ」と指摘する向山田さんも、一応は思うところがあるのだろう。「ふぅん。飲んだり出したり忙しないやつだな」と反応するのみだ。


 それで、個室に籠ってスマホを取り出し『ごめん、今日行けなくなった』と多希にメッセージを送った。まだ彼からの飯誘いメッセージは届いていない。何せまだ午後三時である。


 多希の肉じゃが、楽しみにしてたのに。

 

 その一言を送るかどうかひとしきり悩んでから、『肉じゃが、食いたかった。もし良かったらまた作ってくれ』と素直な気持ちを送った。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る